天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国問題を考える

2015-02-15 10:05:20 | 歴史
靖國には問題などないとの自論を今回は棚に上げ、
もし仮に『富田メモ』が正しいとすれば?の観点から推察したいと思います。

天皇陛下の御心を私の様な民草が知るには御製から読み解くしか術が無い、との右特有の思考を今回は棚に上げるのです。

未だに論争が絶えず、当事者はいない。天皇陛下と靖國だけが長い間歴史に翻弄されながらも貫かれて

靖國神社問題と言う不安定で曖昧な落ち着かない状態に堪難くなるのです。



【富田メモ】

前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ



《中曽根の靖国参拝》とは、昭和60年8月15日に中曽根首相が靖国神社に公式参拝したことに対し、

中国政府が抗議し、中曽根氏がその後、参拝を取りやめたことを指すものだろう。



《藤尾(文相)の発言》とは、 昭和61年7月の藤尾正行文部大臣の発言を指すものだろう。

藤尾発言は「日本を守る国民会議」(現・日本会議)が編集した高校日本史教科書『新編日本史』の内容を、韓国政府が批判したことに対してだ。

藤尾文相は、南京虐殺はなかったとし、日本の韓国併合は韓国の合意のもとに行われたものであり「韓国側にもやはり幾らかの責任なり、考えるべき点がある」等と発言した。

これに対して周辺諸国の再批判が高まるなかで、中曽根首相は藤尾を罷免した。


 『新編日本史』は文部省の検定に合格していたにもかかわらず、追加修正をさせられた。

これは、昭和57年の教科書誤報事件以後、「近隣諸国条項」によって、はじめてわが国の教科書に外国の内政干渉を許した事件だ。

この事件は、近隣諸国に関する近現代史の記述について、外国からの圧力によって教科書が変更されるという前例を作ってしまった。

中曽根は、周辺諸国の抗議に屈し、首相の靖国公式参拝を中止しただけでなく、わが国の歴史教科書の内容に外国の内政干渉を許し、以後、これが定着するという屈辱的な失政をした。



《奥野発言の要旨》
昭和63.04.26 朝日新聞より
 奥野国土庁長官の22日の記者会見での発言要旨は次の通り。
 (奥野氏が靖国神社に参拝したのは公人としてか私人としてか、の問いに)それは占領軍に聞いてみて下さいよ。占領軍は昭和20年12月に「公務員の資格で、いかなる神社にも参拝してはならない」と禁止指令を出した。再び米国に立ち向かえるような体制はとらせない、とにかく団結を破壊したい、ということだった。神道は祖先を氏神さまとして祭ろうというもので、人はみな死ぬと神になる。氏神さまの頂点にあるのが天皇家だ。
 参拝が公人か私人かでいま問題になっているが、戦後43年たったのだから、占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい。中国はいろいろ誤解しているが、共産主義国家だから宗教への理解が少ない。だんだん理解してもらえるのではないか。鄧小平氏の発言に国民みんなが振り回されているのは情けないことだ。中国の悪口を言うつもりはないが、中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉も使わせなかった。神道に関することは教科書からも削除したが、神話、伝説をもっと取り上げたらいいと思う。
 白色人種がアジアを植民地にしていた。それが、日本だけが悪いことにされた。だれが侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国か、軍国主義か。開国して目をさましてみたら、軍事力強化の立場に追い込まれていた。鄧小平さんが言っていることを無視するのは適当ではないが、また日本の外交当局がそれなりに対応されていいと思うが、日本人の性根を失ってはならない。

昭和63年4月22日の奥野発言を受け、4月28日の靖国神社に関しての富田メモなのです。


『前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。』

藤尾の南京は無い、対中の歴史誤認発言で中国から抗議、中曽根公式参拝で中国から抗議、前の戦犯合祀で中国から抗議。と言う徳川侍従長の発言でしょう。

『奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。』

奥野は藤尾のストレートで端的な発言をオブラートで包んで中国にもソフトな言い回しだが当時としては時期尚早に感じられます。

占領軍の亡霊を持ち出してバランス良く発言してますが、危機感を隠しながら絶妙なバランスに感嘆している感じも徳川侍従長の発言に思われます。

さていよいよ核心です。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ

乱暴ですが、陛下のお言葉を徳川侍従長がそのまま
喋ったとします。

[戦犯合祀された時の問題はタイミングで、松岡、白鳥も同時。筑波は慎重だったが、松平は易々と平和に無頓着。それ以来親拝出来なくなってしまった。]

私なりに陛下の感情を感じられる部分は"易々と"の部分だけなのです。

ではどうして(不快感)となるのでしょう?

もう少し具体的に解説すれば、戦犯合祀は戦前は上奏し天皇陛下の裁可を仰ぎ合祀されていました。

戦犯合祀も宮内庁に名簿を提出してからて合祀しています。

松岡、白鳥まで一緒に筑波宮司の時はそのタイミングを慎重に見計らっていたが、平和に考えをもっていた松平の子供に変わってすぐ易々と合祀してしまった。です、つまり戦犯の合祀には問題がなく、あくまでも合祀するタイミングとまとめて合祀してしまった事があまりに思慮不足で中国からも問題視され平和とは言えぬところまで問題になってしまった

と言う事ではないでしょうか。

だから私あれ以来参拝していない、のあれ以来ですが、最後の親拝か、合祀なのですが合祀される以前の2年も親拝していないので、アレとは最後の親拝を指していると言えます。

(不快感)が大袈裟な表現かどうかはさておいても、戦犯合祀を指すのではなく、易々と近隣諸国の感情を考慮せず合祀したタイミングへの(不快感)なのです。

昭和53年に合祀されから10年経っても解決されない政治問題への(不快感)でもあるのでしょう。

この様に富田メモが陛下の代弁者であるとしても、
戦犯合祀に不快感は拡大解釈であり、

天皇陛下の思想信条はおそらく国民皆に知らしめ異論や問題などが起きない平和裏に大々的に特別に合祀したかったのではないだろうか。

【忍び難きを忍んだ結果国民が混乱して靖国親拝すらままならない状態で英霊との約束を果たせず悔しい】

この問題に侍従長以下宮内庁は陛下の気持ちを慮ってa級が原因としたのでしょう、

その富田メモを新聞社、歴史家が時代に呼応した答えを求め戦犯合祀に不快感となったのでしょう。

正しいかも知れない事を言って首が飛んだ藤尾氏、今となっては奥野発言が的を射た、非常にまともな表現に思えます。

もし本当に占領軍の亡霊がいるとすれば、こんな日本の状態を嘲笑うのでしょう。