鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

論文

2023年08月02日 | 雑談

NHK 朝ドラ らんまんで万太郎が論文を書いたのですが、田邊教授の名前がどこにもなく、怒らせてしまって東大植物学教室への出入りを禁止されました。 ネットでも、そりゃあ、そこで研究させてもらっているのに田邊教授の名前を無視するのはありえない、教授が怒るのも無理もない、との意見が多かったが、その通りだと思います。

私も現役の頃たくさん論文を書きました。 診療放射線技師で大学病院に勤めていたので、自ずと色々な研究をしたわけで、そのレベルは低いのですが学会で発表します。 上司が発表したらそれで終わらずに必ず論文にしろと言うので、論文にしていたのです。 その時に、誰を共著者にするか、どこまで一緒にやったら共著者か、指導してくれた人はとか、色々手伝ってくれた人はどうするなど、色々考えます。 そして上司とか教授などは研究内容にもよりますが、ほとんど共著者、もしくは謝辞に名前を書きました。 研究をするのに必要な環境を作ってくれた人には謝辞でお礼を言う、という感じです。 そして、投稿する前には何人かに見てもらう。 まあ、あまり偉い人に見てもらうと全面的に書き直しを言われたりするので、ほどほどにと言うこともありますが。

私が主に投稿していた学会は「日本放射線技術学会」(以下技術学会)といいます。 ほとんどの会員が診療放射線技師ですが、技師の学会ではありません。 放射線技師会とか医師会とかはその免許が無ければ入れませんが、技術学会は免許は関係なく、この分野に興味があれば誰でも入れます。 ですから大学の研究者、教員、メーカーの技術者その他医師もいます。

ちなみに、診療放射線技師は病院でレントゲン撮影をするのが仕事ですが、いかにしてこう言う技術や機器を良くして、少ない被曝で良い写真を撮るか、さらにいかに正しい診断情報を得るかなどなど、かなり広い分野にわたっての研究をしている人が多い。 研究職ではないのでほとんどは仕事が終わってからの研究になりますが、もちろん残業ではないので手当は出ないが、施設や装置を使わせてもらえたり、幾らかは研究費が出たりしています。

 

時間外に部屋での勉強会です。 

 

ということで、私が50歳ぐらいには学会発表や座長などの経験は数知れずで、論文も2〜30ぐらいありました。 そこで、シカゴに行った帰りにU先生が立命館大学のK教授のもとで、委託研究して工学博士を取れ、ということで、その一環として、フィンランドで発表したのでした。 その後、発表内容に近いものをMeasurementという英文の学会誌に掲載しました。

Measurement の論文、K教授はもちろん一緒に緒に実験をした後輩も共著者に入っている。

 

謝辞には自分の施設の前教授、現教授や医師の名前、この中で使用した写真撮影に協力してくれた人や、仲間一同ということでも謝辞を書いている。 忖度というよりも、やはり色々の人の協力があって、実際の実験や研究を行えたので、当然感謝なのです。

 

これで、立命館大学としての研究成果をあげ、いよいよ、博士論文に着手です。 当然、K教授の指導のもとに書くのですが、言われてもできないものもある。 ここはこれで許してとか、なんとか論文を仕上げるのですが、その印刷費など全て自分持ち。 研究者ではないので私に対しての研究費は出ない。

 

博士論文。 国会図書館に所蔵されている。

あまり、実務に役立つとは思えない内容だが、研究とはそんなもので、本当に役立つものなんて本職の研究者だって一生に一度書ければ良い方だ。 この後この式について問い合わせたあった、後述。

 

とはいえ、できるだけ実用に近い臨床の画像も載せています。 これはフィルムからディジタルに移行する時期で、同じ被写体をフィルムとディジタルで撮影して比較しています。 被曝が関係するのでこういう時の被写体はファントムか自分ということになります。

これで、博士への審査に進みますが、私は大学に行っていない、牧野博士の小学校に行っていないほどではないのですが大学レベルの学力があることを証明するために、学力テストが行われました。 

