天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

違う靖国感 高橋哲也

2015-02-20 18:49:35 | 歴史
靖国の祭神は軍人だけではありません。一般市民も合祀されています。

沖縄県民です、唯一日本で戦場となり県民も日本軍と共に戦い倒れたからです。

しかし、本人や遺族の同意も得ないで、勝手に名簿に記載し英霊として合祀することはおかしい、

とする沖縄県民も居り日本人遺族でも合祀に賛同していない者もおり、

靖国神社に対して霊璽簿から氏名を削除し合祀を取り消すよう求めていますが、

靖国神社は、いったん合祀した霊魂は一体不可分となるので特定の霊のみを廃祀することは不可能で、

分祀(分遷)しても元々の社殿から消えはしないので無意味であると主張し、これに応じておりません。

日本兵として戦った朝鮮や台湾出身の元軍人軍属も多数祀られていますが、中には生存者が含まれていたり、

遺族の一部からは反発も出ています。例えば、2001年韓国や台湾の元軍人軍属の一部遺族計252名が、

日本に対し戦争で受けた被害として24億円余の賠償金を求めた裁判(原告敗訴)があり、

原告の内55人は「戦死した親族の靖国神社への合祀は自らの意思に反し、人格権の侵害である」として、合祀の取り消しを求めました。

2003年には、小泉靖国参拝・高砂義勇隊合祀反対訴訟の原告団長として高金素梅・台湾立法委員が代表となり訴訟を起こしています。

靖国とは歴史観のように、見る立ち位置によって全く異質なものになってしまいます。

上記の様に従軍戦没者遺族だけでも日本、(沖縄)
朝鮮、台湾の遺族が存在し、其々異なった靖国に対する感情が存在するのです。

その立ち位置が幾つも細分化してしまうと現在の様な靖国問題として噴出してしまうのです。

日本人は平和を愛する民族であり戦いを好まない人種です。それは260年も続く江戸時代で一目瞭然です。

ここで特筆すべきは沖縄の感情であり、歴史的対日関係、沖縄、韓国、中国がその被害者としての"利得"という共通の利害関係で結ばれている事です。

その目に見える証しとして、龍柱の中国発注、琉球民族独立総合研究学会、等、琉球としての独立を望むものまで存在します。

東大教授高橋哲也氏は靖国をニュートラルな視点で俯瞰で靖国を分析している様にみせかけ、戦争"被害者"とくに朝鮮、中国、(沖縄)からの視点で巧みに、批判的に分析しているのです。



《高橋哲也著 靖国問題》
第一章 感情の問題
靖国は感情をコントロールする装置で、不幸を幸福に変換しているとあるが、遺族の感情はかならずしも被害者のそれではなく、その大部分が靖国の英霊となることに誇りを感じているに違いない。よって悲しみよりも感謝が勝り、その顕彰の重要性を無視し単にマインドコントロールの施設としか見ていない。

第二章 歴史認識の問題
中国からの戦争被害者の視点で靖国をみている
さらに、戦争責任を戦犯のみに限定し分祀する動きも問題化し日本国家としての戦争責任から靖国を問題視している。このように単なる戦犯分祀論者でなく、その者をも否定し東京裁判を肯定して、歴史認識の観点から靖国と対する方をとっている。中国の考えかたをより強固なものにする考えです。

第三章 宗教の問題
ほぼ異論はありません

第四章 文化の問題
文化論の中でも最も洗練されたと、江藤淳氏の書籍を持ち上げておきながら、唯一点の論理矛盾で全てを否定する、粗探しによる最高権威者を貶めることで靖国の脆弱性を攻撃している。


第五章 国立追悼施設の問題
一見中韓の押す靖国以外の追悼施設に断固反対するポジションから靖国を擁護するように見せかけ、靖国問題から逃げることは許されないとして、結局靖国を否定している。



簡単な高橋氏の著書の私なりの解説ですが、沖縄が本土復帰する直前の反対派の中に、『昔の日本じゃない、天皇陛下のいらした日本ではないのだ。』

と言うのを知って沖縄に蔓延する左翼思想に傾きかけましたが、自衛戦争の真実を知ってからはもう揺らぐことはありません。

しかしながら家永三郎、高橋哲也、大江健三郎らの左翼思想論理が築き上げた"反日左翼旧日本軍戦争被害者の会"は中国、韓国、琉球独立の対日本政府戦略

となり、沖縄を拠点に朝日新聞により全国に拡散され、日本を取り戻す高い障壁になっているのです。

結局のところ彼の靖国感は学者として靖国を見ているのではなく、人々の靖国感にバイアスを掛け変換して靖国反対派の靖国問題として理論武装のバイブルになっているのです。

高橋氏の靖国問題をお読みになられた方の反論や意見もツイッターでお待ちしております。
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靖国神社廃止論

2015-02-20 10:41:44 | 歴史



中曽根首相 民社党塚本三郎氏への答弁

「戦争指導者や責任者は、日本国民の立場から批判されるべきだ。国の命令で前線へ出て戦死した将兵と、戦争を指導した人たちの立場と責任は違う。そうした考えで靖国神社問題に対応していく」
 
