目が見えなくても、カヤにはリードに慣れておいてほしいと思っていた。ちゃんと歩けるのに抱かれてしか移動できないのでは不本意だろうと思うし、両手が塞がってしまうのは私にとっても何かと不便である。
初めは、ある程度信頼関係が築け、猛暑の時期が過ぎたら、散歩に出そうと思っていた。単純に外を散歩する気持ちよさをカヤに味あわせてやりたいと思ったからだ。
けれど、ふと「カヤはそれがいいのだろうか」と思った。私は目が見えるから、色とりどりの草花や美しい風景に心を和ませるけれど、目の見えないカヤにとって外の世界は恐怖でしかないのではないか。リードウォークに慣れてもらうことは必要だけど、散歩をさせることは逆にカヤのストレスになるのではないだろうか。
いずれにしても、ワクチン接種や狂犬病の予防接種は受けておかなければならないので、ひとしきり考えたあと、ワクチン接種の際に酒井先生に相談してみた。
先生は「肥満を予防する意味でも筋肉をつける意味でも散歩は有効だけれど、もし外に出したときに固まってしまって動かないようなら、無理に散歩に連れ出さなくてもいいのではないかと思います。あくまでもその子の様子を見ながら判断すればいいのではないでしょうか」とおっしゃった。
そのとおりだな。もしカヤを外に出して固まってしまうようなら、散歩を強要することはやめよう。少しでも興味を示すようなら、少しずつ慣らしていこう。外で盲導犬が人の目になっているように、私がカヤの目になってあげよう。そうするにしてもリードする私を信頼できなければ怖いばかりだろうから、信頼にたる練習をしてあげようと思った。
そう思って、10月から少しずつ散歩の練習を始めたのだった。
引き取ってからのカヤを見る限りにおいて、目が見えない割には臆病でもなく、何でも受け入れていこうとしているように見えた。もしかしたら散歩にも慣れるかもしれないとも思っていたが、予想どおりカヤは震えて固まってしまうこともなく、私が足を叩く音とわずかに引くリードの強さに反応して路上をしずしずと歩き始めた。
リードを持っているため室内で誘導するように手を叩けないので、もっぱら太ももの脇を叩く音で誘導する。数日間はそろりそろりと歩いていたけれど、今日などはかなり軽快に歩き、しかも数十メートルも歩くことができたし、うちの玄関からマンションの廊下を歩いて外に出ることもできたのである。
道行く人やマンションの管理人さん、居住者の方が声をかけてくれると、短いしっぽをプルプルと振って応えている。もっとも犬がしっぽを振るのは喜んでいるときばかりではなく、緊張による場合もあるので、よく観察してあげなければならないし、カヤは何度かあくびをすることもある。
これは自分を落ち着けるための犬のカーミングシグナルのひとつなので、あまり何度もあくびをしたときは近付いて一緒に座り、なでてやることにしている。
カヤはとても性格のいい子だと思う。人の手を恐れていない。多分ブリーダーのところで、ぶたれたり、こづかれたりしたことは、そうそうなかったのではないかと思う。繁殖犬として強制的に子どもを産ませられてはいたけれど、交配・出産によって人の手に触れてもらっていたはずだ。目の治療はしてもらえずに辛い日々ではあったけれど、人に恐怖心を持つようなことはなかったのではないか。
初め犬のフードにあまり関心を示さず、私が食べているものに興味津々だったので、酒井先生にそう言うと「人の食べ物(余り物)を与えられていたのかもしれませんね」とおっしゃった。カヤにしたら美味しい食べ物をもらっていたことになるのかもしれない。
そんな交流の仕方は好ましいものとは言えないけれど、カヤは決して人間を嫌ってはいない。もともとの性格もおおらかで素直な気がする。素直に人を頼りにしていたからこそ、私に体を押し付けてきたのだ。カヤのそういった美質がカヤ自身を救うことになったのだ。それならなおのこと、カヤを裏切らないような信頼関係を築いていこうと思った。
段差があるときは路面を叩き「だんさ!」と声をか
けて教えてあげている。そのうち「だんさ」の意味
も覚えてくれるだろうと思う
こうしてカヤはリードウォークにも慣れ始め、日に日に散歩の距離を延ばしている。
カヤは、7月の末に右目の、9月初旬に左目の毛様体を破壊する処置を行った結果、痛みから解放されたからか、快活になったように思う。
両目ともに眼圧が50を越えていたため、眼球が大きく腫れていたのが術後、眼球の腫れも引き、目が小さくなった。今は感染症を防ぐ点眼薬を1日2回さしてやっている。それも眼球が萎縮してしまった場合には必要がなくなるらしい。
白内障が進み白濁しているカヤの目。声をかけると「何?」と首をかしげた
水晶体が脱臼している可能性があると言われたのだけど、目が濁っていて、それも定かかどうか確認ができない。でも、痛みや頭重から解放されたのであれば、それだけで十分!
今はトイレの成功率95%くらい。夜中も自分でソファから降りてトイレの部屋まで行き、ちゃんと用を足して戻ってくる。排泄物を踏み散らかすことはなくなり、本当に手間がかからなくなった。ウンチも踏まないように歩いて来るのだもの、大したものだと思う。
敷物の上で眠る心地よさも覚えたのだと思う。居る場所が決まってきた。もちろん私が居る部屋についてくるのだけど、その部屋の中でもカヤが寝転ぶ場所はカヤ用の敷物の上だ。
当たり前のことのようだけど、広くもない犬舎内で食べることも寝ることも排泄も済ませていたカヤは引き取った当初、まさに「クソミソ一緒」という感じで、自分がしたペットシーツの上に寝転ぶことも平気だったのだもの。家庭犬らしくなってきたのだ。
目下の問題は尿漏れかな。尿漏れは避妊手術をしたことで誘発されることがあると言われているけれど、カヤの場合は避妊手術をする前からだったので、ホルモンの関係ではないかもしれない。
とりあえず「健全な尿路を維持するための」サプリメントを与え、どういうときにどれくらい尿漏れをするかを観察しているところです。