午前一時ブログの更新をしています。
昨夜は奥様の「パーティー前夜祭」で、家事から解放され、おまけに夕刻四時からの夕立で暑さからも開放されて、早くから寝込んでしまった。目覚めると午前一時である。
その夕立の中、「カナカナ・・・・・」とヒグラシが鳴いている。 せみが鳴き始めて三日目に、ヒグラシ蝉が鳴くことなどかって経験したことがない。
夏と晩夏が一度にやってきた。
ところで、「かわぐちえいこう」氏とのコメントで氏から、私の初恋の女性は「小百合様」なのではないでしょうねと詰問されている。 氏の言う「小百合様」は「吉永小百合様」であるが、私の初恋の女性の名も「小百合」だったのです。小学校の同級生の進学した私立中学での友達で、同級生からの渡された「小百合」様の手紙がきっかけで、中学2年生の9月から週に一度のお付き合いをしていたのですが、早婚の時代彼女の望む時期と私の能力が一致せずこの五年間恋は終わりを告げました。
昨日の夕立のような一時の淡い夢でした。
私が生まれた町(旧広島市己斐)の東の外れに、カソリックの修道院があります。其処には、ノートルダム清心中、高等学校が、併設されていました。
その東側の壁(原爆爆心地側)には、聖母マリア像があり、足下のJR山陽本線を見下ろしています。その場所は嘗て江戸時代、「キリシタン」の処刑地でした。その聖母像の下は昭和三十年代、鉄道自殺の名所のようになり、毎週のように自殺者の死体があったために、その近辺の住宅への新聞の配達者がいなくて、新聞販売店が困っていましたが、私はそうした情景の対して恐怖感がなく、むしろ早朝の薄明かりの中で祈りを捧げられて居られるシスターの姿を、いつも尊敬してみていました。小学校五年生から中学を卒業するまでその地区の新聞配達をしていました。幾人かのシスターとお話しているうちに親しくなり、成人して後にはその修道院の改修工事をさせていただいたり、廿日市教会の建設工事をさせていただいたりと、不思議な縁で結ばれています。またの機会にそのご縁を詳しくお話できればと思っています。
我が家の「あかね」様は、結婚以来私が幾度となく、「良寛」についての本を読んで見ると良いと薦めていましたが、読むことはありませんでした。ところが、「みどり」様から頂いた本のなかに「良寛」の句集がありそれを読んでからは毎日私の顔を見るたびに、「りょうかんほうし、りょうかんほうし」と話してきます。この暑さの中、「いくら有難いお話でもと」いうより、私の方が「良寛」については詳しいのですが、ここは我慢のしどころと、話を聞いています。