☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

ポンペイ遺跡 ⑧

2018年11月09日 | Weblog

バスでポンペイに着きました。
ポンペイはカメオ細工が有名で、まずはその細工を見学しました。
  
つい1個買ってしまいました。

西暦79年の夏ヴェスヴィオ火山(高さ1277m)の大噴火がおきました。
当時は北風が吹いていてナポリ湾に面したヴェスヴィオ火山の南東にあたるポンペイと西のヘレクラネウム一瞬のうちに埋もれてしまいました。
ポンペイの位置を示す地図をインターネットより拝借しました。黒い所が火山の被害にあった場所のようです。
この地図でカプリ島とソレントの位置も分かります。
 
右写真の後ろにみえるのがヴェスヴィオ火山です。ポンペイからは近くに見えます。
最も新しい噴火は1944年で、サン・セバスティアーノ村を埋没させました。それ以来噴火はありません。

ポンペイの遺跡を歩きました。
1748年に本格的な発掘がスタートするまで1700年近く地中深くに眠ることとなった遺跡です。
道路の両側に庶民の家が並んでいます。丸い白い台のあるのが居酒屋さん。
右写真は奥の穴でパンを焼くようでパン屋さんです。
  

車道(馬車道)の脇には一段高くなった歩道があります。
道路沿いに水飲み場もあります。

   

フォロ浴場跡
お風呂には可愛い飾りの彫り物がありました。
  

歩いているとパッと前が広がりました。
ポンペイの中核的な公共広場です。
バシリカ、アポロン神殿、食品市場、聖堂などの公共建築が並んでいるそうです。
バシリカとは裁判所や商品取引が行われた場所です。

  


食料市場の跡に石膏像が1体展示されていました。
     パソコンから拝借した写真
発掘された当時、火山灰の中は遺体部分だけが腐って無くなり空洞になっていました。
火山灰に埋もれた遺体は長い年月の間に朽ちて頭がい骨と歯を残して微生物により分解され空洞の穴を残しました。
考古学者たちはここに石膏を流し入れて亡くなった時の姿を再現しています。頭がい骨と歯は残っていて実際のものだそうです。
石膏を流し込むことによってとられた犠牲者の石膏像は現在までに1000体以上あるそうです。
母親が子供を覆い隠し、襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子や恐怖から逃れようともがく姿があるそうです。
私が子供の時のポンペイの遺跡のイメージは、絵画と亡くなった時の姿と思っていたので、それらは見れず終わりました。
石膏や絵画は違う場所で展示していたのかな?
1748年に再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするための発掘作業が行われました。
しかしそれまで街を埋めていた灰が除去されて4世紀、全体の4分の3近くが風雨にさらされた状態になりました。
劣化が進むポンペイ遺跡の修復1億500万ユーロ(約149億円)をかけてするプロジェクトが発足しています。
発掘によって色々な真実が分かりましたが、これを上手く残す事も必要な事と思いました。

コメント (2)
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