後藤田官房長官 終戦の日に関する談話

「昭和60年8月15日、A級戦犯を合祀している靖国神社に中曽根首相が参拝したことは、首相がA級戦犯にお参りしたのではないかという、近隣諸国の疑惑を生んだ。しかし、首相が参拝したのは、あくまで、これらA級戦犯を除く、一般戦没者の慰霊のためであった。したがって、近隣諸国との友好維持のため、今年(昭和61年)は、首相の靖国参拝は行わない。」

昭和が幕を閉じようとしている、終戦から40年の時が経とうとしている時期のこの様な政府首脳の思考がどこから来るのか。

注意深く探るまでもなく、それは終戦直後の石橋湛山に源泉を見る事が出来る。



石橋湛山
「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」

(東洋経済新報1945年10月13日号)


甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神杜を廃止し奉れと云うそれである。
 靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神杜の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。

殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、都て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
 
又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神杜は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭ふ能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。
 
言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それには此の際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切のものと錐も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者自身の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於て、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくも満州事変以来事官民の指導的責任の住地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではない。



 その論点は大きくいって2つ、前半では靖国神社廃止の論拠、後半では戦争責任を論じている。
石橋湛山が靖国神社を廃止せよという論拠は、4点にまとめることができる。

(1)は国際的考慮という点。つまり大東亜戦争で亡くなった将兵を護国の英雄として崇敬し、その武功を讃えることはもはや国際的に許されない。

(2)は大東亜戦争は国家滅亡の危機へと導いた汚辱の戦争であり、その戦争に命を捧げた人々を祀ることはできない。

(3)わが国の将来のためには、ただ屈辱と怨恨の記念として靖国神社を残すことは断じて歓迎できない。

(4)戦没者自身の立場から考えても、国民に永く怨みを抱く神として祭られることはけっして望むことではなかろう。以上四点が、湛山が主張する靖国神社を廃止せよという論拠だ。
 
と同時に、後半で戦争責任の問題を論じている訳で「この戦争は国民全体の責任である」、これがまず第1点。ただし第2点として、「国民等しく罪があるとはいえ、少なくとも満州事変以来の軍・官・民の指導的責任者は重罪人であることを免れない」。

第3点、ところがそれら重罪人が「依然、政府の要職を占めていることは許しがたい」。第4点「靖国神社の廃止は単に神社の廃止に終わらない」。こういうことを述べている。

端的に私情を絡めて言えば、戦争に負けました、白が黒になりました。日本には黒が生き残り、白に関係する者を全て捨て皆さん黒として、白に憎悪を抱くことにより、反省を表現し、白に関わるのをやめましょう。白のシンボル靖国を廃止するのです。
戦争の責任は白、黒等しくあります、が軽重を言えば白の一部にその重きがあり、靖国のみならず、白の重罪人に罪があるのです。

如何だろうか、東京裁判の捉え方によって、白、黒ハッキリ分かれると思うが、この時点が白と黒の反転した時である。その反転が手の平返しなのか、苦渋の末であるかは今となっては判断のしようがない

だがこの時点での国のトップの思考は白に対抗しての黒一色だったのだろう。70年経過した現在、九段にはそのままに靖国神社が存在している。

何故だろう、細かな分析など必要ない、答えは簡単である。

天皇陛下が御座すからである。

反軍国主義は日本が生き残るための重要な約束であったことは否定できない、そして白黒入乱れて、グレーのまま靖国問題として完治しないのだ。

依然黒が優勢である、その力の証拠が天皇陛下の御親拝の中断である。さらに戦犯合祀を問題とすることでグレーのバランスを保とうとし、そこに首相が参拝することと、さらには中国に内政干渉させることにより靖国神社廃止へと揺り返しを狙うのだ。

戦前、日本は白一色になり存亡の危機を戦った、敗戦により赤く染まったものが一気に黒となり、二度と白にならないように、封印し、その過程で白だけが悪いことにし、あまんじて戦勝国の歴史観を受け入れそのままにした。

靖国神社のみが白の正当性を語り継いだが政治、マスコミ、世の中は挙って白を否定して、問題にして騒ぎ立て、隣国の反応にデリケートになり、その不当な申し立てで教科書までも言いなりに書き換え、

グレーがグレーのままでその力は拮抗しているのだ
冒頭の中曽根元首相は軍部の経理にいた、白から赤を経由しない黒だろう。赤を経由した者は誰もが口を噤んだに違いない。

この様な現在の状態でグレーだけが生き残る世の中になれば人々は武道館に集まり戦没者を慰霊するのだろう、それは戦没者遺族の減少と共にやがて消滅し、武道とコンサートのみになるのが手に取るようにわかる。

そんな事を思いながらふと頭をよぎった、広島の原爆ドームだ、駄々広い公園と遺されたドーム、今はその広さとドームからしか原爆の悲惨さは感じることができない。

悲惨な被害を後世まで語り継ぐ為、二度と経験しない為のモニュメントになっている。

靖国とドームの共通点と相違点これが明白に理解出来た時に、靖国の必要性と重要性が明確になるだろう。

その話はいずれ近いうちに。