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神功天皇?神功皇后だろ、そんな声が聞こえてくるようだが、確かに日本の歴史に於いて神功天皇、そうよばれた時期も存在している。
現在初の女性天皇と言えば、第33代推古天皇であり、8人10代が存在する。
しかし明治時代までは『常陸国風土記』『扶桑略記』『神皇正統記』に第15代天皇、初の女帝(女性天皇)とされており、大正15年の皇統譜令(大正15年皇室令第6号)に基づく皇統譜より正式に歴代天皇から外されている。
つまり、皇統を厳格化するために仲哀天皇の崩御後、皇后が摂政として統治した事実を詳細に判断するためだろう。現に記紀に於いても神功皇后として記載されている。
この事に乗じて新羅征伐をした神功皇后を
戦後の自虐史観の歴史学者の中には架空の人物を創作したとする説が多くを占めるようになる。それだけ戦後の学会は皇国史観を否定してきたともいえるのだ。
したがって欠史八代、空白の4世紀などの古代史の実証が困難なものに関しては取り敢えず否定しておくというスタイルに堕落したのであろう。
前回の邪馬台魂で記紀が神功皇后を卑弥呼に比定していることを書いたが、実際には
年代に100年のズレがある。神功皇后が討伐した田油津媛を卑弥呼に比定することも誤りである。
若井 敏明氏の説である田油津媛の100年前の先先代が卑弥呼とすることが限りなく正解に近いと思うのである。
つまり記紀に於いて意図的に卑弥呼、邪馬台国を隠したと仮定すると熊襲と同じように女王国は従わず、独自に魏に朝貢していたのだろう。
国内の混乱を伏せ一方で卑弥呼と匂わせ機密とする歴史書であり、国防白書でもあるのだ。
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