私が、8ミリビデオカメラを手にしていた頃、、我が家は、夏の休暇期間になると、毎年1週間ほどの旅行に出かけ、その行き先のほとんどは、信州長野県方面だった。そびえ立つ山々、広大な草原とその上に広がる青空、スケールの大きな自然とその風景が、そういったものに触れ合うことの少ない関西に住む私を、いつも魅了し、夏が近づくと今度はどこに行こうかと、旅のプランに心を躍らせていた。この動画は、そういった何回かの信州の旅の中でも、一番思い出深い、今でも忘れることのできない旅の途中のシーンを、懐かしく蘇らせてくれてぃる。
1991年の7月の末に、私と家内と、まだ小学生の娘、そして2年ほど前から、我が家のペットとなった、シェトランド・シープドッグのビートンの3人と1匹が、白いシビック・セダンに乗り込んで、夏の家族旅行に出発した。宝塚インターで中国自動車道に入り、名神高速で、大津まで進み、高速を降りてからは、湖周道路を滋賀県マキノ町まで走り、マキノ高原のペンションで1泊した。次の日、北陸自動車道の敦賀インターから新潟県糸魚川インターまで、一気に駆け抜け、高速道路を降りて、国道148号線を南下して、その日の夕方には2泊目の予定地、白馬大町にたどり着いた。翌朝、木崎、中綱、青木の仁科三湖を順々に巡りながら、ゆったりと南下を続け、安曇野を通り抜け、3泊目の松本のペット同伴可のホテルに到着した。
翌日、我が家の3人と1匹は、松本市東部の2000mの標高にある高原、美ヶ原をクルマで目指した。昼頃、山本小屋の駐車場に到着。クルマ(シビック・セダン 1500C.C.)を降りて、山本牧場の中心「美しの塔」を徒歩で目指す。
昼過ぎに、私たち家族は、美ヶ原を降りて、再び松本市街に戻り、国道19号線に入り、木曾街道を南下し、木曽福島、南木曽と、通り過ぎ、「寝覚めの床」を見物してから、中津川のその日の宿に向かった。翌日は、中津川のホテルから、妻籠、馬籠と、木曽の歴史的街並みを訪れた後、、中央自動車道に乗り込み、クルマを、一路我が家へと、向かわせた。
この時の旅行は、ずっと天候に恵まれてはいたが、、初めてのペットを同伴した旅だったために、若干の不安があった。だが、愛犬ビートンは、まだ4歳の若さで、元気だったし、何より娘の良き遊び相手として、ずっと一緒にいてくれたので、ややもすれば、子供にとって退屈になりがちな、旅行中の自動車内の雰囲気を、和らげてくれていた。
この旅行のあと、ビートンは、いつも私たち一家がどこかへ行く時は、いつでも一緒に連れて行くようになった。
1991年の7月の末に、私と家内と、まだ小学生の娘、そして2年ほど前から、我が家のペットとなった、シェトランド・シープドッグのビートンの3人と1匹が、白いシビック・セダンに乗り込んで、夏の家族旅行に出発した。宝塚インターで中国自動車道に入り、名神高速で、大津まで進み、高速を降りてからは、湖周道路を滋賀県マキノ町まで走り、マキノ高原のペンションで1泊した。次の日、北陸自動車道の敦賀インターから新潟県糸魚川インターまで、一気に駆け抜け、高速道路を降りて、国道148号線を南下して、その日の夕方には2泊目の予定地、白馬大町にたどり着いた。翌朝、木崎、中綱、青木の仁科三湖を順々に巡りながら、ゆったりと南下を続け、安曇野を通り抜け、3泊目の松本のペット同伴可のホテルに到着した。
翌日、我が家の3人と1匹は、松本市東部の2000mの標高にある高原、美ヶ原をクルマで目指した。昼頃、山本小屋の駐車場に到着。クルマ(シビック・セダン 1500C.C.)を降りて、山本牧場の中心「美しの塔」を徒歩で目指す。
昼過ぎに、私たち家族は、美ヶ原を降りて、再び松本市街に戻り、国道19号線に入り、木曾街道を南下し、木曽福島、南木曽と、通り過ぎ、「寝覚めの床」を見物してから、中津川のその日の宿に向かった。翌日は、中津川のホテルから、妻籠、馬籠と、木曽の歴史的街並みを訪れた後、、中央自動車道に乗り込み、クルマを、一路我が家へと、向かわせた。
この時の旅行は、ずっと天候に恵まれてはいたが、、初めてのペットを同伴した旅だったために、若干の不安があった。だが、愛犬ビートンは、まだ4歳の若さで、元気だったし、何より娘の良き遊び相手として、ずっと一緒にいてくれたので、ややもすれば、子供にとって退屈になりがちな、旅行中の自動車内の雰囲気を、和らげてくれていた。
この旅行のあと、ビートンは、いつも私たち一家がどこかへ行く時は、いつでも一緒に連れて行くようになった。