徴兵、戦時暴力、集団疎開、戦争に対する其々ルサンチマンを抱えたものが戦後の日本を作ってきた。
戦後生まれでも20年代は戦争体験者が近親におり徐々にそれは薄らいでいく。
戦争に対する憎悪は米軍の占領政策と相まってA級戦犯や国に向けられるのは自然な流れであり、薄らいでいくのと同時にその矛先は軍国主義に意図的に向けられ憎悪は恐怖へと変質していく。
米国を始め戦勝国が日本をドイツと同じ様に裁けるとしたことが結果的には後の日本に禍根を残すことになった。
極東軍事裁判つまり東京裁判は敗者日本を戦争を始めた犯罪国としてニュールンベルグ式で裁いた事後法裁判であると共にドイツには物理的なベルリンの壁、日本には心理的な自虐史観の壁を齎すに至った。
ベルリンの壁は約30年で崩壊したが、70年が経過したこの国において僅かな亀裂は入るものの東京裁判史観として依然高く聳える。
日本は先の大戦の総括をしてこなかったと自虐的な言い訳をよく耳にするが、それさえも許さないほど占領のプログラムが激しかったことがうかがえる。
ウォーギルトインフォメーションプログラムは
憲法、教育、マスコミを統制した。その上での検閲は個人の手紙にまで及び、憲法草案の出自
GHQの批判、東京裁判の否定、全てが軍国主義の責任であるとした。
当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実がある。
「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。
「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と江藤淳は主張している。
つまり、占領政策の恐怖は教育とマスコミが日本人の手によって、時間が経過するごとに、より深く国民の中に浸透していったことを表す。
要するに東條に代表されるA級戦犯や軍国主義に対しても身代わりの意識は存在したが、単に敗戦国の宿命と異を唱えるものは少なかったのであろう。
後の4000万人の嘆願署名と全会一致の閣議決定で公務死、昭和殉難者とされたことからも
ドイツとは決定的に異なるように、日本国民は一億総懺悔で戦争責任は日本国民全てににあると結論したのである。
当時の日本人に戦争責任者を決める事はおろか、自ら裁くなど到底不可能であることが理解出来よう。
A級戦犯は戦争責任者などでは無いと結論出来る。
このことを再認識しない限り東京裁判史観の呪縛から解き放たれることはなく、自虐史観は消えることなくハンデキャップとして受け継がれていくのであろう。
戦後生まれでも20年代は戦争体験者が近親におり徐々にそれは薄らいでいく。
戦争に対する憎悪は米軍の占領政策と相まってA級戦犯や国に向けられるのは自然な流れであり、薄らいでいくのと同時にその矛先は軍国主義に意図的に向けられ憎悪は恐怖へと変質していく。
米国を始め戦勝国が日本をドイツと同じ様に裁けるとしたことが結果的には後の日本に禍根を残すことになった。
極東軍事裁判つまり東京裁判は敗者日本を戦争を始めた犯罪国としてニュールンベルグ式で裁いた事後法裁判であると共にドイツには物理的なベルリンの壁、日本には心理的な自虐史観の壁を齎すに至った。
ベルリンの壁は約30年で崩壊したが、70年が経過したこの国において僅かな亀裂は入るものの東京裁判史観として依然高く聳える。
日本は先の大戦の総括をしてこなかったと自虐的な言い訳をよく耳にするが、それさえも許さないほど占領のプログラムが激しかったことがうかがえる。
ウォーギルトインフォメーションプログラムは
憲法、教育、マスコミを統制した。その上での検閲は個人の手紙にまで及び、憲法草案の出自
GHQの批判、東京裁判の否定、全てが軍国主義の責任であるとした。
当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実がある。
「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。
「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と江藤淳は主張している。
つまり、占領政策の恐怖は教育とマスコミが日本人の手によって、時間が経過するごとに、より深く国民の中に浸透していったことを表す。
要するに東條に代表されるA級戦犯や軍国主義に対しても身代わりの意識は存在したが、単に敗戦国の宿命と異を唱えるものは少なかったのであろう。
後の4000万人の嘆願署名と全会一致の閣議決定で公務死、昭和殉難者とされたことからも
ドイツとは決定的に異なるように、日本国民は一億総懺悔で戦争責任は日本国民全てににあると結論したのである。
当時の日本人に戦争責任者を決める事はおろか、自ら裁くなど到底不可能であることが理解出来よう。
A級戦犯は戦争責任者などでは無いと結論出来る。
このことを再認識しない限り東京裁判史観の呪縛から解き放たれることはなく、自虐史観は消えることなくハンデキャップとして受け継がれていくのであろう。
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