クリが亡くなってから久々のさかい動物病院。カヤを膝に乗せて待合室で待っていたら、私を見とめた先生がものすごく驚いた顔をした。まるで亡霊でも見たかのように。そして神妙な面持ちで会釈した。それはブナ、クリのことを悼む気持ちを再び表してくれたものだと思う。
大丈夫ですよ、先生。私は幽霊じゃありませんよ。ちゃんと生きているし、あの子たちが違う世界に行ったことも受け止めていますから。心の中でそう言いながらカヤと順番を待った。
保護シェルターでのお手伝いのことやカヤと会った日のことなど、これまでのいきさつを先生に話し「私は犬たちに素晴らしい時間をもらいました。その恩返しというのはおこがましいですが、狭いケージに入れられて、繁殖犬として使われ続けた揚句に遺棄されたこの子に、1年でも2年でも苦痛のない穏やかな暮らしをさせてあげられたら、それでいいかなと思っています」と伝えると、先生はまたまた神妙な面持ちで「頭が下がります」と言いながら、小さく頭を下げたのでした。
カヤの体重は7.5キロ。背骨も見え、痩せている。小さな犬なのにどれほど多産させられたのだろう。何本もない歯や体の割に大きくしなびた乳首がそれを物語っている。シーズンが来れば子どもを産ませられ、母乳だけやってすぐに引き離され、またシーズンが来れば交配させられる。カヤに人と遊ぶ楽しい時間などあっただろうか。
金銭感覚が麻痺した慾まみれのブリーダーに、眼病になっても治療もしてもらえず、モノのように扱われたいのちの軽さを思うといたたまれない気持ちになった。今の日本社会の縮図だな。
酒井先生には血液検査や心臓の聴診や眼圧測定など今するべき、できうる検査をすべてしてもらった。目は白内障が悪化し角膜も傷ついている。左目の眼圧は正常値上限の3倍以上、右目は2倍以上。「恐らくずっと片頭痛のような状態で、頭が重かったに違いありません」とおっしゃる。だからカヤはぐったり伏せっていることが多かったのか……。可哀想に。
心臓にも少しだけ雑音があり、乳腺腫瘍は1つや2つではなかった。あちこちにあり、悪性だとしても取り切れるかどうか分からないとのこと。多分視力は戻らないだろうという厳しい診断だったけれど、とりあえず眼圧を下げることを最優先にし、栄養を取って体力をつけ、避妊や乳腺腫瘍の手術は追々考えていくことにした。
フィラリアの検査は陰性で予防薬をもらった。リードを付けて歩いたこともないようなので、散歩ができるかどうかは不明。外にまだ出せないと思うのでワクチン、狂犬病の予防接種も先延ばしにした。
カヤがどんな状態になっても、ブナとクリの闘病生活と相次いで失う辛苦を経験した私には、もう怖いものはない。「何でもしてあげる」という決意はあっても財力が不足している私に酒井先生が、ほかの飼い主さんが使わずに戻してくれた高価な眼圧降下薬をただで分けてくれた。くぅ~、ありがとうございました!
先生に「名前はやはり木の名前で、榧の木から『カヤ』という名前にしました」と言ったら、先生は一生懸命漢字を思い出しながら、カルテや診察カードに「茅」と書いてくれた。「ああ~、榧なのに。仮名でもよかったのに」と思ったのだけど、あえて訂正しなかった。だって酒井先生、善い人なのだもの!
帰宅後、室内に立てたサークル内で爆睡
私からのメールを読んだ里親会の代表の方がさっそく申し出に応える連絡をくれ、電話で「いつ引き取れますか」と言うので「いつでも」と答えると、「では明日の午後に」と言う。里親会の方にしたら、ヘレンの里親探しは急転直下という感じだろう。
私もいつか行く宛のない子を引き取ろうとは思っていたけれど、こんなに早くその日が来るとは思ってもみなかった。
6月21日午後、小雨模様の中、ヘレンはうちに連れてこられたのでした。
盲目というが目の状況がどういう状況だか分からず、駆虫も避妊手術もまだだった。分かっていることは、この犬が繁殖犬として使われ、埼玉県のはずれのブリーダーが倒産したことによって飼育放棄されたままになっていたのを保護したということ。年齢は7、8歳だという。
私はすでに次に迎える犬の名前を決めていた。橡(トチ)、橅(ブナ)、栗(クリ)という樹木の名前を継いで、榧の木の「カヤ」である。
譲渡用紙にサインをしたそのときからヘレンは「カヤ」になり、里親会の代表の方たちを見送ったあと、夕方の診療に間に合うように汚れたままでやって来たカヤをシャンプーをすることにした。
「カヤ!」と呼びかけると、キョロキョロする。耳も聞こえないと思っていたけれど、少し遠いようだが聴力はある。これは有難いことだ。
黒ラブならシャンプー後に「はい、ブルブルして」と声をかけ、ブルブルさせて水を飛ばし、タオルドライで済ませていたのだが、長毛のアメリカン・コッカーではそうはいかない。昔トリミング研修で学んだようにタオルで拭きあげたあと、ドライヤーをかけながらブラッシングして乾かした。毛がふわふわとまって鼻に入るし、そこらじゅうにつく。くしゃみ連発であった。
きれいになったカヤさん
