せっかくの京都に来たので、駅そばのホテルを取り、次の日一人でなつかしい京都を歩く事にしました。
父が転勤族だった私は、小さい時からよく行った祖母のいる京都が故郷の一つになっています。
京都に降りて街並みを歩くと懐かしの町だなと思います。
京都の案内で聞くと、6月4日はまだ紫陽花は早くてサツキが満開だと。
サツキの咲いている詩仙堂近辺を歩こうと思いました。
朝、バスで「一条寺下り松町」まで京都駅から50分掛かりますと言われ、本当に50分の間バスから京都の街をみました。
降りて初めて名前を聞く金福寺へ一番に行きました。
庭のさつきは残念な事に終わっていました。
鉄舟和尚と親しかった松尾芭蕉が京都に来た際に庭園の裏山にある草庵に滞在していたので、芭蕉庵と名付けられていました。
その後荒廃したが、彼を敬慕する与謝蕪村によって再興されたそうです。
その与謝蕪村の墓もここに在り、山への階段へ行こうとそこを見ると大きな鹿が立っていて、どうしてここに本物の鹿がいるか信じられませんでした。
鹿の方が慌てて逃げて行きました。私はせっかく来たのだからと恐恐上って与謝蕪村の墓まで行きました。
上まで行く京都の町が見えて、この地図がありました。
地図には大文字焼きの時の、鳥居、大文字、舟、妙、法、左大文字の6文字の山の位置が書いてありました。
夏休みで毎年大文字さんを見た事を思い出しました。
帰りに鹿に会った話をすると、お寺の人が「鹿が朝枯山水に来て、砂の模様をなくしてしまい、枯山水を書き直しをしている」と言っていました。
つぎに近くの詩仙堂に行きました。
門が小さくて素通りして行ってしまいました。戻って中に入るとさつきがまだ咲いていて良かったです。
詩仙堂は江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡です。
詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) と言い、でこぼこの土地に建てられた住居の意味です。