といっても、入学試験のような難しいものではありませんが、数学、英語、ドイツ語の3科目です。 それぞれ1時間ですが、どんな問題が出るのか見当もつかない。 過去問などないのですから。 前日、仕事中に大学から電話があり、数学はこんな傾向の問題だと教えてくれました。 ハット関数の関係だと、でも問題を教えてくれたわけではないので、その辺りのことをそれこそ一晩で調べてゆく。

英語、ドイツ語は辞書持参OK、要は論文が読めるかどうかです。 数学はハット関数の何か忘れたが、一晩で調べたことを書いて、問題はドイツ語。 ほとんどわからない、時間だけが経つ、内容的にはレントゲン関係を出してくれていたのだけれど、ほとんど想像で作文に近い答えを書き、英語はそのために時間がなくなって、こちらもいい加減だった。 やはり語学はかなりひどいが、なんとか論文は読めるだろうからと合格にしてくれた。

博士論文の審査はK教授と他3名の教授がします。皆のまえで公聴会があるのですが、その前に数学の教授、試験問題を作った人ですが、職場に電話があり、この上の方に載せている式が間違っている気がするので正しいことを証明してほしいとのこと。 そんなこと言ったって、元の式は有名な式だし、それを使っているだけなので、それが正しいかどうかの証明なんて、そんなの出来るわけがない。 困り果てていたら、数日後その教授から電話があって、証明できました、良かったです。

その先生が自分で証明したらしい。 一見落着。

公聴会では色々質問されたが、皆さん親切というか厳しい質問もあるのですが攻撃的ではない。 私が53歳ということもあり、敬意を払ってくれているかも知れないですが、この後、25年ほど経った今でもこの教授の方達から年賀状を頂きます。 亡くなった方もいますが、大学教授、工学部の教授は優しい人ばかりだと思ったのでした。

 

かくして、工学博士の学位を立命館大学でいただくことができました。 53歳のことです。

これを使ってどこかに再就職しようなどはなく、単に自分の自己満足というか、強力に勧めて下さった学生時代の恩師のU教授のおかげなんですが、その先生から、学位を貰えば良いのではなく、その後それにふさわしいことができるかどうかが大事、と言われたのが、耳に痛い。 何にもしていないのですから。

さて、こうやって学位を頂いたら、助けていただいた方にお礼をしなければなりません。 立命館大学のK教授はもちろん、U教授、そして自分の施設で後押ししてくれたY教授たちです。 一時新聞で、こういう時に後押ししてくれた教授へのお礼はおかしい、教授はそれで儲けていると、毎日のように記事が出ていました、忖度、忖度が言われた頃です、でも、それは無いでしょう。  人間の世界でお礼は当然です。 

 

U教授にお礼をしたら、丁寧な筆で書いた祝いの手紙と共にこんなものが送られてきました。 当時先生は宮崎に住んでおられたので、埴輪なのかな? 大きなものです。 今でも家の玄関位飾ってあります。

Y教授からも同様に、手紙と陶器の人の飾りが、とてもセンスが良いものです、送られてきました。

ですから、何事も人と人のつながりが大事です。

テレビの万太郎さんもかなり自分本位のようで、意識して教授の名前を入れずに自分だけの手柄にしたかったようです。 実際の牧野富太郎さんはもっと酷かったかも知れません。 物事に熱中しすぎると周りが見えなくなり、自分がしていることが世界で一番大事なことだという錯覚に陥るのでしょう。 高知の牧野博物館で富太郎さんの歴史を見ましたが、まあ、あそこまで、熱中できるとは、羨ましいとは思はないけれど、私は、なーなー、というかまーまーというか、程度で良いので。

 

論文というとただの文章だと思ったら大間違い、内容が正しい事を証明しながらの文章でかつ図面や式や参考文献なども読んでいますと書き込みながら論理的に結論に持ち込みます。 そして、投稿したらそのまま雑誌に掲載されるわけでは無くて査読が入る。 

数人の査読者から、ここがおかしい、これを証明しろとか、文章がおかしいとか色々の指摘をされます。 その返事を書いて、また査読者からの指摘があり、修正する。 この修正が本文を書くよりもよっぽど時間がかかることがある。

というような過程を辿って、世の中に論文として出されるので、一般の雑誌の記事とは全く違うのです。

 

なお、今の学術論文の書き方は色々制約があるようで、これは昔の話と思ってください。

 

 

 

 

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