天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国神社と原爆ドーム

2015-02-21 13:08:51 | 歴史
私は靖国神社廃止論の結びで靖国神社と原爆ドームの共通点を認識することでその存在意義が再確認できると言いました。

今回は結論から先に言いたいと思います。

万国共通、人間は忘れやすい生き物だと言う事です

私は広島の爆心地には二度訪れたことがあります。
1度目は時間に追われて、資料館、ドーム、被爆した桜の木、など見学しました。

2度目は広島平和記念公園を目的に訪れたのですが
原爆ドームの管理され風化していない綺麗さに衝撃を覚えました。

数年単位で保存工事が最新技術で行われているのです。



原爆の真の恐怖は被爆したものでしか感じる事は出来ません、資料館の悲惨な絵や写真、人形にドームの様な衝撃は2度目には感じませんでした。

むき出しになった鉄骨や雨にうたれるコンクリートは意外に脆く、朽ちてしまうのです。手を加えなければ100年も経たないで瓦礫の山になってしまうのでしょう。朽ち果てて行くことで人々の記憶からも消えていってしまうのでしょう。

人々の記憶の風化を防ぐために被爆当時の状態のままに予算をかけて保存する工事を行なっているのです。

これが自然に朽ち果て人々が忘れ去った頃に不幸で悲惨な記憶も癒え幸福が訪れると言うような考え方の人も中にはいるのかもしれません。
また人は幸福の為におのずと忘れるように出来ているのかもしれません。

その証拠に戦争の焼け野原がのこっている場所はひとつもなく、そこには近代的なビル群が建ち並び、
その面影など見ることはできません。爆心地でさえ今はビルの狭間にヒッソリとあります。、



広島原爆ドームには同じ日本人同士、広島県民同士
被害者同士の中に対立とまでは言わないが、葛藤が存在するのでしょう。

そして代々後世にモニュメントとしてそのまま残す事によって二度と被害者を出さない、平和の為の記憶として保存し続けているのでしょう。


さて、靖国神社はどうでしょうか、この神社はある時期に戦争で戦う為の国民の精神的主柱となっていたことは否定出来ません。

それだけに、戦士は靖国で会おうと命を捧げ、遺族は名誉に思った、そして240万人以上の人が神として祀られている。

ドームと違う点はそこで亡くなったかどうか、そして戦士か住民か、たったこの二点だけなのです。

両者は先の大戦の犠牲者であることに違いなく、間違いなく、日本に生きた人なのです。

ドームを見た日本人が軍国主義に加担するのか、とは問われません。首相は公人として何の問題も無く
広島の式典でスピーチします。

この様に靖国神社もドームと同じ平和を願うモニュメントであり神社であるとともに、どちらも慰霊と鎮魂、場合によっては顕彰してもいいでしょう。
手を合わせ平和を願う所だと思います。

そして、忘れやすい人の為の国民の記憶として、二度と繰り返さない為に、両者はあるのだと思います