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付属文書
第二次大戦中に設けられた「慰安所」に関する日本政府の法的責任の分析
序論
1 1932年から第二次世界大戦が終わるまで、日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジ ア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした。これらのレイプセンター は客観的に「慰安所」という椀曲的な言葉で表されることが多い。「従軍慰安婦」1)の大 半は朝鮮出身者であったが、中国、インドネシア、フィリピンその他の日本の支配下にあ ったアジア各国から連れてこられた女性も少なくなかった。10 年ほど前から、こうした残 虐行為を生き延び、この犯罪の補償を求める女性たちがますます増えている。本付属文書 は、第二次大戦中のレイプセンターの設立、監督、維持運営と日本軍との関わりについて、 日本政府自身の見解として確立された事実に沿って書かれている。日本政府が認めた事柄 に基づいた上で、第二次大戦中の「慰安所」における女性の奴隷化とレイプに関し、日本 政府が今日どのような法的責任があるかを探究するものである。責任があるとする理由は あまたあるとしても、この報告ではとくに、奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪というと くにゆゆしき国際的犯罪に対する責任に焦点をあてる。本付属文書はまた、刑事国際法の 下での法的枠組みを設定するとともに、補償を求める生存者たちがなしうる要求について 検討する。
I. 日本政府の立場
2 日本政府は何年もの間、第二次大戦中のレイプセンターの設立と監督について日本軍 が直接関与したことはないと否認していたが、1993 年 8 月 4 日付けで発表した「慰安婦関 係調査結果」と同日の内閣官房長官の談話で、政府自身が「慰安所」の設立に深く関与し たことを最終的に認めた(E/CN.4/1996/137,annexI)。この調査結果には戦時中の記録の検 討、元軍人と元「慰安婦」の双方とのインタビューが含まれている。本付属文書で論じる ように、1993 年の調査結果では、「慰安婦」には個人的、性的自主性がなかったこと、人 的財産であるかのごとく女性たちの健康を管理したことが強調されている。
3 日本政府は最近、「慰安婦」の「問題」について数多くの公的謝罪を行ってきた。とく に目立ったのは、1995 年 7 月、第二次大戦終結 50 周年にあたり、村山富市首相が「(わが 国が過去の一時期に行った行為は、・...アジアの近隣諸国等の人々に、)いまなお癒しがた い傷痕を残しており」「いわゆる慰安婦間題はそうした傷痕のひとつで、当時の日本軍が関 与したこの問題は女性の名誉と尊厳を深く傷つけた。これはまったく申し訳が立たない。 戦時下の慰安婦として癒しがたい精神的、身体的傷を負われたすべての多くの方々に、私 は心から謝罪する」と述べたことである。2)
4 こうした謝罪や容認にもかかわらず、日本政府は引き続き慰安所の「設立と運営」に 関して日本軍の行動になんら法的責任はないとしている(E/CN.4/1996/137 参照)。とくに、 国連の女性に対する暴力委員会の特別報告者ラディカ・クマラスワミ氏の報告に対して、 日本政府はさまざまな本質的理由をあげてあくまでも法的責任はないと主張したが、その 理由には以下の項目が含まれる。(a)現在の刑事国際法の展開ないし方向は、過去にさかの ぼって適用しないというものである;(b)「慰安所」として確立された制度は正確には奴隷 制という犯罪にはあてはまらないと同時に、奴隷制の禁止はいずれにしても第二次大戦の 時点では国際法の適用可能な慣習法ではなかった;(c)武力紛争下でのレイプは、1907 年の ハーグ条約 No.IV に付帯された規定でも、また第二次大戦中に効力があった国際法の適用 可能な慣習法でも禁止されていなかった;(d)戦争法はいずれにせよ、日本軍が交戦国の国 民に対して行った行為にのみ適用されるのであって、それゆえ日本や朝鮮の国民に対する 日本軍の行動はその対象とならない。なぜなら朝鮮は第二次大戦中はすでに.日本に併合さ れていたからである(同書)。
5 日本軍が「慰安所」に直接関与していたことへの謝罪に引き続き、日本政府は 1995 年 7 月、「日本と世界の女性の人権を守る」ためのアジア女性基金を設立した。3)アジア 女性基金は、「女性が今日直面する問題を緩和するために方策を講じる」女性の非政府組織 (NGO〉を支援し、女性のためのカウンセリング・サービスを行い、研究・学術調査を支援 し、女性の問題と取り組む会合や会議を開催するとともに、「慰安婦」問題に関して「日本 人が感じている心からの謝罪と自責の念をこうした女性たちに伝えたいという願い」を、 一般の日本人から直接集めた募金を r 償い」基金として具体化するものである。4)
6 法的補償を求める主張に関しては、個々の「慰安婦」にはそのような補償を求める権
利はないというのが日本政府の主張である。日本政府は逆に、個々の女性がなしえた補償
要求は、すでに第二次大戦終結後の日本とアジア各国の聞の平和条約および国際協定で十
分に満たされているとしている。これに加えて日本政府は最後に、第二次大戦中のレイプ
センターに関する民事ないし刑事裁判は、出訴期限条項の適用に関する付属文書によって
時間的に阻止されていると主張する(EICN.4/1996/137 参照)。 II.レイプセンターの性格と規模
7 第二次大戦中にアジア全域に設立されたレイプセンターに日本政府と軍の双方が関与 していたことはすでに明かである。これらのセンターで日本軍によって奴隷化された女性 たちの多くは 11 歳から 20 歳であったが、この女性たちは日本支配下のアジア全域の指定 地区に収容され、毎日数回強制的にレイプされ、厳しい肉体的虐待にさらされ、性病をう つされたのである。5)こうした連日の虐待を生き延びた女性はわずか 25%にすぎないと言 われる。6)「慰安婦」を確保するために、日本軍は身体的暴力、誘拐、強制、詐欺的手段 を用いた。7)
8 政府および非政府組織による準備調査によって、「慰安所」として以下のカデゴリーが あることが明らかにされた。(1)日本軍が直接管理運営していたもの;(2)公式的には民間 業者が運営していたが、実質上は軍の管理下にあり、軍人と軍の民間人雇用者のみが利用 していた所;(3)民間運営の慰安所で、軍人が優遇されたが、日本の民間人も利用できた所。 8)もっとも多かったのは二番目の慰安所だったと思われる。9)こうした行為に日本軍が 関与したことについて日本政府は「道徳的責任」は認めたものの、あくまでも法的責任は いっさい否定している。10)
9 日本政府が自ら発表した調査結果は、以下の関連した事実を浮き彫りにしている。 (a)慰安所を設立した理由。「慰安所は当時の軍当局の要請に応じて各地に設立された。当 時の政府の内部資料は、慰安所設立の理由として以下をあげている。当時の日本軍の占領 地で日本軍兵士が地元住民にレイプその他の不法行為を加えた結果、反日感情をかきたて る(ママ)ことを防ぐ必要。性病その他の病気で部隊の力がそがれないようにする必要。ス パイ行為を阻止する必要」(EICN.4/1996/137,P.14).
