その4:リアリズムを支えた技術 カメラ・オブスキュラ(camera obscura、camerae obscurae)
ローマの時代は、あらゆること、あらゆる領域で
近代社会のグローバルスタンダードを創った。
と思う。
この根本は、現実を見つめ、これをどう改善・改革していくかという
今で言う“Research makes difference”が出来ていたと思う。
この現実を観察し、推論し、実験・体系化して、発表する。
一連の流れが、キリスト教が普及し支配した中世には、
前にも横にも進まなかったようだ。
地上から根は見ることが出来ないが、掘ってみるとわかるはずだが、
根に足が生えている植物図鑑が発刊されるなど
今考えれば、信じられないことが、科学の世界でもあった。
これは、科学というよりもイデオロギーの世界だ。
レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍したルネッサンスは、
ローマの時代に戻ろう! という復興運動でもあったと思う。
これは、言い換えると、リアリズムへの復権でもあった。
“Research makes difference”(≒調査・研究すれば違いが見えてくる)は、
社会人としての行動基本原則でもあると思うが、
科学の世界では、こんなルールになる。
「最も新しい発見は、最も古いものである。」
わからないことが多いのは、宇宙、深海、人間の遺伝子などなどであり
次に発見されることは、いままでの発見の中で最も古いものだ。
まだまだ調査研究するテーマがあるということを、謙虚に知っておくということだろうか?
15世紀に遠近法が発見され、
ダ・ヴィンチは、“実践は強固な理論のもとでのみ構築される。”と
遠近法について述べていることを前回紹介したが、
遠近法は、現実を再現するリアリズムの理論であり、この理論を生かす道具が必要だ。
カメラ・オブスキュラ(camera obscura)がこれにあたる。
カメラ・オブスキュラは、遠近法の理論に基づき、現実を写実・再現する道具だ。
小学生の雑誌・漫画雑誌などに、ピンフォールカメラの付録があった。
ボール紙で箱を組み立て暗室を作り、真ん中の穴から光を取り込み
外界の絵を感光紙に写す。
カメラ・オブスキュラは、これと同じ原理で、暗室の中に外界を取り込む。
17世紀には、暗室に取り込んだ外界の像を手書き複写できる装置も開発された。
乃木坂にある国立新美術館で展示されている、
17世紀オランダの風俗画は、微細なところまでも写実的に描かれている。
まるで、写真を見ているような感覚に陥る。
このような絵画は、カメラ・オブスキュラがあって精緻な写実が可能となる。
フェルメールの『牛乳を注ぐ女』も、ダ・ヴィンチ同様に、
消失点に釘をうち、糸を張って描いた痕跡が発見されている。
また、カメラ・オブスキュラを使い絵を描いていると指摘もされている。
(写真)フェルメールの部屋とカメラ・オブスキュラの位置
出典:Vermeer and the Camera Obscura by Philip steadman
フェルメールの絵画は、彼のアトリエで書かれた絵が多く、
左手が窓、奥にモデル、手前にフェルメールの目線という構図で描かれる。
そして、カメラ・オブスキュラが置かれたとした場合の位置があり、
『兵士と笑う娘』の壁にかけられている地図は、1620年に出版されたもので、
カメラで撮らなければ描きにくい正確さで描かれている。
また、『赤い帽子の女』(サイズ22.8×18cm)など数点が、
典型的な箱型カメラのスクリーンのサイズでなぞられたように描かれている。
フェルメールがカメラ・オブスキュラを使い絵を描いていたという証拠はないが、
絵自体に、使ったと思われる痕跡がある。
17世紀オランダ風俗画は、
遠近法、カメラ・オブスキュラによって支えられた
写実性・リアリズムを主張する新しい知の時代を創った。
ローマの時代は、あらゆること、あらゆる領域で
近代社会のグローバルスタンダードを創った。
と思う。
この根本は、現実を見つめ、これをどう改善・改革していくかという
今で言う“Research makes difference”が出来ていたと思う。
この現実を観察し、推論し、実験・体系化して、発表する。
一連の流れが、キリスト教が普及し支配した中世には、
前にも横にも進まなかったようだ。
地上から根は見ることが出来ないが、掘ってみるとわかるはずだが、
根に足が生えている植物図鑑が発刊されるなど
今考えれば、信じられないことが、科学の世界でもあった。
これは、科学というよりもイデオロギーの世界だ。
レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍したルネッサンスは、
ローマの時代に戻ろう! という復興運動でもあったと思う。
これは、言い換えると、リアリズムへの復権でもあった。
“Research makes difference”(≒調査・研究すれば違いが見えてくる)は、
社会人としての行動基本原則でもあると思うが、
科学の世界では、こんなルールになる。
「最も新しい発見は、最も古いものである。」
わからないことが多いのは、宇宙、深海、人間の遺伝子などなどであり
次に発見されることは、いままでの発見の中で最も古いものだ。
まだまだ調査研究するテーマがあるということを、謙虚に知っておくということだろうか?
15世紀に遠近法が発見され、
ダ・ヴィンチは、“実践は強固な理論のもとでのみ構築される。”と
遠近法について述べていることを前回紹介したが、
遠近法は、現実を再現するリアリズムの理論であり、この理論を生かす道具が必要だ。
カメラ・オブスキュラ(camera obscura)がこれにあたる。
カメラ・オブスキュラは、遠近法の理論に基づき、現実を写実・再現する道具だ。
小学生の雑誌・漫画雑誌などに、ピンフォールカメラの付録があった。
ボール紙で箱を組み立て暗室を作り、真ん中の穴から光を取り込み
外界の絵を感光紙に写す。
カメラ・オブスキュラは、これと同じ原理で、暗室の中に外界を取り込む。
17世紀には、暗室に取り込んだ外界の像を手書き複写できる装置も開発された。
乃木坂にある国立新美術館で展示されている、
17世紀オランダの風俗画は、微細なところまでも写実的に描かれている。
まるで、写真を見ているような感覚に陥る。
このような絵画は、カメラ・オブスキュラがあって精緻な写実が可能となる。
フェルメールの『牛乳を注ぐ女』も、ダ・ヴィンチ同様に、
消失点に釘をうち、糸を張って描いた痕跡が発見されている。
また、カメラ・オブスキュラを使い絵を描いていると指摘もされている。
(写真)フェルメールの部屋とカメラ・オブスキュラの位置
出典:Vermeer and the Camera Obscura by Philip steadman
フェルメールの絵画は、彼のアトリエで書かれた絵が多く、
左手が窓、奥にモデル、手前にフェルメールの目線という構図で描かれる。
そして、カメラ・オブスキュラが置かれたとした場合の位置があり、
『兵士と笑う娘』の壁にかけられている地図は、1620年に出版されたもので、
カメラで撮らなければ描きにくい正確さで描かれている。
また、『赤い帽子の女』(サイズ22.8×18cm)など数点が、
典型的な箱型カメラのスクリーンのサイズでなぞられたように描かれている。
フェルメールがカメラ・オブスキュラを使い絵を描いていたという証拠はないが、
絵自体に、使ったと思われる痕跡がある。
17世紀オランダ風俗画は、
遠近法、カメラ・オブスキュラによって支えられた
写実性・リアリズムを主張する新しい知の時代を創った。