
八百万の神
全てのものに神が宿る、という一神教に対しての多神教として宗教の範疇に入れられるが、私はこの神道は宗教でなく、アニミズムが時間をかけて自然統合された"心"であると考える。神道=心道なのだと言うことだ。
その証拠に神道には教義がない。
つまり神道とは道徳であり、教育であり、政治であり、宗教であるのだ。
その意味で厳密に言えば多神教とも異なる側面もある、多神教では得てして神々のうちの最も優れた神を決める争いが起きる。
幸いなことに日本には現人神が存在してきた。本来現人神とは必ずしも天皇に限られるものではなく、
古くは生き神信仰は全国各地にあったと考えられ、たとえば、祭祀を通して神霊と一体となった神官が現人神として敬われることもある。
天皇陛下は全国の神社の神主を統合する大神主であり、現人神であるのだ。
二千年以上続いてきた皇室は国民を支配してきた訳でなく、国民が皇室を皇室が国民を護ってきたのだ。
占領軍は神道司令により皇室と神道、国民、国家を引き離し、徹底した贖罪意識を国民に植え付けた。
そんな状況下での昭和天皇の詔書は人間宣言とされ
神格化が否定されるのだが、神道をどこまで理解し
占領政策を行ったのか甚だ疑問がのこる。
今でさえ神対応、神動画など気軽に神が使われるが、当時や戦前天皇陛下は神であると人々が思っていたとは思えない、現人神、人の形をした神
つまり一神教のイエスの"神"でなく、神対応、神動画の神に近い神なのではないだろうか?
つまり我々日本人の無意識下にある神はまさしく八百万の神であり、現人神であり、神対応なのだ。
山の神、海の神日本中至る所に鳥居がある。ツイッターの神やスマホの神さえ既にいるのは確実である
『悪い事をするとお天道様が見てる』と言われた
このお天道様も神なのだ、八百万の神とすることで
そのウエイトが均等にバランスされ、
唯一神のような何割、というような信仰心ではない、そこにいるのか、いないのかだけなのだ。
このことからも神道が宗教では無いことがわかるように、日本人の心として受け継がれた、アニミズム、自然、先祖崇拝。日本人なら誰もが自然に持っている神なのだ。