(b)期間と場所。「一部の文書によれば、1932 年のいわゆる上海事件の際、現地に駐在する 部隊のために上海に慰安所が設立されたことがうかがわれる。慰安所はその頃から第二次 大戦末まで存在したものと思われる。戦争が広がるにつれて慰安所の規模も地理的範囲も 拡大した」(同書。pp.14-15〉
(c)民間業者に対する軍の管理。「当時、軍が直接運営する慰安所も一部の地域では見られ たが、慰安所の多くは民間業者によって運営されていた。民間業者が運営する施設の場合 であっても、日本軍はその設立や運営に直接関与し、慰安所の開設許可、施設の整備、営 業時間や料金などの規則、施設の利用に関する注意事項などすべて軍が決めた」(同書。
p.16)
(d)軍による健康状態の監督。「慰安婦の監督に関しては、慰安所の規則の一部として軍は 避妊具の強制的使用、軍医による慰安婦の性病その他の病気の検診といった手段を課した が、その目的は慰安婦と慰安所の衛生管理にあった」(同書)。
(e)行動の自由の規制。「いくつかの慰安所は規則を設けて慰安婦の自由時間や自由時間に 行ける場所も制限していた。いずれにせよ、戦争地域では、女性たちは絶えず軍の管理下 で軍と共に行動せざるをえず、自由を奪われ、惨めな状況を耐えるしかなかったのは明か である」(同書)
(f)慰安婦の補充。「多くの場合、軍当局の要請を受けた慰安所経営者に頼まれる形で民間 のスカウトが慰安婦の補充を行った。戦争拡大とともに慰安婦の需要は増す一方で、スカ ウトたちは女性たちの意志に反して強制したり脅したりする手段に訴えた場合が多い。行 政や軍当局者が直接、補充に関わった場合すらあった」(同書。p.17)
(g)輸送。「たいていの場合、女性たちは軍艦や軍車両で戦場へ送られた。日本の敗戦につ づいた混乱の中で、女性たちが取り残された場合もあった」(同書)
10 日本政府によって明記されたように、これらの事実は、いわゆる「慰安婦」は民間 で経営されていた売春宿で「働いて」いたのだとする日本政府の一貫した主張に反して、 その多くは当時まだ子どもだった女性たちが、実際に日本軍によって直接、ないし日本軍 の全面的な理解と支援を得て、レイプセンターの奴隷にされていたことをはっきりと示し ている。こうした「慰安所」内に意志に反して拘束された女性や子どもたちは、そこで大々 的規模のレイプや性暴力にさらされたのであり、この犯罪の性質を適切に述べるとすれば 人道に対する罪としか言いようがないだろう。
III 実体法としての慣習的国際法の一般的規準
11 本付属文書では、第二次大戦中の日本政府と日本帝国軍による「慰安婦」の奴隷化
に適用可能な慣習的国際法の規範について考慮し、とくに奴隷制、戦争犯罪としてのレイ
プ、人道に対する罪を禁じた慣習的国際規範に焦点をあてる。
A 奴隷制と奴隷売買
12 奴隷制と奴隷売買が「慰安所」がつくり出されるはるか以前に禁止されたことは間違いない。第二次大戦後のニュルンベルグ裁判は「それまでは...国際法の言外に含まれて いたこと、すなわち...一般住民に対する皆殺し、奴隷化、追放は国際犯罪であることを明 確にし、あいまいさをなくした」にすぎない。11)事実、とくに奴隷制禁止は明らかに強 行法規(juscogens)としての地位を獲得している。12) 従って、第二次大戦中に日本軍が アジア全域で女性を奴隷化したことは、当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明ら かに違反していたのである。
13 19世紀に入るまでには、多くの諸国がすでに奴隷の輸入を禁じていた。13)この禁 止にともなって、数多くの国際協定が結ばれることになり、諸国はこれらを通じて奴隷制 と奴隷売買に終止符を打つ道を求めたのである。14)1855 年という早い時点で国際的な仲 裁が行われた事例では、奴隷売買は「すべての文明国で禁止されており、また諸国の法律 にも反する」と断定された。15)1900 年になると、基本的形態の奴隷制はほとんどの国で ほぼ全面的に根絶された。16)1872 年という時点で奴隷制犯罪を犯したペルー人業者らに 有罪判決を下した事件で、日本は実際上、歴史始まっていらい奴隷を禁じてきたと断言し たらしいことは注目に値する。17)
14 1932年までには、奴隷売買、奴隷制ないし奴隷に似た状況を撤廃する国際協定は少 なくとも20は締結されていた。18) 1944年の代表的諸国をみると、文字通りすべての 国が奴隷制を禁止し、その中には日本も入っていた。19) 第二次大戦前に奴隷に対する国 際的非難が広まったため、国際連盟は 1926 年に奴隷禁止条約を締結するにいたり、奴隷制 の定義を「一人の人に対し所有権に付随する一切の、ないしすべての権力をもつ立場ない し状況である」としたが、この条約は少なくとも第二次大戦の時点では慣習的国際法を明 確に宣言していた。20)
15 奴隷制禁止の慣習的性格は、戦争のルールの下に置かれた一般人の処遇を律する法 律にも同様に見て取れる。今世紀に採択された戦争法に関するもっとも基本的な国際条約 のひとつは 1907 年のハーグ条約 No.4 であるが、ここでは一般人と敵とを奴隷化や強制労 働から守るという重要な項目が入っている。さらに、第二次大戦後、ナチの戦争犯罪者を 裁いたニュルンペルグ裁判の判決も、第二次大戦の時点で 1907 年のハーグ条約が慣習的国 際法として明確に宣言されていたことを確認している。21)
16 ニュルンベルグ軍事裁判の公式条例第6条(c)に基づいて、連合国は数多くの戦犯に 「戦争犯罪」で有罪判決を下した。とくに、ニユルンベルグ条例の戦争犯罪には、「占領地 の一般人を奴隷労働やその他の目的で虐待したり追放すること」も含まれていた。極東国 際軍事裁判の条例第 5 条(c)にも同様の言葉が含まれている。これら国際法の成文化に基づ き日本とドイツの戦争犯罪者に対する訴追が、以前から存在していた規準をはっきりと基盤にしていたことを、改めて認識することが重要である。22)その中には、第二次大戦後 以前から奴隷制を明確に禁じていた規準も含まれるのである。23)
B 戦争犯罪としてのレイプ
17 戦争法は奴隷制と共にレイプと強制売春も禁止していた。戦争のルールに関する初 期の権威ある資料はいくつかあるが、中でも特筆すべきは 1863 年のリーバー条約で、ここ では戦時中の女性に対するレイプや虐待を明確に禁止している。24)さらに、第二次大戦 後、強制売春やレイプの罪も加わって訴追された人は非常に多く、こうした行為はいっそ う明確に違法として確立した。25/1907 年のハ一グ条約規則はさらに、「家族の名誉と権利 は...尊重されなければならない」とした。26)第 4 ジュネーブ条約第 27 条は、慣習的国際 法を確認しかつ先のハーグ条約の「家族の名誉」を組み込んだものと見なされており、27) 事実、「女性はとくに自らの名誉に対する攻撃、とりわけレイプ、強制売春ないしあらゆる 形態の猥褻な暴行から守られるべきである」と明言している。レイブを暴力犯罪というよ りも女性の名誉に対する犯罪として性格づけているものの、少なくとも最初の「慰安所」 が設立された時点ですでに、レイプや強制売春が慣習的国際法の下で禁止されていたこと は十分立証されている。28)
C 人道に対する罪
18 人びとを広範囲に、ないし計画的に奴隷化することは人道に対する罪であるという
認識は、少なくとも半世紀前からあった。武力紛争との関連はもはや人道に対する罪に必
要な要素とはみなされなくなっているとはいえ、武力紛争下で行われるこうした罪はとく
