Tikara`s Photoroom

私のこれからとこれまでの写真作品を、自身のコメントと共に載せて多くの人に見ていただき、批評していただきたいと思います。

504.コウノトリの郷公園、4度目。

2016-05-17 21:23:48 | Weblog

 5月15日の日曜日、兵庫県豊岡市の、こうのとりの郷公園に出かけた。久しぶりではあるが、もう4度目である。宝塚の自宅から、クルマで4時間弱のドライブをして、1時過ぎに現地に到着した。公園の入り口付近にあった全但バスの停留場の標識には、ただコウノトリと書かれてあるだけだった。公園内部の飼育場の様子。
コウノトリは、全長約110-115センチメートル、翼開長160-200センチメートル、体重4-6キログラムにもなる非常に大型の水鳥である。羽色は白と金属光沢のある黒、クチバシは黒味がかった濃い褐色。脚は赤く、目の周囲にも赤いアイリングがある。コウノトリを遠くから見るとツルとも似ているため、度々ツルと混同されることもある。しかし、形態、鳴き声、捕食行動により区別が容易である。
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 コウノトリは、首と胴体が白色であり、脚は赤いため、形態により区別は容易である。なお、コウノトリは、風切羽が黒いために、翼をたたんでいるとまるで胴体の後ろが黒いかのように見える。また鳴き声でも区別することができる。ツルは大きな声で鳴くことができるが、成鳥のコウノトリは鳴くことはできず、クラッタリングというくちばしを打ち付ける行為のみができる。そして飼育下での餌の捕食行動にも違いがある。魚類(アジやドジョウなど)を与えた場合、ツル類はくちばしで細かくついばんでのみこむのに対し、コウノトリは丸のみにする。

公園外の田園に建てられた、コウノトリ用の飼育塔には、今年生まれた雛たちが、すくすくと育っていた。

コウノトリ 飛んだ

503.宝塚長谷牡丹園、今年も行きました。

2016-05-12 22:04:30 | Weblog
 ゴールデンウイークの後半となった、5月7日の土曜日に、家内と連れ立って、宝塚市の北部に当たる西谷地区にある、「長谷牡丹園」に出かけた。前日は、かなりの雨量を記録した1日だったので、天候は不安だったが、当日は、朝方はまだ少量の雨が残っていたものの、正午が過ぎるころには、まったく雨脚も途絶えて、この田園地帯に初夏の爽やかさが戻っていた。牡丹園の入り口は、晋光寺という山寺の参道のそばにある。今年は、まだ最盛期にはなっていないのか、咲いているボタンの花の数が少なく、例年よりは寂しく感じられた。今年もやってみました。花芯の大クローズアップ。園内の小さな池の水面には、たった1輪だけ、蓮の花が咲いていた。
2時より行われた、二胡による野外ミニライブの様子。ボナミ・キャトルという、中国楽器を中心としたカルテットのメンバーの一人、みなこさんの、二胡の美しい妙なる調べが、私たち観客を魅了した。野外であるという、楽器を演奏するには、ハンデのある状況の中、鳥や虫、カエルの鳴き声や、観客の中にいた子供たちの、不用意な泣き声や物音に、揺らぐことのない素晴らしい演奏を続けてくれたみなこさんに、私たち夫婦も、周りの観客も、惜しみない拍手を送った。

晋光寺の参道の上に並べられたたくさんの鯉のぼり。残念ながら、この日は無風に近い状態だったので、力強く大空を泳ぐ姿は、見られなかった。


みなこ 二胡野外ライブ

                           
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502.赤穂御崎から室津港へ、西播磨の海沿いを走る。

2016-05-08 11:43:01 | Weblog
 5月5日のこどもの日に、家内と二人クルマでまず赤穂御崎まで行き、そこから瀬戸内海の海沿いに、写真を撮りながら自宅へ戻るという行程で、200キロ近い距離をドライブしてきた。特に、赤穂御崎から室津港までの行程は、クルマの右側にずっと瀬戸内の風景が広がり、当日の天候もやや雲が多いものの、ずっと良好であり、たくさんの写真を撮ることができた。クルマは、3時間余りのドライブの後、とりあえず赤穂御崎にたどり着いた。大石内蔵助の像が、私たちを迎えてくれた。
赤穂御崎での写真。

 赤穂御崎で1時間ほど過ごしてから、相生市にある海の駅あいおいペーロン城に向かった。
あいおいペーロン城は、毎年恒例のペーロン祭を行うときの会場になるところであり、中華風の建物が特徴の、海の施設である。 石川島播磨重工業IHIの工場が、対岸に見える。
海の駅あいおいペーロン城を後にして、私たちは室津港に向かった。室津(むろつ)は、兵庫県たつの市に所在し、播磨灘に面する港町・漁港(第2種漁港)。町丁としては御津町室津(みつちょうむろつ)としている。約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれる。藻振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられる。『播磨国風土記』に、「コノ泊、風ヲ防グコト室ノゴトシ 故ニ因リテ名ヲナス」と紹介されている。奈良時代には行基によって「摂播五泊」の一つとされ、海上と陸上交通の要衝として「室津千軒」と呼ばれるほど栄えた。
江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となった。通常、宿場におかれる本陣は、1軒、多くとも2軒であるが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。しかし、明治維新以後、町は急速に衰退してしまった。1994年、室津旧市街地が兵庫県の景観形成地区に指定された。
室津港で撮影した写真。

帰路の途中、休憩のために立ち寄った「道の駅・御津」は 国道250号沿いの兵庫県の南西部に位置し、瀬戸内海の自然と海が見える風光明媚なロケーションは開放感満点で、道路利用者の快適な休憩の場となっている。



501、京都奥嵯峨広沢池

2016-05-03 23:50:35 | Weblog
 ゴールデンウイークの前半の日曜日、家内と京都へ出かけた。川西市北部から、山間の道を通って、亀岡市の市街地に入り、国道9号線を走って、上桂の交差点を左折して、嵐山の渡月橋までクルマを走らせ、京福電鉄の踏切を超えて、金閣寺方面へ向かう、きぬかけの路を進むと、この日の目的地である、広沢池に着いた。広沢池(ひろさわのいけ)は、京都市右京区の嵯峨広沢町にある周囲1.3kmほどの池である。日本三沢の一つにも数えられる。別名遍照寺池(へんしょうじのいけ)とも呼ばれる。2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定された。
1969年に古都保存法の歴史的風土特別保存地区に指定されている。池の西側には池へ突き出るような形の小さな島があり、観音島と呼ばれ、橋が架けられている。島の内部には石像の千手観音が祭られ、先端には弁天堂もある。平安時代の中期、989年(永祚元年)に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。異説として、嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったとも言われている。
 平安時代に作られた池は、遍照寺と共に廃れて行ったが明治時代に、地元の人々の協力で修復された。
湖畔にはサクラ、カエデ、ヤナギが植樹され、マガモ、ケリ等の鳥類やトンボも多くみられ地元の小学校の「自然観察教室」や「写生教室」などにも利用されている。南岸の、きぬかけの路に沿った風景の様子。
西岸には、豊かな田園地帯が広がっている。その田畑には、蓮華の花が咲いていた。近隣の民家には、鯉のぼりを掲げている家もあった
北岸の風景。建物は,「聴松亭」という茶室である。

西行法師による「やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池」 
源従三位頼政による「古の人は汀に影絶えて 月のみ澄める広沢の池」
薩摩守平忠度による「あれにける宿とて月はかわらねど昔の影は なほぞこひしき」
松尾芭蕉による「名月や池をめぐりて夜もすがら」等、古来から観月の池として知られ、数々の歌に読まれている。