短期間だったけれど、かつて犬の託児所をやっていたときに大小何個もバリケンを持っていた。不要になったそれらは被災用に、以前住んでいた地区の獣医師会に寄贈してしまったのだが、運良くカヤが入れるサイズのバリケンをひとつ残してあった。まだ何となくしっとりしたままのカヤをそれに入れて、さかい動物病院に向かったのだった。
里親会で保護している犬の中には片目が見えない子、片足が奇形の子など障害のある子も少なくない。もちろん何の障害もない子もいて、一日も早く里親が決まるのを待っている。
保護シェルターでは人に触れてもらい、エサも与えてもらえる。けれど、例えばヘレンのその見えないという目がどんな状態で、何か治療をすれば見えるようになるのか、ヘレンだけ特別な治療をさせてもらえるかというと、そういう余裕はないように見受けられた。やはり疥癬など重篤な皮膚病や伝染性の疾患の治療が優先される。
敷物が汚れても、毎回洗濯できるわけではない。新聞紙やペットシーツのゴミが毎日山のように出る。ゴミを捨てるのも有料だから、どうしても新聞紙やペットシーツも節約しながら使うことになる。雑巾1枚とっても使うだけ使ってから捨てている。
多くの人手と労力を必要とするため、家庭で可愛がられている犬たちのような完璧に清潔な居場所を維持するのは難しいのだ。
だからとにかく早く里親を探し、1頭でも2頭でも早く出してあげなければと代表はじめボランティアさんたちも懸命である。そうしなければ保護されることを待っている犬猫を新たに連れて来られない状況なのだそうだ。
障害のない元気な犬たちでもなかなかすぐには飼い主が決まらないのに、全盲のヘレンはどうなってしまうのだろう。ヘレンの、あの強い気持ちの込められた挨拶に打たれていた私はヘレンが気になって仕方がなかった。
中途障害なのか生まれつきなのかは分からないけれど、視力や聴力がなくても、嗅覚や触覚があればなんとか生きていける。野生では淘汰されてしまうかもしれないけれど、人の手で生み出したものは人の手で何とかしてあげられるのではないか。むしろ動物のほうが五感のバランスを取る能力に長けているのではないか。
ブナとクリの介護、そして最期……、あの辛苦を思えば何でもしてあげられそうな気がした。ずっとトチ、ブナ、クリに語りかけて、相談してきた。あの子たちも応援してくれると思う。あの子たちが若くて元気な頃にヘレンを引き取ったら、きっとやさしく迎え入れてくれたことだろうと思う。クリを迎えたときのトチとブナのように、そしてボッチを迎え入れたときのように。
ヘレンを引き取ろうかと迷っていたとき、里親会のブログに「どなたかヘレンに愛の手を……」といった内容の記事が掲載されていた。
里親会の譲渡条件には「一人暮らしの方はNG]とある。私は思わずメールで連絡を入れた。3頭の黒ラブを1人で飼養していたことを告げ、特例を認めてもらうために。
ブナとクリの介護から看取りへと日々が流れ、毎週金曜日の官邸前の原発再稼働抗議集会へはなかなか参加できずにいたけれど、長く続けるためには無理をしないことも大切だと思い、行けるようになったら行き、別の形での抗議表明をしていけばいいと考えていた。
それは里親会でのボランティアも然りで、とにかくマンパワーが必要なことは分かったけれど、気負うあまり続かなくなるより、月に1度でも力を提供するくらいの気持ちで、初めて参加してからは一応毎週月曜日の午前中にハウスの掃除や散歩を手伝っていた。
初日、あるケージの中に、汚れたまま投げ置かれている雑巾のように、Tシャツを着て、ぐしゃっとうつぶせているコッカーがいた。コッカーの周囲の敷物は排泄物で汚れていた。
私が「この子のケージは掃除しなくていいのですか」と先輩のボランティアさんに聞くと、「この子は先週連れて来た子らしいのだけど、目が見えないようなの。どうするのかしら」と曖昧な返答だった。目が見えないのならなおのこと、掃除してあげなければ、糞尿まみれになってしまう。
私がその大きめのケージに半身を入れ、手早く敷物をまとめ始めると、目を覚ましたコッカーが私にぐいと身を押し付けて来た。その強さ、懸命さに私は少しうろたえた。
繁殖犬として使われて、結局遺棄されたのだろうから、人の手によっていい思いなどしてこなかったはずなのに、それでも人の手を求めているけなげさに胸打たれるものがあった。
里親会のブログを読むと、廃業したブリーダーから保護した犬で、盲目のうえ耳も聞こえないと書いてあった。「ヘレン」と名づけられているが、それが里親会で付けられたなのか、もともと付けられていた名前なのかは分からない。三重苦でも偉業を成し遂げた「ヘレン・ケラー」のヘレンかしら。
そしてなぜこの子だけTシャツを着ているのかもよく分からなかった。
その後、ボランティアに行くたびに気になって観察していると、吠えたけるほかの犬の中にいても、ひとりポツンと明後日の方向を眺めて座っているので、やはり耳が聞こえないのかと思った。ほかの犬が周囲で走り回っていても分からずに、孤独感の漂う小さな背中を見せて座っているその姿が切なかった。