にその犯罪性が強い。
19 ニュルンペルグ条例第6条(c)と、第二次大戦後ドイッの戦犯に対する国内の訴追を 推進するためにつくられた管理会議法 No.10 は「一般住民に対する奴隷化、追放その他の 非入道的行為」を人道に対する罪としてあげている。同様に、東京で行われた極東国際軍 事裁判の条例第 5 条も、奴隷化、奴隷労働につかせるための追放その他の非人道的行為を 人道に対する罪としてあげた。
20 奴隷化に加えて、広範囲ないし計画的なレイプ行為もまた、ニュルンペルグ条例や 極東国際軍事裁判条例に含まれた人道に対する罪の従来の枠組みにおける「非人道的行為」 の範疇に入る。29)人道に対する罪に関する最近の成文化では、「その地の非人道的行為」 という副次的規定に依存せず、国内ないし国際的武力紛争下、で一般住民に対して行われ た場合のレイプを、明確に人道に対する罪と規定している。こうした人道に対する罪の最
近の成文化としては、旧ユーゴスラビアに対する国際刑事裁判の付属文書第 5 条およびル ワンダに対する国際裁判第 3 条などがある。いずれも奴隷化とレイプを人道に対する罪と して明確に記載している。
21 計画作成、政策ないし立案した証拠が一般的に人道に対する罪の訴追に必要な要素 とみなされているが、30)、広範囲の侵害を前に行動を起こせなかったことも、必要条件の 要素を確立するに十分なものとなりうる。31)これに加えて、一定の地位を保持する軍人 や民間人も、人道に対する罪の責任を問われるであろう。
IV.実体法の適用
22 「慰安婦」の扱いは通常の「奴隷制」および「奴隷売買」に関する慣習法の範疇に 入るのであって、1926 年の奴隷禁止条約が定義する奴隷制、すなわち「一人の人間に対し て所有権に伴う一切ないしすべての権力をもつ地位や状況」に合致する。先に見たように、 日本政府自身が認めるところによれば、女性たちは「自由を奪われ」「自分の意志に反して 徴集された」のである。
しかも、中には売買された女性もおり、古典的な奴隷制の型に容易にあてはまる。だが、 金銭のやり取りは奴隷制の唯一のしるしではないし、もっとも重要な点でさえない。「慰安 婦」が自主性を著しく奪われていたこと、したがって日本軍による彼女たちの扱いが人的 財産としての扱いに近かったことから、奴隷状態という犯罪責任はこの犯罪行為の実行者 およびその上司の双方に帰することは明白である。繰り返すが、「慰安婦」という特定の事 例では、日本政府自身の調査で女性たちがどの程度個人的自由を奪われていたか、軍隊と その装備とともに戦争地域を出入りしながら移動したこと、自らの性的自立を否定され、 軍隊を性病から守ろうとする努力によって、人的財産として自分たちの生殖に関する健康 に忌まわしい規制が加えられていたことを浮き彫りにしている。
23 限られた場合だが、奴隷制の定義に法律的にあてはまらないと日本政府が主張しう るとしても、「慰安婦」がそれでもレイプされ、少なくとも許容しうる「強制労働」に合致 しない状態の下で戦争地域に止めおかれていたことははっきりしている。32)強制売春と レイプに関しては、その行動が多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたことを日本政府は 認めている。はっきりと認めていないとしても、女性が受けた傷に日常的なレイプや強制 的性行為が含まれていたことは明らかである。従って、こうした行動は戦争法の侵害にあ たるレイプと強制売春に容易にあてはまる。
24 こうした犯罪が大々的な規模で行われ、日本軍がレイプセンターの設立、維持、管 理に関与していたことから、「慰安所」に関わったりその責任者であった日本軍将校も同様
に人道に対する罪の責任を問われるであろう。結果的に、日本政府自身もまた、日本軍の
行為によって苦しめられた女性や少女たちの傷に、補償を行う責務を引き続きもっている
のである。
V.日本政府の弁論
A 法律の遡及的適用
25 ニュルンベルグ裁判では、被告と一部の解説者が、人道に対する罪の訴追は適法性 の原則(nu11um crimen sine lege)に反すると異議申し立てを行った。なぜなら、この犯罪 は本裁判で新たに定義されたものであり、従って彼らがこれを行った時点の国際法には違 反していないというのである。33)アジア全域で「慰安婦」をレイプし奴隷化した日本の 行為は慣習的国際法の違反だとする元慰安婦の申し立てに対し、日本も同様の主張を展開 している。34)
26 先に論じたように、第二次大戦中の日本軍の行為は、当時は禁止されていなかった レイプや奴隷状態という国際犯罪が、第二次大戦中の慣習的規範として明確には禁止され ていなかった時期に行われた犯罪だとする日本政府の主張は、容易に論駁される。これと 同じ主張は 50 年前のニュルンベルグ裁判で最初に提起されたが、その時も説得力を持たな かったし、先に述べた理由から今日でも説得力を持たない。
B 奴隷制の禁止
27 奴隷制を禁じた慣習的国際法は第二次大戦の時点では明確に確立しており、第二次 大戦終結後の刑事裁判の準備として慣習的国際法を成文化した東京とニュルンベルグの裁 判条例に含められた。慣習的国際法として、奴隷制禁止は戦争法の下で適用可能であるし、 武力紛争の性質ないし紛争の存在さえ関係なく、実体的侵害として独自に成立しうる。
C レイプと強制売春
28 「慰安婦」は1907年のハーグ条約No.IVの「家族の名誉」という言葉で守られると する解釈を、日本政府はこの条約を「一般原則を定めたにすぎず、条約参加国が武力強制 労働に対する指示という形で国内法として受け入れるものである」と主張して論駁しよう としてきた。35)レイプという行為はハーグ条約でも第二次大戦中の戦争法でも明確に禁 止されていなかった、というのが本質的に日本政府の主張である。先に論じたように、ハ ーグ条約を戦争法として適用される慣習的国際法として認め、武力紛争下での一般人に対するレイプの国際的禁止を確認するその他の戦争法によって、この解釈が誤りであること が示される。その結果、「家族の名誉」という言葉に含まれるレイプの禁止は、第二次大戦 中の国際法の拘束力のあるルールとなったのである。
D 韓国・朝鮮の立場
29 日本はまた、朝鮮人女性は奴隷化とレイプを禁じた慣習的国際法によって守られて いなかったという理由で責任を否定しようとした。.こうした規範は戦争法に基づくもので あり、占領地の一般住民のみを保護するのであって、自国の一般住民を対象にしていない というのである。問題の時期に朝鮮は日本に併合されていたのであるから、そうした規範 は朝鮮人女性には適用されないという議論である。
30 こうした状況下でも日本は責任を免れないのである。上述したように、奴隷制に関
する禁止は単に戦争犯罪だけを基盤にしているのではない。戦時と平時に適用可能な慣習
的国際犯罪として、また人道に対する罪として、こうした行為は犯罪が起こった時点で朝
鮮半島が領土的にどういう立場にあったにしろ、慣習的国際法のゆゆしき違反としてはっ
きり禁止されていたのである。その結果、こうした規範は、占領地の一般住民であろうと
なかろうと朝鮮人女性にも同じように適用される。
VI.救済(REDRESS)
