天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

親拝停止

2015-05-19 01:57:09 | 歴史
歴代天皇陛下の靖国神社御親拝合計回数
明治天皇陛下   7回
大正天皇陛下   2回
昭和天皇陛下   28回

戦後8回

昭和20年
昭和27年
昭和29年
昭和32年
昭和34年
昭和40年
昭和44年
昭和50年最後の御親拝

三木武夫が昭和50年8月15日、総理としては初めて終戦の日に参拝した際の、私的参拝4条件

公用車不使用、
玉串料を私費で支出、
肩書きを付けない、
公職者を随行させない

による「私人」としての参拝を行った以降、特に論じられるようになりました。

総理大臣の公か私的かの発言に対して国論が二分するような政治問題化が御親拝停止の主たる原因であることは当初から申し上げている通り
疑いようのない事実です。

しかし、以降10年間4人の総理が27回に渡って参拝は継続されますが、

靖国神社に対して玉串料などを公費で支出した参拝は、第72代総理であった中曽根康弘による昭和60年の参拝が訴訟の対象とまで問題化し、

首相の参拝までもが中断し平成8年の橋本龍太郎が一回その後また途絶え平成13年の小泉純一郎まで中断します。

昭和53年の合祀など何にも影響していません。

昭和57年に公式参拝を公約に掲げ中曽根内閣が誕生しました。

戦後40年の終戦の日に首相が靖国神社を公式参拝するかが注目され、特に朝日新聞は常道を逸した「反・靖国キャンペーン」を展開し始めます。

「戦前回帰」「軍国主義」といった記述が朝日新聞に連日登場し、8月7日には
「中国は厳しい視線で凝視している」と内政干渉を誘う記事まで書き立てたのです。

8月15日、中曽根は予定通り靖国神社に参拝し朝日新聞はお決まりの「戦前回帰」「軍国主義」を唱えて非難しました。

そして予定通り8月27日、中国の副首相が中曽根の靖国神社公式参拝を非難しました。

社会党がそそのかしたのは明らかであり、これをきっかけに中国の靖国非難が始まりました。

親日で中曽根と懇意だった共産党総書記の胡燿邦の立場が危なくなり、中曽根は、それまで参拝していた秋の例大祭参拝を断念、翌年以降の靖国神社参拝を中止してしまったのです。

この公式参拝を取りやめる際、胡燿邦を守るためと言わずに、「A級戦犯が合祀されているため」と発言。

この微妙な日中関係を繋ぎ止める為の一言が
富田メモの歪曲を生み、分祀論を捏造し、挙げ句の果ては敵に塩を送る歴史認識まで拡大することになるのです。

平成4年の2つの高等裁判所判決で憲法の定める政教分離原則に反する公式参拝と認定され、これらが判例として確定、明確に違憲とされ国内的にも首相参拝に影を落とすことになります。

小泉純一郎は、平成13年8月13日の首相就任後最初の参拝をした後、公私の別についての質問に対し

「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」

と述べましたが、これ以降、特にこの論点が大きくクローズアップされますが、福岡地裁の判決後は私的参拝であると表明しています。

歴代首相で最高の参拝数を誇る中曽根
また彼のお膝元の群馬県護国神社は他府県のそれとは違い、規模も大きく結婚式場まであり、県民の英霊との強い結びつきがうかがえます。

そんな彼がSPを伴い形だけの参拝をし、問題を拡大し天皇陛下の御親拝の復活は疎か首相の参拝までも停止させ、英霊を裏切ったかたちになってしまったのです。

石橋湛山の廃止論に見られる
(1)大東亜戦争で亡くなった将兵を護国の英雄として崇敬し、その武功を讃えることはもはや国際的に許されない。

(2)大東亜戦争は国家滅亡の危機へと導いた汚辱の戦争であり、その戦争に命を捧げた人々を祀ることはできない。

(3)ただ屈辱と怨恨の記念として靖国神社を残すことは断じて歓迎できない。

(4)国民に永く怨みを抱く神として祭られることはけっして望むことではなかろう。

と言われる靖国神社を廃止せよという論拠は敗戦の影響を色濃く受けその責任を漠然と死人に口無しをいい事に戦没者に向け靖国を廃止しようとするレトリックです。

仏教関係者も英霊という神のままであっては戦没者は成仏できないので纏めて供養をしたほうが良いとの倒錯した宗教論理で靖国を破壊しようとする。

中国は戦争責任者を一緒くたに祀る石橋の(1)
(2)に近い観点から内政干渉してくる。

GHQによって取り壊し或は宗教法人の選択を迫られ後者を選んだ靖国は取り壊しに近い冷やかな視線を浴びる事となるのです。

事もあろうに中曽根首相の目的の為なら手段はどうでもいいという政治的パフォーマンスに利用されることとなるのです。

故小野田寛郎さんが囁いた言葉が耳にこびり付いて離れない、『靖國を政争の具にするな』です。

靖国で逢おうと口々にし、戦火に斃れた者達の気持ちに一番近い方の言葉が何をおいても胸を強烈にうちます。

靖國を貶める者それは、終戦、占領、復興の過程で耐え難きを耐えず忍び難きを忍ばない者、

つまり、敗戦を利用し戦勝国的優位性を手にした者、それが反日日本人或は反日分子の原点として被害者としての戦争観を蔓延させていくのです。

極東軍事裁判、いわゆる東京裁判を翻訳した横田喜三、弟子の小野田はハンデキャンプ外交と明らかに戦勝国の歴史観をベースにマイナススタートの日本のマイナス面を強調して皇室解体へと着地点を想定しているのでしょう。

神道指令によって日本国から切り離された天皇と神道、勅使を例大祭に送る事でかろうじて英霊達との約束を絶やすことなくお守りになられています。

日本を取り戻すのに天皇陛下の靖國神社御親拝は避けて通れない日本人ひとりひとりの課題でもあるのです。