天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

教育者の見本ツイート

2018-07-19 16:41:25 | X





先ず始めに断っておくが、あくまでも見本であり、お手本にするには憚られるという意味での悪い見本である。

教育者を自称する方のツイートが多くの"リツイート"と"いいね"がつけられており、その内容と反応に当初は驚愕したが、リプライは批判的なものが殆んどで少し安堵もしている。

従ってこの教育者が教育者の鑑であるか否かの判断ではなく、日教組を中心とする界隈、所謂パヨク的、土下座的、自虐的な戦争の捉え方の見本という意味でもある。

では詳しくツイートを見てみよう。




中川均氏のツイート

『日本人は礼儀正しく優しい民族だから南京虐殺なんてしないはずだと感じる人は多いらしい。しかし日本軍は兵站を軽視し、食糧の輜重隊を伴わない軍隊だった。喰うためには部隊ごとに食糧を日々「調達」しなければならなかったし、ましてや捕虜を養う輜重などあるはずもなかった。盗賊と同じレベルだった』


要約すれば、『戦争を知らないくせに、日本人の印象だけで南京大虐殺は無かった、などと言うな、当時の軍隊は盗賊と同じだぞ。』である。




先ず目に止まるのが教育者だけあってあまり聞き慣れない『輜重』の語を使って若者との知識の差で信頼感を高めている点である。兵站ぐらいは知っていても輜重までははあまり目にしない。Wikiに次のような解説がある。


【兵站】
戦場で後方に位置して、前線の部隊のために、軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関。その任務。 


【輜重】
「輜重兵(しちょうへい)または輜重兵科(しちょうへいか)は、大日本帝国陸軍の兵科の1つ。 兵站を担当した。 輜重の輸送を行う雑卒である輜重輸卒(後に輜重特務兵と改称)たちを警備し、管理・統制するのが輜重兵であったが、帝国陸軍内部でも「輜重兵」と「輜重輸卒」の区別が明確に認識されていなかった。」


簡単に言えば食糧を中心に物資の輸送を担当する部門である。輸送とその警備の不明確さが後に批判されるようである。


やや批判的で嘲笑うかのようなリプを送った人がいる。さぞや頭にきたのだろう中川氏は直ぐに返信している。



ネコヤマ氏リプ

『輜重が師団編成にあったことも知らないようで。軍隊に会計がいたことも知らないようで。
"兵站軽視の極端な例に普遍性を持たせる"のが戦後の戦争語りだった。この影響をモロにうけた世代が今や老人となった。』



中川氏返信ツイート
『そんなの当たり前のことだ。近代の軍隊編成に輜重を考慮しない軍隊などあり得ない。ところが個々の作戦においては兵站を考えず、一途に猛攻して占拠しようとしたのが旧帝国軍だった。個々の作戦で兵站が充分に考慮されていたら、あんなことにはならなかった。これ常識。』



ネコヤマ氏の指摘『兵站軽視の極端な例に普遍性を持たせる』は戦後の戦争語り、つまり、
「悪辣な日本軍」=盗賊=「兵站無視」であり、
慰安婦=南京事件=盗賊=『侵略戦争』と全てが
この『侵略戦争』を導き出す普遍性なのだ。



改めてもう一度中川氏のツイートを続けて表記する。


『日本人は礼儀正しく優しい民族だから南京虐殺なんてしないはずだと感じる人は多いらしい。しかし日本軍は兵站を軽視し、食糧の輜重隊を伴わない軍隊だった。喰うためには部隊ごとに食糧を日々「調達」しなければならなかったし、ましてや捕虜を養う輜重などあるはずもなかった。盗賊と同じレベルだった。
そんなの当たり前のことだ。近代の軍隊編成に輜重を考慮しない軍隊などあり得ない。ところが個々の作戦においては兵站を考えず、一途に猛攻して占拠しようとしたのが旧帝国軍だった。個々の作戦で兵站が充分に考慮されていたら、あんなことにはならなかった。これ常識。』