31 慣習的国際法の下で、日本政府は「慰安婦」に対しておかした虐殺行為の賠償を支 払わなければならない。賠償は元「慰安婦」に対する日本政府による個人的補償の形を取 るぺきである。あるいは、元「慰安婦」であった自国民に代わって国が補償を求めること もありうる。その場合、これらの諸国は苦しみをなめた被害者に基金が配分される仕組み を確立する必要がある。これに加えて、上述したように、レイプセンターの設立と維持と いう犯罪行為に対して訴追されるべきである。(訳註:redress 不当な状態を補償などで正 当な状態に戻すこと。reparation 加えられた不当行為や損失に対する賠償や償い、道徳的 償い。)
A 個人的犯罪責任
32 不法行為を行った個々の日本軍将校や兵士は、自分たちが引き起こした損害につい て個人的に責任がある。すでに 50 年を経た今でも、十分な証拠さえあれば個々人は法に照 らして裁かれるべきである。
33 こうした訴追はこれまで長年にわたって行われてきた。1946年、インドネシアのバ タビアでオランダ政府が行った臨時軍事裁判は、強制労働とレイプの目的で少女たちを誘 拐した罪で9名の日本兵を有罪にした。35) 同様に、フィリピンの軍事裁判も日本人将 校 1 名をレイプの罪で有罪とし、終身刑を宣告した。37)慣習的国際法を適用したニュル ンベルグ裁判と東京裁判も、個々の軍人、その指揮官、およびドイツと日本両国政府に対 し、戦争犯罪と人道に対する罪を犯した責任があると判決を下した。1946 年の国連総会は、 同年 12 月 11 日の決議 95(1)で、国際軍事裁判条例と極東国際軍事裁判条例に明記された 国際法の諸原則は、国連加盟国全体が認める慣習的国際法であることを再確認した。
34 さらに、サンフランシスコ条約第11条は、日本の内外で行われた極東国際軍 事裁判(IMTFE)とその他の連合戦争犯罪裁判の判決を日本が受け入れるべきであることを 規定している。加えて、ニュルンベルグ条例は「人道に対する罪」について新しい言葉を 用いたとはいえ、実際に新しい法律を作ったり、それまで慣習的国際法の下で許されてい たものを不法行為にしたのではない。オヅペンハイムは次のように述べている。
「戦争法は全面的に、国家のみならず、武装部隊の一員であるなしにかかわら ずその国民に対してもも拘束力をもつという仮定に基づいている。1945年8月 8 日の協定に付けられた条例は何ら新しい事柄を含むものではなく、ヨーロヅ パの枢軸国の主要戦争犯罪人に対する処罰として、戦争犯罪そのものと人道に 対する罪といわれるものに関する個人的責任を定めた限りである...」38)
こうした先例の下で、個々の将校がその罪を罰せられうるし、罰せられるべきであるこ
とは明らかである。
35 個々の兵士の責任に加えて、軍や政府当局者もまた、その指揮下にあった兵士や将 校による「慰安所」の設立と維持に責任がある。命令責任の原則は、以下の場合、部下が やった違法行為の責任は上司にあるとする。(a)そうしたことが行われるだろうと知りなが ら、ないし知る理由がありながら、防止に何らの手も打たなかった場合;(b)そうした行為 が行われ、上司として再発を防ぐ措置をなんら講じなかった場合。39)このドクトリンが 初めて用いられたのは、米国の軍事委員会裁判の国際的訴追の基盤としてであって、その 結果日本人の山下奉文将軍がフィリピン人とアメリカ人の捕虜数万人を殺したとして有罪 になった。だが、このドクトリンを強調する諸原則は、少なくとも第二次大戦の時点です でに登場したのであり、この時にペルサイユで採択された勧告で、ドイヅ皇帝は戦争犯罪 で裁かれることになったのである。その理由は、皇帝と指揮官らは「戦争中に(部下たちに よる)野蛮な行為を少なくとも軽減できたはずだ」というものだった。40) 解説者は命令責 任の根拠を 15 世紀のフランスや、41)さらに紀元蔀 19 年のローマ帝国にまでさかのぼって いる。42)この原則は、ニュルンベルグ裁判のいくつかと、1969 年にベトナムで起きたソンミ虐殺事件に対し、戦後米国で行われたメディナ大佐の裁判できわめて明確に述べられ
ている。いずれの訴追も既存の慣習的規範を適用したことに注目すべきである。
36「慰安所」の設立と経営に日本軍が広範囲かつ計画的に関与していたことから、日本 軍の上級将校が「慰安所」の存在を実際にせよ推定にせよ知っていたにちがいないのは確 かである。「慰安所」に関わったり責任を持った中間クラスの日本人将校が「上からの命令」 だったと主張して犯罪責任を免れることはできないのも重要な点である。そうした主張は 実際に課せられる罰則の軽減としかみなれない。43)
37「慰安所」制度の実施責任者の刑事訴追を行うには、日本がもっとも適した場所であ ることは明らかである。1994 年、韓国の女子挺身隊閤題協議会は 27 名の元慰安婦ともど も、「慰安所」運営に関わった日本人軍将校その他の刑事訴追を求めて東京地方検察局に提 訴した。44)日本政府はこの提訴を緊急の問題として扱い、軍のレイプセンターを運営し たり頻繁に利用した個人の生存者を告発するよう努めるべきである。
38 奴隷制、人道に対する罪、戦争犯罪にかかわる事件は普遍的裁判権の原則によって、 いかなる国であってもそうした普遍的に非難される犯罪を犯した者を捕らえ、訴追するこ とを認めている以上、他の国の裁判所でも審理することが可能である。45)にもかかわら ず、国際法は普遍的裁判権の行使を認めている一方で、実際に訴訟を行うには新たな法的 権限を与える国内立法が必要である。46)例えば、カナダでは刑法第 7 節(3.71)がその法 的基盤となっており、これによってカナダ国外で人道に対する罪や戦争犯罪を犯した者は 誰であれ、カナダで罪を犯したとして裁かれうるのである。47)この条項の下で最初に試 みられた訴追では、ナチの命令でユダヤ人に対する強制監禁を助けたハンガリーの元憲兵 隊員が被告であった。48)その地の裁判権も、「慰安所」に関与したり責任を持った日本軍 や日本政府当局者を国内法廷で訴追するために必要なすべての手段を講じなければならな い。その中には、国内法がこうした犯罪の裁判権を与えていることや、被告に対する法的 援助と通訳を用意することが含まれるが、それだけに限られるものではない。
39 今日の時点で個々の将校や指揮官を有罪にすることに関して、時間的な制限はまっ たく受けない。人道に対する罪や戦争犯罪はいかなる出訴期限法の下にもおかれるべきで はない。時間の経緯によって消滅するものではないのである。実際、1953 年、犯罪に関す る国際裁判権に関する国連報告書(A/2645)は、現在の国際法では出訴期限法は存在しない と明言している。49)バービー裁判でフランス最高裁判所も同様に、慣習的国際法は人道 に対する罪には出訴期限法を認めていないとした。50)加えて、条約法は戦争犯罪や人道 に対する罪といった国際法のゆゆしき侵害の主張は、出訴期限法の下で妨げられることは ないことを確認している。
40 たとえ出訴期限法が有効であると考えられるとしても、新しい資料的事実が最近に なって明らかになった状況にはあてはまらない。「慰安所」に関して日本が初めて公式に聴 取したのは 1992 年になってからであり、日本政府は 1993 年に至ってようやく「慰安所」 の設立と運用に日本軍が関与したことを認めたのである。「慰安婦」が自らの要求を適切に 提出する道を阻まれ、レイプセンターの設立と維持に日本軍が関与したことを日本政府が 十分に認めなかったという特別の状況に照らして、出訴期限法の適用は日本政府が認めた 1992 年から始まるとするのが、法の利の要求するところである。
B 国家責任と補償責任
