大相撲の女人禁制が論議を呼んでいる。
この問題は伝統とその伝統を守る後継者の問題と差別問題を一緒くたに論じるからややこしくなるのであり、勘違いするものも出てきてややこしくなるのである。
高須氏がツイートで
『明治政府の作った伝統でも立派な伝統です。日本の風俗を野蛮に見られないよう一生懸命新しい伝統を作ったのです。
男女を区別するのも文明開花だったんですよ。差別ではなく区別です。
領域を区別することで品性が生まれます。
リベラルの方々は銭湯の混浴を復活させたいのかな?』
相撲には二段階の伝統がある。1200年以上の伝統と明治からの伝統。
明治5年には、文明開化で男女の取り組み・女力士の裸体が禁止されたが、これを差別とは誰も感じないだろう。高須氏の言うように完全なる区別であることは写真を見るまでもなくお判り頂けるだろう。
この問題とは別の伝統、国技、神事としての大相撲は女性が土俵に上がることを禁じている。
相撲の神様は女性であり、女性が土俵に上がると神様が嫉妬されると考えたのである。そもそも相撲の始まりは豊作を祈願するお祈りであり、縁起を担いだり、穢れを忌み嫌うのは国民の生活の安寧を祈る神事であるからだ。
土俵に大量の塩が撒かれた事も女性が土俵に上がったからでなく、市長が倒れたからである。
この問題を拗らせたのが宝塚市長である。
つまり、行司のアナウンスと社民党系フェミニストの宝塚市長、この両者が問題の根源であり、伝統を壊し兼ねない後継者と言い換える事が出来る。
このように伝統を破壊するのは一瞬であり、護っていくのは至難の業である。改めて言うが女人禁制は女性差別ではない。
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