冒頭の写真がどうしても盗賊に見ることが出来ないのは私だけではあるまい。



隠れないキリシタン

2018-07-16 07:25:34 | 時事

隠れキリシタンは潜伏キリシタンとも言うらしく、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」との、世界遺産として、登録の可否を事前審査するユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が「登録が適当」と打診し、登録されることが濃厚となっている。

隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いであるが
wikiにこうある。

A.強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。

B.1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者。

1が「潜伏キリシタン」で、2を「カクレキリシタン」と敢えて区別するならとしているが、潜伏キリシタンの子孫をカクレキリシタンと考えていいだろう。

200年以上かけてキリスト教の信仰理解が失われていき、仏教や神道などとも結びつき融合完成した宗派のようだ。

次のような説明が一般的にされている。

『江戸時代、キリシタン禁制に対して、表面的には仏教徒を装いつつ、密かにキリシタンを信仰し続けた人々。(中略)潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。』
(『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)

したがって潜伏キリシタンの方が被害的側面がより強く、それを継承してきたのがカクレキリシタンと言えるだろう。


この世界遺産登録自体が宗教弾圧という慰安婦、南京、731と同じ、日本の加害性を世界に喧伝する
為の感が否めないのだが、詳しくは語られない。


"教科書にはない"が、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発した理由の一つとして、九州を平定してキリシタン大名が奴隷として日本人女性をポルトガルの奴隷商人に売り飛ばしていた事実を知ったことがあげられる。

つまり、宗教弾圧には当時日本人女性を守るという歴とした原因か存在していたのだ。

要するに潜伏キリシタンとして弾圧の追放を逃れた人々の子孫が顔出しでテレビ出演までして世界遺産登録のニュースに華を添える様子はもう
『隠れないキリシタン』といっても良いだろう。

リオナさんのコメント

2018-07-12 11:52:19 | コメント
コメントを書いた人
リオナ

・タイトル
監督の今


・コメント
Facebookでも同様の事をやりちらかし、アカウント一時停止になってます。
私もやりとりしましたが。全く議論ができない。
ただ難癖つけて 俺ってすごいから、謝れ スタイルはどこでもかわりません。

千羽鶴と千人針

2018-07-10 06:58:09 | 時事

『千羽鶴は手立てがなく、もう祈るしか術のない時の言葉は悪いが暇つぶし、よく言えば神頼みだ。気持ちがこもってる分身内へ送るのが通例だ、助かれば思い出の御守りにもなる。だから他人には綺麗な粗大ゴミでしかない。』


千羽鶴が被災地にとってゴミ扱いされる迷惑行為になっている。子供達に願いを込めて折らせた大人に責任があるだろう。

被災地の人々の状況を知って何が出来るのかを想像する時、確かに"励まし"は必要であり有難いのだが、それが"何か"の食い違いが生まれる。

この問題は千人針を知っていれば解決は早い。


千人針も千羽鶴とほぼ同じ役割であるが、少し事情が異なる。それは現代人にはあまり認知されていない、或いは意図的に教えられていない代物であるということだ。

戦争に出兵する兵士に対し残された女性、妻であったり、家族が願いを込めて布に赤い糸で玉を千玉縫い付けていく。

日露戦争から、千個の結び目を作った布を弾丸避けのお守りとし、出陣する兵士に持たせる祈念が日本各地で行われ、大東亜戦争時には全国的なブームとなっている。

つまり、被災者への千羽鶴は事後、千人針は事前の御守りであり、戦うことを考慮してあまり邪魔にならないが、その役割を果たしているということだ。

要するに歴史を知らない日本人は御守りを被災後に渡すマナー違反を侵しているのであり、ゴミの意味を理解して頂けたと思う。


利己的個人主義が齎すレイシズム

2018-07-04 12:34:29 | X
かなりの数のリツイートといいねを付けたツイートがある。『事実、現実に向き合わない』特徴が日本人の民族性と言う。
更に慰安婦、南京事件を絡めて自問を投げかけている。