41 第二次大戦以前、政府および「政府の命令ないしその認可を受けて下級要員や民間 の個人が行った行為」に対する国際法違反の責任が、「本来責任」の理論の下で政府とその 当局者にあったことは明かである。51)国際法違反に本来責任がある国家は、「国際的犯罪」 を犯したのである。「国際的犯罪」とは、「国家元首ないし政府が国際的な法的責務に違反 して他国に損害を与えること。元首や政府に命令され、ないし認可を受けて当局者やその 他の個人が行う行動も、元首と政府の行動に等しい」とされる。52)だとすれば、「当局者 が認可を受けていないとしても通常の義務の範囲で行った相手に損害を与える行為に対し、 賠償を支払う」責任が国家にある。53)従って、国家の領土内にいる外国人に対し国家要 員が権利侵害の行為を行った場合、国家はこれを命じた責任があるとみなされる。かくし て、日本は軍やその要員による行為に責任があるのであって、そこには日本軍の要請を受 けて「慰安所」を運営しそこから利益をあげていた民間の個人もふくまれるのである。54)
42 日本政府はまた、「慰安婦」に加えられた危害を阻止できなかったことについて責任 がある。慣習的国際法の下では、国家は外国人に対する危害を阻止すべく行動しないこと について責任を間われる。1907 年のハーグ条約 No.IV 第 3 条は、第二次大戦当時の慣習的 国際法を反映しており、条約の条項に違反した条約加盟国は、その違反に対し補償を支払 う責任があるとともに、「その武装勢力の一部をなす者たちが行ったすべての行為に責任が ある」と規定している。この責任と補償の原則は、上級者責任の原則の国内法への延長と して述べられているのであった、国家にその軍隊の行為に対し責任を負わせるものである。 55) ハーグ条約第 8 条に従って、各国は甚だしい人権侵害、基本的自由の農害を阻止し、 調査し、罰する義務がある。従って、日本政府は他と関係なく「慰安婦」に対する危害を 阻止せず、加害者を処罰しなかった責任がある。56)
43 これらの法的ルールは少なくとも1920年代にまでさかのぼる。例えば、1927年、 メキシコ革命のさなか、夫を殺された女性の裁判(ジェインズ裁判)で、一般的補償要求委員会は殺人を犯した者を逮捕し訴追しなかったメキシコ政府に補償責任があるとし、未亡 人が受けた損害の補償支払いを裁定した。57) 同委員会の述べたところによれば、メキ シコ政府は「加害者をきちんと訴追し、適切に処罰する義務を怠った責任があった」58) この裁定で、国家が違犯者を処罰しなかったのは犯罪行為を承認したものとみなし、政府 は殺人そのものに共謀したことになるという見解を委員会ははっきり退けた。その代わり に、外国人に対する加害者を国家が訴追も処罰もしないのは、国家による別個の犯罪だと した。従って、損害には、ジェインズの死に対する補償的損害賠償(compensatory damages= 通常の損害賠償)と、処罰の欠如からくる侮辱という家族に対する損害の両方が含まれるの である。59)
44 日本政府はさらに、従来の国際法は個人と国家の関係よりもむしろ、諸国家間の関 係を規制するものとみなされており、個々の「慰安婦」が日本に対し補償償要求すること はできないと主張し七きた。60/だが、この主張には価値がないことは明白である。1920 年代末には国際法で、一国が他国の国民に害を与えた場合、その外国に害を及ぼしたので あって、それゆえ害を受けた個人すべての損害に責任があることを認めていたからである。 そのうえさらに、個々人は「国際法で授与された権利と国際法が課す義務の対象」である ことも国際法で認められている。61)
1 個人補償
45 「慰安婦」は自分たちの信念として、日本政府が個々人に対し誠意ある謝罪を行う こと、日本政府と軍司令部の参加を認めること、国際法違反の本質と程度とを認識するこ と、個々の被害者に対する補償を行うべきだと表明している(E/CN.4/1996/53/Add.2 参照)。 先に見たように、個人は国際法の対象ではないとする日本政府の主張は、国際法のいくつ かの資料と矛盾する。その中に含まれるのは、1907 年のハーグ条約 No.IV、1919 年のパリ 平和条約(ベルサイユ条約)、東京戦争犯罪裁判条例および慣習的国際法である。こうした さまざまな法的文書や理論は、菌際法違反に対する賠償支払いを各国の責務として明記し ている。これに加えて、テオ・バンボーベンがその調査報告で記したように、国際的義務 に違犯した国家の責任は、個人の側にも同じようにそうした違犯の補償を受ける権利があ ることを示唆している。例えば、ベルサイユ条約は個人がドイツに対し損害賠償を請求で きると規定した。
46 とりわけ、ハーグ条約第3条は、「当初から、法規に違犯した行為の結果、被害を受 けた個人に損害賠償を請求する権利をあたえること」を「主たる目的」としていた。62) この言葉は第 3 条には表明されていないとはいえ、「同条の草案作成の跡をたどれば、まさ にこれが目的であったことは疑闇の余地がない」63)「償い・賠償(repapation)」という言葉は、損害賠償(restitution=正当な所有者へ奪ったものを返還すること),補償 (indemnity)、金銭的補償、過誤の償い(satisfaction)といった形を取りうるが 64)、「第 3 条は具体的かつ一貫して補償(comensation)という言葉を使っている。65)これは「損害を 埋め合わせるために一定の金額を支払うという意味である...」66)つまり、r ごく一般的 な償い(reparation)ではなくこの用語を使った点にも、第 3 条の起草者たちが個々人、戦 争法の被害者で自分が受けた危害や損害の補償要求をしたいと思っている人びとを念頭に 置いていたことの表れといえるだろう」67)
47 なおその上に、常設国際司法裁判所(PCIJ)が1927年、ホジェーフ工場裁判で下した 裁定は、国際法違反の行為以前の状況が回復できない場合は(すなわち、財産が戻らない場 合は)、補償が支払われるべきだと断言した。68)「慰安所」の被害者の地位を違犯以前に 戻すことは不可能である以上、補償は支払われなければならない。その他の PCIJ の裁定も 同様に、民間の個人に対する補償を含む国際法上の権利の存在を確認している。69)実際、 日本自体も国際法違反に対する個人補償の必要性ではないとしても、その可能性を認めた のである。日本が連合国の一部と締結した協定は、国家の賠償請求にのみ触れた韓国やフ ィリピンと結んだ協定とは異なり、とくに個人的補償に言及している。70)例えば、ギリ シャと日本の協定、英国と日本の協定、カナダと日本の協定はいずれも「戦争状態の存在 に直面して起きた個人的な損害や死は...国際法に従って日本政府に責任がある j として、 補償条項を盛り込んでいる。71」とくに政府が先に認め、、多くの条約で実施されてきたこ とに照らせば、個人補償は政府による違犯の賠償として認められないとする政府の主張は 信頼できるものではない。
48 要するに、個々の「慰安婦」は日本政府と日本軍によってつらい目に合わされたこ
とに対し適正な補償を求める権利がある。
2 補償を求める民事訴訟
49 日本政府には今もなお法的義務があるが、これに沿って適切な行動をとらないとな
れば、生存する「慰安婦」は裁判所に補償を求める民事訴訟を起こすことができる。提訴
は日本の裁判所でも、日本の裁判所が妥当な補償を与えない場合はその他の裁判所でも可
能である。加えられた危害の性質と規模からして、時間の経過にもかかわらず、こうした
補償は追求されるべきである。
