TVの画面で弁護士が、女子柔道選手のみなさんからのメッセージを、淡々と読み上げるのを聞き、女子柔道界が、いや日本柔道界が、如何に人間を傷つけ、心を壊し続けてきたのか、はっきりと認識できた。
彼女たちの心のケアーは、いったい誰が行うのだろう。まさか柔道連盟は、ほっておく事はないと思いたいが、どうもそちらのような気がする。その後、前監督やコーチが辞任し、動きが少し見え始めたが、広島でゆう「お貯めぼかし」である。自浄能力なし。文部科学大臣にまでコメントを出されるようではお先が知れている。
選手たちは、海外試合に日本を離れた。
事件が最初に告発されて今日まで、幾日が経ったのだろう。JOCが、事実を知って幾日が経つのだろう。明確な行動が見えて来ない。
こうした行動力のなさは、日本人の欠点ではなかろうか。
第二次世界大戦後、日本の同盟国ドイツは、1970年周辺諸国9カ国に対し、莫大な戦後賠償を行った上で、12月のポーランドの大地に、当時のブラント総理が膝まずき、許しを乞うた。
その姿勢がヨーロッパ全国家をして、今日のEU為らしめ、盟主としての地位を与えられているのである。それも、ヒットラー統治時の11年間の罪の為にである。
かたや日本は、「明治維新」以来の東アジアへの侵略行為は、第二次世界大戦の大敗に至るまでの数十年の行為に対し、何ら保証すらすること無く、謝罪すらしていない。雨が降れば水が流してくれるくらいの気分なのであろうか。
そもそも「契約」とは、どのようにして成り立つのだろうかと、日本人は真剣に考えたことがあるのだろうか。欧米や、イスラム国家、またユダヤ国家のいずれも神と自分とが取り交わした「契約」からはじまる。自らが神に「許しを請う所」から始まり、「許しが与えられる」ことで終結する。神に召され「天国に赴く」のである。
しかし、日本国民にはそうした思想がない。だから歴史の流れを、「他国のせい」にするようである。利権をあさり、旧満州の利権のために日清、日露の戦争を引き起こし、世界を戦争の渦に巻き込んだ責任は、ほっかむりのままである。
一部の政治家には、太平洋戦争において東南アジアの植民地を開放したがごとく語る人もあるが、大間違いである。戦いに勝利していたら、「大日本帝国」の領土となっただけで、開放するなど微塵も考えていなかったはずである。
歴史を自分たちのご都合で理解する事は、もう辞めるべき時期に来たようである。
教科書検定など止めれば良い。有名進学校では、教科書は購入するが使用などしていないのが実情である。私の進学した学校でも、使用はするが中学三年生で公立高校の一年生の教科書を済ませてしまう。現に予備校では、検定教科書など使用していない。
子供たちの、背丈にあった教科書を使用しない限り、教育効果は上がらないのだ。スポーツ選手の育成にもそのことが言える。
そうした意味では、講道館柔道は効果を上げてきた。段位制がそれを可能にしていた。しかしいつの頃からその良き制度が壊れ始めたのであろう。「柔術」から「柔道」へ昇華させた嘉納治五郎はあの世からどのように見ているのだろうか。
今回の事件は、一スポーツの事件ではなく、政治的要素を大きくしてきた。大阪桜ノ宮高等学校事件とともに。