藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

クーベルタン伯爵は、あの世からどんな気持ちで見ているだろうか

2021-05-26 12:15:59 | 日記・エッセイ・コラム

 コロナで、世界中が苦しんでいるのに、各国を動かしている富裕層の連中にはその痛みが届いてはいないのだろう。 貧民層が死に絶えると自らの富の価値が無くなることを認識していないのだ。 欲しがる群衆がいるから、土地バブルが起きるし、金儲けしたい貧困層がいるから、企業に人が集まって来るのだ。 裏返せば、来る人間が居なくなると、大不況が世の中を襲ってくる。 乞食でもやって生き延びる力がある、貧困層は生き延びて、富裕層が没落すると大恐慌となる。 過去此の繰り返しをしてきたはずだが、学びきれていない連中が社会の中心の政治を掴むと、今日の如く息詰まった社会となるのだ。 労働者が、労働者としての意識を持っていた時代は、社会の暴走を止める力を持っていた。 労働者自体が高学歴となり、労働者であることを忘れると、今日のような混迷した社会となってしまったような気がする。 高学歴と言ってもピンからキリまでいる。 国家資格試験すら合格できない大卒がうじゃうじゃいる社会を、高学歴社会とは言わない。 むしろ、高度な特殊技術を習得して、実社会でその技術を生かす仕事をしている者こそ、高学歴と言うべきだろう。 先日、NHKで、3Dプリンターで、高層ビルを作る実験をやって見せていた。 それを大型化すればよいのだが、その先のことは判らない人間が取材しているから、イカにもそれがすぐにでも出来上がると思い違いをしている。 一枚一枚のドアの取り付けや、網戸の取り付け、排水管の取り付けなど、それはそれは、3Dプリンターなどでは出来ない仕事が五万と存在するのが、建設土木の仕事現場なのである。 紙の上で書いた餅は焼いても食えない。 それと同じように、一枚の紙きれで、学士様と呼ばれても、何の役にも立たない連中が五万と存在するのが現代社会なのである。 真に労働の苦しさや面白さを知った人間が、労働運動の中心にならない限り、日本の国の政治は良くならない気がし始めている。 同じように、オリンピックもプロ化した現代では、今や意味が無くなった様だ。 平和の祭典どころか、マスコミ屋台の大集合、金儲け競争の様相を呈している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする