鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

南方熊楠 2

2023年08月08日 | 雑談

いつもの散歩のコースで

こういうところがあるのですが、草がたくさん生えていました。 緑が綺麗でした、それを除草したのですが、樹木もあったのですがそれも無い。

 

3〜4mぐらいある樹木も何本か根本から切ってある。 除草も、地面が見えていて普通の草刈りとは違う。

ここは京都市か府かが管理していると思うのですが、上の写真のように綺麗にしようと枠で区切ってある場所なのに、何故ここまで根絶やしにしたのかと不思議に思っています。 まるで、ビックモーターのようなことを、自治体がしていたのです。

 

さて、南方熊楠さんですが、3月ごろに白浜にある熊楠記念館に行った時にここにも(2として)書きました。 その時には粘菌の研究ですごい人だと思っていたのですが、先日のNHKの放送で、熊楠さんはもっと凄い人だということがわかりました。

明治の初め頃に生まれて、8歳で大人顔負けの知識を持っていた、それが、天文学、生物学、文化人類学などありとあらゆることが書かれた百科事典 全105巻をまるまる手写で書き残した。

 

野山に這いつくばっていろいろなものを観察して、標本を作ったり

 

自分で博物学の教科書を作ったり。 このあたりが牧野富太郎と似ていると思ったのでした。

さらに英語を勉強して、翻訳本を作ったりして西洋の知識を学んだ。

そして、東大の前身である東京大学予備門に入学したのですが、こんな大学では世界を知ることができないと、退学した。

そして、アメリカに行かしてくださいと親に頼んだ、 親は酒屋を営んでいましたが、景気が良かったのか、アメリカの旅費、滞在費、学費なども凄い額ですが、全て出してくれて、アメリカの大学に行きました。 

テレビではほどなく、大英博物館にいる映像に変わり、アメリカがつまらないのでイギリスに行き大英博物館の多大な蔵書を閲覧許可を習得して勉強ざんまい。

科学雑誌にNATUREという雑誌があり、今でも世界最高級の科学雑誌ですが、当時彼はそれを読んでこの程度の論文なら自分でも書けると、投稿しています。 当然英語論文ですが、驚くことに51編もNATUREに掲載されているのです。

その内容は

これはほんの一部ですが、いろいろな分野にわたり天文学もあります。 これで彼は世界で有名な人になりましたが、日本での知名度はありません。

 

また、イギリスではロンドンのエッピングの森を見て、イギリス人が自然保護をしていることにを目の当たりにしてこちら方面への知識も学びました。

 

このころ家の酒屋の経営が苦しくなり、家からの仕送りがなくなって、溜めていた標本を売って暮らしたそうですが、仕方がない仕事をしようかと大英博物館の仕事をしたそうです。 でもたったの13日間だけです。

彼はアメリカでもイギリスでもずっと家からの仕送りで暮らしていたのです。 びっくりですね。  牧野富太郎も似たようなもので、仕事をせずに好きなことだけをしていて、大貧乏になってもなんとか暮らしていたそうですが、、

熊楠はその後、日本に帰って和歌山県の田辺に住んで粘菌の研究に没頭し始めました。

 

この時には俳優はこの人、NHKやりますね。 また、仕送りが復活で仕事をしなくても良い。

当時、明治政府の神社合祀政策により神社の森が取り壊されていました。 これには熊楠さんは大怒り、山の木がなくなり洪水が起こる、鳥や虫など生態系が狂い、農作物にも大きく影響するので、新聞社に神社合祀政策反対の投稿をしたのです。 

でも、日本では有名な人ではないのでなかなか政府は取り上げてくれなかったようですが、国が自然を破壊してどうする、と運動を続け、ついに神社合祀政策は廃止されたのでした。 この時に熊楠はエコロジーという言葉を使っています。明治の時代にすでにこんな言葉を使ったのです。 凄い人です。

この後は以前に書いたように、粘菌の研究で昭和天皇に講義を依頼されて、熊楠の名前が日本中に知れ渡ったのです。

ということで、散歩の途中で見た自治体による樹木の伐採を見て、このテレビを見て、この文を書く気になったのでした。

 

熊楠さんは、年金だけではなくいろいろな知識を持った凄い人だったんんです。

8ヶ国語以上使えたという。 でも一生で仕事をした日が13日間だけというのも驚きです。

 

 

コメント
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