50 「慰安婦」の悲劇に関連する民事訴訟を起こすには、日本がもっとも適した場所で あることは明かである。山口地方裁判所の下関支部が 1998 年 4 月、「慰安婦」に対する日 本政府の責任に関して下した裁定は、一部の女性たちが日本の法廷で最終的には法的補償を認められる可能性を示したものとして歓迎される。72)この最近の裁判では、日本の地 方裁判所は日本政府には慰安婦の補償のための立法を行う義務があるとし、さらに「長年 慰安婦を無視してきたことによって、被告である国(日本)は苦しみをさらに悪化させ、新 たな損害を与えた」としている。73) 同裁判所はさらに次のように述べている。
「この裁判で提出された事実を調べてみると、慰安婦制度はきわめて性差別主 義的、人種差別主義的であり、女性を辱め、人種的誇りを踏みにじる制度であ って、日本国憲法第 13 条に表明された中心的価値に関連する基本的人権の侵害 とみなしうる」74)
51 この裁判所判決は結論として、日本政府に責任ありとして、大韓民国の国民である 3 人の女性たちにそれぞれ 30 万円(約 2、300 ドル)の支払いを命じた。75)その他、フィ リピンと韓国 76)、オランダ 77),中国 78)および在日朝鮮・韓国人の市民グループが日 本で提訴した裁判もいくつかある。79/最初の提訴は 1991 年に行われ 80)、1996 年 7 月の 時点で少なくとも 6 つのグループが提訴している 81)。
52 日本で得られる補償が適切でないとなれば、「慰安婦」はこうした犯罪の裁判権を認 めている他の国々の裁判所で補償を求めることもできるだろう。例えば、アメリカでは外 国人不当行為賠償請求法(ATCA)の下で、国内法ないし米国の条約法に違犯する不当行為に 対しアメリカの裁判所で民事訴訟を起こすことを認めている。この方法は「慰安婦」が補 償を得る可能性のある裁判所として積極的に活用すべきである。
3 補償要求の調停に関する協定
53 補償支払いの責任を否定する一方で、日本政府はその代わりに、補償請求はいずれ にしろ敵対行為の終結に続いて日本が締結した平和条約の運用を通じて、解決ないし撤回 されたと主張する。韓国の国民の主張に関しては、日本政府は 1965 年の日韓条約第 11 条 に依拠している。同条によれば、「両締約国およびそれぞれの国民(法人を含む)の財産、権 利および利益に関する悶題、および締結国とそれぞれの国民の間の賠償請求に関する問題 は...完全かつ最終的に解決した」ことで両国は合意している(強調は筆者)。
54 その他の国民に関しても、日本政府は同様にすべての賠償請求は1951年9月にサン フランシスコで締結された日本と連合国の間の平和条約によって解決ずみだと主張した。 この条約の第 14 条は旧連合国に対する日本の賠償をとくに限定して述べている。第 14 条 はさらに、この条約に示されていない賠償請求に関してはすべて権利を放棄するという条 項も含んでいる。日本はこの権利放棄の条項に依拠して、同条約は元「慰安婦」の要求を禁じていると主張する。権利放棄の条項(第 14 条(b))には次のように書かれている。
「本条約で規定されている場合を除いて、この戦争の遂行の間に取られた日本
および日本国民による行動から生じる連合国のすべての賠償請求、連合国とそ
の国民のその他の請求、占領という直接の軍事的損害に対する連合国の賠償請
求を、連合国は権利放棄する」
55 これらの条約によって責任を回避しようとする日本政府の意図は、ふたつの点で失 敗である。(a)レイプセンターの設置に日本が直接関与していたことは、条約が書かれた時 点では隠されていた。これは、これらの条約に依拠して責任を回避しようとする日本の試 みを衡平の原則適用の理由から禁じる決定的事実である。(b)条約の平易な言葉は、人権な いし人道法に違反して日本軍が加えた損害に対する個人的補償要求を排除する意図はなか ったことを示している。
56 これらの条約やその他の戦後の条約が調印された時点で、日本政府は「慰安婦」に 対する日本軍の関与や恐資べき扱いがどの程度だったかを隠していた。82)戦争中、女性 たちが奴隷化されレイプされていたことは韓国・朝鮮、フィリピン、中国、インドネシア では広く知られていたことは明らかだが、日本帝国軍が組織的に関与していたことを、日 本は戦後になって隠し続けたのである。こうしたレイプセンターの登場については、日本 軍よりもむしろ民間の「業者」が疑われ、その責任とされることが多かった。
57 日本政府がこれだけ長い間、この犯罪への加担を隠し続け、実際にその法的責任を
否定し続けてきた以上、戦後処理協定その他戦後の条約が「慰安婦」に関わるすべての賠
償請求を解決することを意図したとする日本の主張は適切なものではない。当時、日本軍
が直接関係していたと思われていなかった行動に対する賠償請求を、調印者たちが解決し
ようと企図したはずがない。
58 日本と韓国は1965年の日韓基本条約で、請求権・経済協力協定を締結したが、その 語句から両国間の「財産」請求を解決するのは経済協定であって、人権問題は扱わないこ ともまた自明のことである。83/条約は「慰安婦」、レイプ、性奴隷制その他、日本人が朝 鮮人住民に加えた残虐行にはまったく触れていない。むしろ、この条約の諸条項は両国の 財産ならびに商業関係に言及している。事実、日本の交渉担当者は話し合いの中で、、日本 人が朝鮮人に加えた残虐行為に対し、日本は韓国に支払いをする約束したと伝えられる。 84)
59 さらに、韓国側の代表が日本に提出した請求の概要から、「条約交渉は、戦争犯罪、人道に対する罪、奴隷禁止条約の違反、女性の売買禁止条約ないし慣習的国際法の違反が 招いた個人的権利の侵害にはまったく関わっていない」ことは明らかである。85)しかも 日本は西側諸国との条約では明確な謝罪を表明し、個人的な損害補償の支払いに応じてい る一方で、韓国・朝鮮入にはそのようにはしなかった。86)従って、基本条約第 11 条の「補 償要求(claim)」という用語の一般的用法は、この事実関係に照らして読む必要がある。基 本条約の下で日本が支払った資金は明らかに経済的な損害賠償のみを意図したものであっ て、日本の残虐行為の被害者に対する個人的補償ではない。そうしたものとして、1965 年 の条約は、表面上は包括的な言葉が使われているが、両国間の経済的、財産上の補償要求 だけを失わせたのであって、個人的要求は無効になっておらず、日本はいまなおその行動 に対し責任を負わねばならないのである。87)
60 先に見たように、1951年の平和条約第14条(b)の平明な言葉は、戦争中の日本およ び日本国民が取った行動から生じる連合国およびその国民の側の「償い(reparation)」要 求とその他の補償要求をすべて権利放棄している(強調筆者)。「償い(reparation)」要求と 「その他の補償要求」を区別することで、この条文ははっきりと権利放棄は連合国国民の 補償(compensation)には適用しないことを示している。権利放棄として意図されている償 いは連合国自身のそれのみである。権利放棄で考えられている連合国国民の補償要求 (claim)は、「償い(reparation)」以外のもののみである。従って、元「慰安婦」による補 償(compensation)要求は、条約で論じられている請求の範疇に入らないのであるから、権 利放棄によって阻止されるものではまったくない。
61 加えて、中国は1951年の条約の調印国ではないが、この条約は戦後の日本と中国の 権利とを論じている。興味深いことに、条約第 21 条では中国が第 14 条(a)(2)の下で利益 を受ける資格があると述べている。ここでは日本が負うべき具体的な補償について述べて いるが、中国が第 14 条(b)の権利放棄条項の対象だとは明言していない。権利放棄が中国 に適用されないところから、中国国民が日本からの補償を求めるのは条約上できないとす る日本政府の主張にはなんら基盤がない。
