藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   勘違いの記憶

2013-06-01 21:08:05 | 社会・経済

010 本日は奥様の公休日。 

昼食をと考えて、先ずは買出しに出かけた。

 スーパーの脇道から、かわいいい鳴き声が聞こえてきた。 ふと見ると、「キセキレイ」である。 こんな所に姿を現すかとよく見ると、「里道」に平行に流れる「農業用水」の中の虫を狙っているらしい。 久しぶりの「キセキレイ」をしばらく眺めていた。

話は変わるが、去る四日前の夜分、ブログで知り合った「みどり様」から我妻「茜」が頂いた本を、奥様は「東京都」の地図を片手に読んでいたらしい。 眠りかけた私に突然に、「日本橋」ってどの辺と聞いてきた。 私は半分寝ぼけながら、「皇居の二重橋の東の方、隅田川じゃーなくて、そうそう神田川かな?。 たしか今は首都高速の下になっているから分り難いが、今もあるはずだが」と言うと、 地図を持ってきた。 目をこすりながら見てみたが、地図の縮尺が小さすぎるので解らない。 「この地図どこで買ったの」と言うと、東京都庁に登った時持って帰ったという。 さすが奥様「タダの物は必ず頂く」。 しかし地図が小さすぎて解らない。 仕方なくパソコンで検索して見せてやった。 四十ウン年前の記憶は正しかった。 話はここからが面白い。 

妻茜の談話 「お江戸日本橋、七つ立ちって歌があるでしょう。 あの歌の中の提灯ケースてどんなケースなの」

私「?・・・・・・・」そんなケース見た事無い。我が奥様は、子供の頃、意味も解らず歌詞だけを覚えたらしい。

それからしばらく私の講義であった。 「日本橋は東海道の出発点。 そこを七つ、現代なら早朝三時半か四時頃出発。 なぜなら当時の江戸は、七つ時に成らないと大木戸が開かない。 そして西に向かい、高輪あたりで世が明けてくるので、提灯が不要になる。 だから提灯の灯を消す。 ケースではなくて、灯を消す。」

茜様の弁 「お父さんその頃江戸に住んでいたの?。今日まで提灯ケースてどんなケースなのかいつも思っていたのよ。」 「日本橋から七つ目の橋を渡ったあたりに、この本の著者が住んでいたらしいのよ。 どのへんかしら?。」

私に聞かれても私には解らない。 がしかし、「大森かその周辺じゃーないのかな。」と答えておいた。 

茜様「大森って貝塚の?」

それ以外にはないでしょうと言いたかったがやめておいた。 我が妻は、大体に方向音痴であることは知っていたが、地図の上でも方向音痴とは知らなかった。 

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宿場女郎が「こちゃえ こちゃえ」と呼びこむのも... (かわぐちえいこう)
2013-06-02 10:54:51
宿場女郎が「こちゃえ こちゃえ」と呼びこむのも、旅の楽しみの一つですね。あの町の景色は良かった。食べ物がおいしかった。あの宿場の女の深情けが良かったなどと、帰ってからの自慢話も、上等な酒の肴だったのでしょう。こんな事じゃ教育委員会に叱られる内容ですが、橋下さんもマスコミの向かっていう話ではありませんね。無粋な野郎と、江戸時代だっていわれるに違いありません。
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この歌が江戸時代に、「東海道中膝栗毛」や浮世絵... (深山 霞)
2013-06-02 12:10:57
この歌が江戸時代に、「東海道中膝栗毛」や浮世絵の「東海道五十三次」と時を同じく出来上がったことを、高校生の頃国語の先生から聞き、全文調べたことがありました。 歌詩の内容が、「東海道中膝栗毛」によく似ており、ダジャレがふんだんに使われていたことを今でも思い出します。
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