音楽と猫氏ツイート

『日本人の民族性の一つに、「事実/現実に向き合えない」という深刻な特徴がある。「うちの学校にいじめはありません」と言い、そこにある放射能を「ない」と言い、慰安婦もなかったし南京大虐殺もなかった、なかったなかったで、そのうち本当になかったんだと信じ込んでしまう。なんなんだろうこれは。』


これはこれで素朴な疑問として共感を得ている事は理解できるのだが、これを引用して稚拙であると上から目線で教え諭すような南京、慰安婦の土下座肯定派のリツイートが問題である。




slice氏ツイート

『それを民族性というのは少し拙速だろう。
長いこと支配ー被支配の関係しか無かった国民が支配側から洗脳されていただけだと思う。
客観<主観
論理<感情
唯物論<唯心論(観念論)
…だと思い込まされて来た。

事実<観念なのであるものも無い!と言い張り、分断出来ないもの分断する。

そして、
一部否定で全否定、一部肯定で全肯定の詭弁術で自己に都合のいいことだけを事実かのように唱えるのだ。…南京大虐殺は無かった!のように。
観念的演繹法(先に信じる命題があってそれにつじつまが合うことをねつ造してでも持ってくる)でもって事実を思考停止し現実を捻じ曲げるカルトである。』



神道をカルトと断言する時点で日本人に対するヘイトであり、日本民族に対するレイシズムとも言えよう。つまりあの戦争の行き過ぎた反省と教育が日本人に自らの民族性を否定する自虐的なレイシズムが生まれたことが戦後体制の負の成果である。

つまり、戦前の日本人は国家の犠牲者と語られ、戦後教育は国民主権が強調され、国家観、愛国心が根刮ぎ否定されたのであり、この中で利己的な個人主義が芽生え花開いたのである。

国よりも自分という考え方が、平和と共に成熟した結果、現在の政府であれ、過去の大日本帝国であれ、結局は自分を優先するようになってしまった。

結果として戦前であれ、戦後であれ、国が推し進めてきた政策への不信感は増大し、事あるごとに個人の犠牲が発生すれば現実と向き合わなくなる日本人を量産してきたのである。

これが戦後利己的個人主義、つまりは都合の悪い事は全て他人や国家のせいにしてしまうニュータイプの日本人の特徴である。

現在の認識として、残虐な行為、女性の人権差別など無かった、近隣諸国からの反日行為に向き合わない国家や一部右派(ネトウヨ)の戯言なのだろう。

慰安婦の強制連行は無かったを慰安婦などいなかったと勝手に変換し、また南京で戦闘行為はあったが、大虐殺などなかったが、南京戦など皆無とのように現実と向き合っていないと理解してしまうのである。

また、「うちの学校にいじめはありません」と言いうのは、戦後の利己的個人主義からの自分の立場や職場という限られた空間だけを守る偽善であり、比較するに値しない。

分かり易くサッカーに例えて冒頭のツイートに当てはめてみよう。

日本代表が16位に入る為にパス回しで時間稼ぎをしたが、数年後そのプレーが反則にルール変更となったとしよう。

数年後、

『日本人の民族性の一つに、「事実/現実に向き合えない」という深刻な特徴がある。「うちの学校にいじめはありません」と言い、そこにある放射能を「ない」と言い、時間稼ぎの反則は「なかった」、なかったなかったで、そのうち本当になかったんだと信じ込んでしまう。なんなんだろうこれは。』



如何だろうか、当時反則はしていないし、反則でもなかった時間稼ぎを彼等は一緒くたに無かったと主張する人物を疑問に感じたりカルトと批判するのだ。

当時確かに時間稼ぎのパス回しは行われたが反則では無かったと主張する人物をカルトやヘイト、レイシズムとしてネトウヨ呼ばわりすることの愚かさや利己的個人主義の捉え方が理解していただけただろうか。

利己的個人主義の日本代表、国家観、日本死ねと言う思考が、どれだけ共産主義に利するものであるかがお分かりいただけたであろう。