62 さらに、1965年の戦後処理条約と同様、日本政府が1951年の平和条約の時点で慰 安所の設立、維持、規制のすべての面で日本軍がどこまで関与していたか、日本政府が明 らかにできなかった時に、日本がこの条約に依拠して責任を回避しようとするのを阻むの が衡平の原則適用と法の利に適うことである。88)もうひとつの衡平の原則適用として、 強行法規(jus cogens)の規範を引き合いに出せば、こうした基本法に違反したとして告発 された国家は、単なる専門用語の使用によって責任を回避するのは許されてはならない。 そして、いずれにせよ、明確に衡平と正義の利害に適う行動を促進するために、自分たち が利用できる条約に基づく責任回避の弁護を日本は常に自発的に拒絶することができるのだと、強調しなければならない。
C. 勧告
1 犯罪の訴追を保証する一定の手続きの必要性
63 日本のレイプセンター設立における日本軍の行動と明白に結びついた虐殺行為の責 任者を、日本やその他の管轄区で訴追するために、国連人権高等弁務官が働くべきである。 今日生存している「慰安所」の責任者をすべて捜し出し、訴追する義務を日本が必ず十分 に満たすよう保証するのは国連の責務であり、他国もまた同様に他の裁判権で加害者を逮 捕、訴追するようできる限り助力する責務がある。それゆえ、高等弁務官は日本の当局者 と共に、以下のために努力すべきである。(a)第二次大戦中、日本のレイプセンターを設立 し、支援したり常に出入りしていた可能性のある個々の軍人や民間入についての証拠を集 めること 1(b)被害者へのインタビユー;(c)日本の検察局への提訴を準備すること;(d)加 害者をそれぞれの裁判管区で確認し、逮捕し起訴するために他の諸国や生存者の組織と協 力する;(e)それぞれの裁判区でこうした r 訴追ができるよう、各国を助けて立法化を進め る。
2 法的補償を行うための一定の手続きの必要性
64 1995年のアジア女性基金の創設を、小委員会は他の国連機関とともに「歓迎」した。 アジア女性基金は 1995 年 7 月、「慰安婦」に対して道徳的責任を感じた日本政府によって 創設されたものであり、「慰安婦」が必要としている事柄に取り組む NGO の働きを支援し、 生存する「慰安婦」のための「償い(atonement)」金を民聞から集めるところとして機能す ることを意図している。89)だが、アジア女性基金は「慰安婦」の悲劇の犠牲者である女 性個人に公的、法的補償を行うという日本政府の責任を満たすものではない。アジア女性 基金が出す「償い」金は、第二次大戦中の犯罪に対する日本政府の側の法的責任を認める ことを意図していないからである。
65 アジア女性基金がいかなる意味でも法的補償を行うものではないため、こうした補 償を行うための新たな行政上の基金が、適切な国際的代表を加えて設立される必要がある。 これを達成するために、国連人権高等弁務官は日本政府と共に、決定を下す権限を持つ国 内外の指導者の委員会を任命し、「慰安婦」に対し公式の金銭的補償を行う迅速かつ適切な 補償制度を設置すべきである。従って、この新たな委員会は次の役割を担うものとする。 (a)類似の状況で支払われる可能性がある補償に注意を向けつつ、適切な補償額を決め る;(b)基金を公表し被害者を確認する効果的制度を確立する;(c)「慰安婦」の要求をすべて迅速に聴取するため日本に行政法廷(administrative forum)を設置する。90)さらに、慰 安婦が高齢化しつつあることに照らして、こうしたく措置はできるだけ迅速に取るべきで ある。
3 補償の妥当性
66 適切な補償のレベルは、権利侵害が重大さと範囲、頻度、この犯罪の持つ国際的性 格、国民の信頼を破った当局者の有罪性の程度、過ぎた時間の長さ(救済が大幅に遅れたこ とによる現在の金銭的価値の損失および心理的損害)などを考慮して決めるべきである。一 般に、補償は経済的に査定可能な損害すべてに適用される。すなわち、身体的、精神的損 害、苦痛、苦しみや心痛、教育を含め奪われた機会、収入や収入を得る能力の喪失、医療 その他社会復帰のための正当な費用、評判や尊厳を傷つけられたこと、および救済を得る ための法的援助や専門家の援助のための正当な費用や料金などである。こうした要因を土 台にして、これ以上遅らせることなく適切なレベルの補償が行われるべきである。91)こ のような虐待が将来起こらないことを保証するため、補償レベルをひとつの抑止力とする ことも考慮に入れる必要がある。
4 報告の必要
67 最後に、日本政府は少なくとも年に二度、国連事務総長に報告書を提出して、「慰安 婦」の確認と補償実施、加害者の処罰に関する進展を詳しく伝えることを義務づけられる べきである。この報告書は日本語と韓国語の両方を作成して、日本の内外、とくに「慰安 婦」自身と彼女たちが現在住む国々で積極的に配布する必要がある。
VII.結論
68 日本政府は今なお、人権と人道法のゆゆしき侵害、全体として人道に対する罪に等 しい侵害の責任があるというのが、本報告書の結論である。日本政府はこれとは逆の主張 を行い、その中には奴隷化やレイプを禁じた基本的人道法を攻撃しようとする議論も含ん でいるが、それは 50 年以上も前にニュルンベルグの戦争犯罪裁判で初めて提起された時と 同じく、今日でもやはり説得力を持たない。加えて、日本は戦後の平和条約や賠償協定で 第二次大戦からくる請求はすべて解決ずみだというのが日本政府の主張だが、これもまた 同じよう説得力がない。これは主として、日本政府がごく最近まで、シイプセンターの設 立や維持に日本軍が直接関与していたことを認めなかったことによる。戦争終結に伴い日 本と他のアジア各国政府との間で平和協定や賠償協定の交渉が行われていた時に、日本政 府がこの点について沈黙したことが、日本がこれらの事件での責任を消すために平和条約
に依拠するのを妨げるのである。
69 敵対行為が終結して半世紀以上もたってこうした請求を解決しえないのは、女性の いのちが今なおどれほど軽視されているかという証拠である。悲しいことに、第二次大戦 中に大規模に行われた性犯罪と取り組めないために、今日行われている同様の犯罪がほと んど罰を受けずにすんでいる。第二次大戦中「慰安所」で残酷な扱いを受けた 20 万人以上 の女性や少女に対するレイプと奴隷化について、日本政府はある程度の謝罪と償いをする 手段を講じた。しかしながら、日本政府による法的責任の容認は、そうした責任から生じ る結果と劣らず、まったく不十分である。日本は今や、適切な救済を講じるための最終的 手段の着手に取りかからなければならない。
Notes*
1) この用語は明らかに侮辱的な意味をもっており、もっぱら歴史的コンテキストにおいて この特定な残虐行為をさす用語として使われてきた。多くの点で、そのような歪曲された 用語が犯罪を叙述するのに不幸にも選択されたことは国際社会全体、そしてとくに日本政 府が不法行為の性質を過小評価するようにのぞんだ程度をしめしている。 2)日本の村山富市総理大臣の談話、Asian Women's Fund (公式プログラム説明), July 1995. 人権委員会第52会議に提出された女性に対する暴力と「慰安婦」の問題に関する日本の 政策,(E/CN.4/1996/137, annex).
