5月の中頃のこと、買い物から帰ってきたとき、私たち夫婦が住むマンションのエントランスの両脇にある植栽の上に、大きなトンボが止まっているのを、家内が見つけた。どうやらギンヤンマらしい、まだ夏の暑さには届かない季節であるのに、こんなところで大型のトンボを見かけるのは、珍しいと思った私は、ちょうど持っていたカメラのレンズをを向けて、何回かシャッター・ボタンを押した。写真を撮っている間、ギンヤンマは全く動こうとせず、死んでいるのかとさえ思ったのだが、彼女(後でネットの昆虫図鑑で調べたのだが、どうやらメスのギンヤンマらしい)は、時折吹くこの季節特有の乾いた微風に、合わせるようにその透明の4枚の羽根を、震わせていた。十数枚の写真を撮って、ようやく私は得心を得て満足することができたので、彼女を指先に乗せて、少し手のひらを上へ伸ばしてみると、羽根を震わせ、風に乗ってずっと上空に飛び上がり、そのままキラキラと羽根を輝かせながら飛び去ってしまった。
ほんの少しだが、トンボである彼女と、人間である私の間に、共有する何かがあったような気が、私にはした。
マンションのエントランスのそばの駐輪場の一角に、今年もテッポウユリの植木鉢に、大輪の花が咲いた。私たち夫婦の部屋の下の、老夫婦のご主人が咲かせているようだ。
こんなふうに見事なテッポウユリの花が、毎年この時期になると咲く。
花を見ると、つい大クローズアップの写真を撮りたくなってくる。
このテッポウユリの持ち主は、90歳近い老人であり、春から夏にかけてのこの季節には、私が仕事に出ていく朝方に、いつもマンションのエントランスに出した椅子に座っていて、仕事に出ていく私に向かって、何かしらの言葉をかけてくれるのだ。それは、朝のあいさつであったり、時候のお決まりの言葉であったりするのだが、それが、私には、ひどく心地いいことであり、老人が出てこなくなる秋から冬の間は、その頃の朝の寒さが、いっそう厳しいような気がするのだった。今朝も、休日だったが、所用で大阪市内までクルマで出かけなければならず、外に出てみたら、老人がテッポウユリの花を、大切そうに、世話をしていた。見事な花ですねと私が声を掛けたら、老人はうれしそうにして、それからまたいつもと同じような時候の会話をした。私が、帰ってきたら花の写真を撮らせてくれるようにと頼んでみると、、上機嫌で了承してくれた。
クルマに乗ってから、ひどく私は気分よく、鼻歌交じりで、ドライブを続けられた。
ほんの少しだが、トンボである彼女と、人間である私の間に、共有する何かがあったような気が、私にはした。
マンションのエントランスのそばの駐輪場の一角に、今年もテッポウユリの植木鉢に、大輪の花が咲いた。私たち夫婦の部屋の下の、老夫婦のご主人が咲かせているようだ。
こんなふうに見事なテッポウユリの花が、毎年この時期になると咲く。
花を見ると、つい大クローズアップの写真を撮りたくなってくる。
このテッポウユリの持ち主は、90歳近い老人であり、春から夏にかけてのこの季節には、私が仕事に出ていく朝方に、いつもマンションのエントランスに出した椅子に座っていて、仕事に出ていく私に向かって、何かしらの言葉をかけてくれるのだ。それは、朝のあいさつであったり、時候のお決まりの言葉であったりするのだが、それが、私には、ひどく心地いいことであり、老人が出てこなくなる秋から冬の間は、その頃の朝の寒さが、いっそう厳しいような気がするのだった。今朝も、休日だったが、所用で大阪市内までクルマで出かけなければならず、外に出てみたら、老人がテッポウユリの花を、大切そうに、世話をしていた。見事な花ですねと私が声を掛けたら、老人はうれしそうにして、それからまたいつもと同じような時候の会話をした。私が、帰ってきたら花の写真を撮らせてくれるようにと頼んでみると、、上機嫌で了承してくれた。
クルマに乗ってから、ひどく私は気分よく、鼻歌交じりで、ドライブを続けられた。