☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

横浜では。

2011年03月12日 | Weblog

昨日からテレビでニュースを見続けています。
自然の力の大きさと、すごさ、たくさんの人が被害にあわれて心が痛みます。

地震の時、遠い横浜でもけっこうなゆれが続いてどうなるのかと思いました。
卓球仲間と食事中で、電灯が切れて店が暗くなり、
お店の店員さんに外に出るよう言われ、みんな外にでました。
周りのビルからもたくさんの人が外に出てきて、道路は人で一杯でした。
何時までも続く揺れの中で、若いお母さんの携帯から震源地は宮城と分かりました。
そんなに遠くの地震で横浜がこんなに揺れて、大変な事になっていると思いました。
こんなに揺れたから、家はどうなっているか心配になり、
揺れが収まってからお店に食事代を払いみんな家に向かいました。

私はオートバイです。東海道線の駅の踏み切りは渡れないと思い、
バスで二駅向こうにある、自転車や人ようのトンネルで渡ろうと出発しました。
電気が止まっているので、信号機も止まっていました。
本当に注意してゆっくり家に帰りつきました。
自分の家がちゃんと建っているのをみてホットしました。

家についてパソコンを開けると東京にいる子供から自分は無事だけど、無事かなとメールが。
それと携帯よりパソコンの方が連絡が伝わるから、パソコンで連絡をすると書いてありました。
息子は交通手段がないので家に帰れず会社で1泊でした。
仕事場はビルの17階の為、食料の買出しは歩くということだそうです。
その子の伴侶は直ぐ4時前に帰宅になったけど、
車の渋滞の為に、家にやっと着いたのは夜の9時にもなったようで、心配しました。

公衆電話からもう一人の子から、無事かなの連絡。
その子の仕事場のビルは古くて亀裂が入って
クライストチャーチのようにつぶれるかと思ってみんな外に飛び出たようです。
その後どうなったかは全く携帯が通じなくて、どうなったか心配していました。
夫は丁度愛知県にいて、愛知県からその子の携帯に掛け続けたらやっと連絡が取れて、
夫から「今日は家には帰れず、仕事場の近くで友と泊り込み」の連絡が来ました。
関東から愛知県には簡単に掛かりましたが、
夫から横浜にはなかなか連絡が取れなかったようです。
もう一人の子も夜遅くまで仕事で、深夜に仕事場から電話があり、
その後パソコンから住んでいる家も無事の連絡が入りやっとホットしました。

昨日今日は余震を心配して皆が買出しで、
マーケットの売り場で何にも置いてない、品切れ状態の場所があちこちにありました。
カップラーメン、お茶類、パン類などは、どの店も全くなくびっくりです。
明日から電気も3時間ぐらい輪番で止まると聞き、
普段使わなくなっていたガスバーナーを出して火がつくかチェックしました。
夜だと電灯もつかないから、懐中電灯の電池のチェックと買い足しをしました。

次々に被災された方々のニュースが入ってきています。
元の生活に戻るのにどんなに時間が掛かり大変な事と心痛いです。

コメント (2)
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