3) Asian Women's Fund, ibid.
4) Ibid.
5) Karen Parker and Jennifer F. Chew, "Compensation for Japan's World War II war-rape victims", Hastings International and Comparative Law Review, Vol. 17, 1994, pp. 497, 498-499.
6) I
Ibid., p. 499 and note 6(第二次大戦中に 14 万 5000 人の朝鮮人性奴隷が死んだとい う日本の自民党国会議員荒船清十郎の 1975 年の声明を引用している)。
7) Ibid.
8)TheFirstReportontheIssueofJapan'sMilitary“ComfortWomen”, Centrefor ResearchandDocumentationonJapan'sWar Responsibility, 31March1944,pp.3-4. 9)Ibid.
10)Ibid., pp. 5-16 and E/CN.4/1996/137, annex. See also Report of the Committee of Experts on the Application of Conventions and Recommendations, International Labour Conference, 83rd session, 1996, report III (Part 4A), paras. 103-107, 114.
11) R. Jackson, The Nuremberg Case xiv-xv, 1971 (ニュルンベルク裁判についての大統 領あて最終報告を引用している)。
12)See Parker and Chew, supra note 5, p. 521 and note 135; Bassiouni, main report,
New York: Longmans Green, 1948-1952), sect. 153.
39) See Christopher N. Crowe, “Command responsibility in the former Yugoslavia: the chances for successful prosecution", University of Richmond Law Review, vol. 29, 1994, pp. 191, 192; Security Council resolution 827 (1993).
40) Crowe, ibid. ibid. (citing Report presented to the preliminary peace conference, in Leon Friedman (ed.), The Law of War: A Documentary History, vol. 1 (New York: Random House, 1972), pp. 842-853-854.
41) L.C. Green, “Command responsibility in international humanitarian law”, Transnational Law and Contemporary Problems, vol. 5, 1995, pp. 319, 320.
42) Crowe, supra note 39, p. 194.
43) See generally Anthony D'Amato, “Superior orders vs. command responsibility", American Journal of International Law, vol. 80, 1986, p. 604; The Llandovery Castle case. Judgement in the case of Lieutenants Dithmar and Boldt, Supreme Court of Leipzig, 16 July 1921. Reprinted in American Journal of International Law, vol. 16, 1922, p. 708.
44) See “Complaint”
46) Meron, ibid., p. 569.
47) See Regina v. Finta, 88 C.C.C. 3d. 417 (1994).
48) Ibid.
49) See also Friedl Weiss, “Time limits for the prosecution of crimes against international law”, British Yearbook of International Law, vol. 53, 1982, pp. 163, 185.
50) Federation nationale des deportes et internes resistants et patriotes v. Barbie in International Law Review, main report, note 70.
51) Oppenheim, supra note 38, sect. 140.
52) Ibid., sect. 151.
53) Ibid., sect. 150. 54)第三のカテゴリーの慰安所で日本軍隊が女性の取り扱いに直接責任があると言い得な い少数のケースが存在するだろう。だが、これらのケースにおいても、軍隊は、オッペン ハイムによって定立された"vicariousliability" 理論(ibid.,sect.149)、即ち「「国 家」の agents や国民、またはその国家の領土内に一時生活する外国人によって加えられた "certainunauthorized injuriousacts“に対しても責任がとわれうるという理論によっ
て、なお責任を問われうるのである。
55/ Kalshoven, supra note 24, p. 9.
56) See E/CN.4/Sub.2/1996/17; the JBFA supra note 36, pp. 22-25) has recognized that these principles impose upon Japan a responsibility to make reparations to the comfort women.
57) Janes case (United States v. Mexico), United Nations Reports of International Arbitral Awards, vol. 4, 1926, p. 82.
58) Ibid., p. 82.
59) Ibid., p. 89.
60) Views of the Government of Japan, supra note 34, pp. 2.8-32.
61) Oppenheim, supra note 38, sects. 1, 7.
62) Kalshoven, supra note 24, p. 11.
63) Ibid.
64) Ibid.
65) Ibid., pp. 12-13.
66) Ibid , p. 12.
67) Ibid.
68) Chorzow Factory (Merits), Permanent Court of International Justice (PCIJ), Judgement No. 13, Series A, No. 8-17, 1927, p. 29. See also the van Boven study. 69) PCIJ Advisory Opinion No. 15, Series B, No. 15, pp. 17-18.
70) ギリシア、英国、スイス、スウェーデン、デンマークとの協定はすべて個人的な傷害 に対する補償の規定を含んでいるが、日本がかって占領した地域との結着ではそのような 点にまったく言及されていないのは典型的である。Hsu, supra note 23, pp. 103-104. 71) Richard B. Lillich and Burns H. Weston, International Claims, Their Settlement by Lump Sum Agreements. Part II: The Agreements (Charlottesville: Univ. Press of Virginia, 1975), pp. 334, 231, 249.
72) "Claim for Compensation of Pusan Comfort Women and Women's Voluntary Labor Corps and Demand for Official Apology to the Women's Voluntary Labor Corps and to the Comfort Women", Decision of 27 April 1998 (following oral arguments of 29 September 1997), Shimonoseki Branch, Yamaguchi District Court (unofficial translation).
73)Ibid.
74) Ibid.
75) Ibid. See Dan Grunebaum, “WWII sex slaves win historic lawsuit”, United Press International, 28 April 1998.
76) Boling, supra note 36, p. 545.
77) See "Eight Dutch citizens sue Japan over war", New York Times, 26 January 1994,
p. A 9. The plaintiffs include at least one victim of the comfort stations.
78) See "Two Chinese wartime sex slaves to testify in court”, Japan Economic Newswire, 3 July 1996.
79) See Japan-based Korean ‘comfort women’testify in court”, Asian Political News, 15 July 1996.
80) See Dolgopol and Paranjape , main report, note 48.
81) See “Former ‘comfort women’testify in court”, The Daily Yomiuri, 20 July 1996, p. 2.
82) See Parker and Chew, supra note 5, p. 502.
83) See Tong Yu, “Reparations for former comfort women of World War II”, Harvard International Law Journal, vol. 36, 1995, pp. 528, 535-536.
84) See Hsu, supra note 23, p. 118.
85) See Dolgopol and Paranjape, main report, note 48.
86) See Hsu, supra note 23, pp. 103-104.
87/ See Parker and Chew, supra note 5,
report, note 48, pp. 164-165.
88/ See Yu, supra note 83, p. 535.
89/ Asian Women's Fund, supra note 2,
90/ See Dolgopol and Paranjape, main
91/ See Parker and Chew, supra note 5.
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