☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

バチカン市国 ⑩

2018年11月12日 | Weblog

バチカン市国はイタリアのローマの中にある都市国家で、ローマ カトリック教会の総本山です。
ローマ教皇が住む国であり、名高い貴重な美術品と建築物の宝庫とされています。

裏門かな、ここから入るのに長蛇の列がありましたが、我々ツアー客はすぐ入れました。
門の上の彫刻はラファエロとミケランジェロの彫刻です。
入口に入ると長いエスカレータがあり楽しました。現代的ですね。
でも隣の階段は重螺旋階段で上りと下りが一つの階段にみえる不思議な階段だったようで,階段を見なかった事が残念です。
   
上に出ると公園がありました。
公園にはシスティーナ礼拝堂の正面壁画のミケランジェロ作「最後の審判」等の絵達看板等いくつがあります。
ガイドさん達はこの看板達の絵の解説をしてくれました。礼拝堂では説明できず、写真も撮れない為です 。
  看板 

快晴の中、洒落た入り口から美術館に入ります。
すごく豪華絢爛たる中身です。天井が本当にきれいでした。。
  

両側に色々な彫刻が並んでいます。最初は絨毯タペストリーが両側に並んでいました。
   
 絨毯のタペストリー「キリストの復活」
ガイドさんがどの方向から見てもイエス・キリストがこちらを見ているように見えますと説明してくれました。
始めはキリストの目が左側に居る我々の方を見てます。そして通り過ぎた右側にいる我々を見ています。
部屋のどこから見てもイエスの目が追って来ます。
ミラノの美術館でも同じ描き方をしている絵を見ました。

絨毯のタペストリーの次は、壁に16世紀に作られた40枚の地図のフレスコ画が描かれています。
天井も絨毯のタペストリーの間と同じように豪華で立派です。
   

そしてシスティーナ礼拝堂に入りました。やはり写真撮影も説明は無しです。
正面の壁画「最後の審判」はミケランジェロ晩年の大作、
天井の「創世記」はミケランジェロ30代の頃の作品、どちらもすごて良かったです。
しかし広い礼拝堂の中はいっぱいの観光客で、ゆっくり見ましたがにぎやかくガタガタして。
そのままサンピエトロ大聖堂へ向かいました。 

サンピエトロ大聖堂が、またすごい大聖堂でした。
聖ペテロ殉教の地に4世紀にコンスタンティヌス帝が建立し、
16世紀初めに大幅な改築が行われ、改築時の設計はブラマンテからラファエロ、ミケランジェロへ引き継がれ17世紀初めにようやく完成しました。

 
ミケランジェロ作「ピエタ」と、ベルニーニ作の大天蓋「バルダッキーノ」です。
まず入口右側礼拝堂にあるピエタ像に目を奪われました。
ミケランジェロが1499年に24歳の時に注目を浴びた作品だそうです。
ピエタとは十字架から降ろされたキリストとそれを腕に抱く聖母マリアの宗教画や彫刻の事だそうです。

もう一つ29mもある大きな大天蓋バルダッキーノです。あまりの大きな物が鎮座していてこれは何だろうと思いました。
この上の場所は唯一教皇だけがミサを行うことの出来る神聖な祭壇です。
バルダッキーノという名前はバグダッドのことで、バグダッドからもたらされた高級な布地を巻き上げて天蓋を作ったところから生まれた言葉だそうです。
ねじれねじれて舞い上がる炎のような円柱の下から見た絵は真上のクーポラから降り注ぐ外光を通して鳥が見えます。

       
バロック様式のサン・ピエトロ大聖堂はキリスト教の建築物としては世界最大の教会で、そのすごさと立派さに敬服します。

   
外から見た景色です。
明日は特別の催しがあるようで、その為に顔が大きく張られ、広場は椅子で埋め尽くされています。
サン・ピエトロ大聖堂は総面積15106平方メート、高さ45.8m、収容人数6万人だそうです。
教会から出るときにスイスの傭兵がいました。洒落た制服ですね。
   

丸い城はサンタンジェロ城はテヴェレ川右岸にあり14世紀頃からローマ教皇によって要塞となっていました。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれていてローマー教皇の避難場所と書かれていました。

コメント (2)
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