藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

雨が止んだら

2021-07-10 09:16:29 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日午後一時半、雨がいったん止んだ。 一斉に鳥が鳴き始めた。 最初は雀らしい声だ。 次に聞こえてきたのは、「あめだ、あめだ、あめだ」と聞こえる。 其のうち、鶯、「テッペンカケタカ」、 最後にお出ましは、「かー、かー」。 お隣の屋根に泊まって、私をからかい始めた。 何時もは、(とは言っても夏) 午前五時に成ると鳴き始める。 私が窓を開けると、一瞥して次の止まり木(我が家と隣家の境にある電柱)に移動して、しばらく鳴いて飛び立つ。 縄張りの巡回に見える。 此の処雨が続いていたので、鳥の声も聞こえなかった。 午後三時、不思議と鳴き声が止まった。 雨が降って来た訳でもない。 外を覗いてみると、風が強く吹き出していた。 ワクチンの副作用がやっと収まって来た様だ。 左腕の痛みが消えてきた。 「はなてぼ」様のブログで思い出したことがある。 ここ十五年間、私は「蟹」を食していない。 と言うより、不味いカニなど食べたく無いから、買わないのだ。 現場で監督をしていた頃は、一年に一回は河川の工事を担当していた。 その中でも護岸の改修工事が、たまらなく好きだった。 古い護岸ほど愛おしいくらい好きだった。 大型重機を入れて、石垣を崩し始めると、出てくるのだ「蟹」が。 「モクズガニ」である。 何時も火箸を持っていて、バケツ片手に現場監督。 現場監督の役得である。 多いい時はみんなで分けていたが、職人様たちは、私に遠慮して譲ってくれた。 三日ほど、大きなバケツで泥を吐かして、・・・。 ビールに、焼酎のお湯割りに、あの味が忘れられなくて、魚屋に並んだ蟹は食べる気がしないのである。 町内に一軒だけ、生きた「蟹」を売っていた店が有ったが、その店も近頃は売っていない。 取って来ていた先代の主人が亡くなったからだ。 今朝は全く食欲なし。 昨夜「蟹」の事を考えてからではない。 「部屋」に籠りきりになる生活が続くと、野生児の私は「鬱」に成ってしまうのである。 とは言っても、水嵩の増した「太田川」等に出かけて、「行方不明」等と、新聞に出るのも、家族に申し訳が立たない。 外を眺めながら指をくわえている。 早く梅雨が明けないものだろうか。

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