十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

文は人なり

2019-07-20 05:00:00 | 投稿

 文は人なりという諺があるが、言葉は人なりという諺はない。諺にない理由は、当たりまえのことだからだと思う。最近、言ってはいけない言葉を口に出したために、辞職した政治家をたびたび目にしたが、思っているから口に出たのであり、まさに「言葉は人なり」だと思う。

 

ところで、川端康成の文でも、司馬遼太郎の文でも、村上春樹の文でも感じるが、文は人なりと思う。身から出た錆という諺もあるが、辞職も自業自得で止むを得ないと思っている。

 

ただ、国会で歯舞・色丹を読めない沖縄北方大臣がいたが、道産子としては笑うに笑えないことでもある。いま国会議員の資質が問われているが、普通の国会議員ならまだしも、いみじくも大臣である。大臣になってかで良いから、北方四島のことをもっと知ってほしいと思う。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)北方四島

 北方領土、北方四島は、北方地域 - 日本の各種の法令において使用される用語で、1959年の「内閣府設置法第四条第一項第十三号に規定する北方地域の範囲を定める政令」(昭和34年政令第33号)では、歯舞群島色丹島国後島択捉島、その他日本国首相が指定する「北方の地域」を指す。1982年の北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律(昭和57年法律第87号)では、北方領土を意味する「北方地域」として、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島が示されている。なお、郵政民営化まで、国際郵便料金の分野(郵政省の官報告示など)で、「北方諸島」との用語が使用されていた。ロシアでは、南クリル諸島と呼ぶ。

北方領土問題

上記「北方地域」を巡る領土問題であり、終戦前後まで生活の基盤を北方四島に有していた者、並びにその子孫の本拠に関係する問題。

(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

注)川端康成

川端 康成(明治32昭和47年)は、日本小説家文芸評論家大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。1968年ノーベル文学賞受賞。

大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、的、抒情的作品、浅草物、心霊神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った。その後は、や流転のうちに「日本の」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間のも、非情や孤独絶望も知り尽くした上で、美やへの転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人死生観美意識を世界に紹介した。

 

注)司馬遼太郎

司馬 󠄁太郎(1923年大正12年)1996年平成8年)は、日本の小説家ノンフィクション作家評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)


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異常気象

2019-07-18 05:00:00 | 投稿

 

 

(出典:札幌管区気象台ホームページより)

 

過去、十勝の最高気温は38.8度で、ことしの526日に記録した。因みに、この日の北海道の最高気温は北見市佐呂間町で、5月としては全国最高気温であった。

今年5月の十勝の天気は雨不足のカラカラ天気が続き、農作物の作況を心配したが、その後に雨が降り、作況は盛り返したそうである。

ただ、7月に入ってからグズついた天気が続いており、本州では「タイ米」を輸入した年のように、いまから冷害を心配していた。

私は気象予報士でないが、今年も「異常気象」である。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 異常気象

気象庁では、「過去30年気候に対して著しい偏りを示した天候」を異常気象と定義している。世界気象機関では、「平均気温や降水量が平年より著しく偏り、その偏差が25年以上に1回しか起こらない程度の大きさの現象」を異常気象と定義している。

エルニーニョ現象や、これに南方振動を含めたENSOは、異常気象の原因となるとされているが、エルニーニョ/ラニーニャ現象は数年の周期で起こるものであり、「エルニーニョ/ラニーニャ現象=異常気象」ではない。後でも述べるが、異常気象の原因=エルニーニョ/ラニーニャでもない。

また、気象庁の異常気象レポートでは、「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度の頻度で発生した)現象」ともしている。

しかし異常気象の発生自体は当たり前の事象であり、地球が存在する以上は必ず一定量発生するものである。単に人間の寿命がせいぜい百年程度で、近代気象学に関わる文献が過去数百年〜千年程度でしかないため、本来的には地球上で普通に発生し得る天候であっても、観察者である人類の寿命・歴史にとっては異常と定義したといえる。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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シャクシャインの戦い

2019-07-17 05:00:00 | 投稿

 「シャクシャインの戦い」は、1669年に起こった北海道史上で一番大きい戦いである。私はその戦いを50年前、講演で知った。その講師が、「北海道の革新性は、シャクシャインの戦いにより生まれた」と言っていた。

確かに北海道は農業国で、どちらかと言うと補助金などもあり保守性が強い所であるが、選挙だけは他の所とくらべて何故か保革伯仲しているのも、それに原因があるかもしれない。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)シャクシャインの戦い

シャクシャインの戦いは、1669年6月にシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた、松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起である。

 [松前藩による交易独占]

アイヌ民族は、松前城下や津軽や南部方面まで交易舟を出し和人製品である鉄製品・漆器・米・木綿などを北方産物である獣皮・鮭・鷹羽・昆布などと交易していた。

しかし17世紀以降、幕藩体制が成立すると幕府により対アイヌ交易権は、松前藩が独占して他の大名には禁じられることとなった。アイヌ民族にとっては、対和人交易の相手が松前藩のみとなったことを意味し、和人との自由な交易が阻害されることとなった。

幕府権力を背景にした松前藩では、17世紀後半には対アイヌ交易は、松前城下などでの交易から商場知行制に基づく交易体制へと移行した。これは松前藩が蝦夷地各地に知行主(松前藩主や藩主一族及び上級藩士など)と、彼らの知行地である商場を設定して知行主には直接商場に出向き、そこに居住するアイヌ民族との交易権を与える交易体制であった。

また和人からアイヌ民族に交易を一方的に強要する「押買」の横行や、大名の鷹狩用の鷹を捕獲する鷹待や砂金掘りの山師が、蝦夷地内陸部を切り開く行為、松前藩船の大網による鮭の大量捕獲がアイヌ民族の生業基盤を脅かし、和人への不満が大きくなった。

 [発端]

不利なレートを嫌い交易を拒否するアイヌに対し、和人が無理やり交易を強要する押買が横行するなど、アイヌには和人への不満が広がっていた。 こうして事態は、惣大将や地域集団同士の争いから多数のアイヌ民族集団による対松前藩蜂起へと移行した。

16696月21日、シャクシャインらの呼びかけによりイシカリ(石狩地方)を除く東は釧路のシラヌカ(現白糠町)から西は、天塩のマシケ(現増毛町)周辺において一斉蜂起が行われた。決起した2千の軍勢は、鷹待や砂金掘り、交易商船を襲撃した。突然の蜂起に和人は対応できず、東蝦夷地では213人、西蝦夷地では143人の和人が殺された。

シャクシャイン軍は松前を目指し進軍し、7月末にはクンヌイに到達して松前軍と戦闘を行った。戦闘は8月上旬頃まで続いたがシャクシャイン軍の武器が弓矢主体であったのに対し、松前軍は鉄砲を主体としていたことや、内浦湾一帯のアイヌ民族集団と分断され協力が得られなかったことからシャクシャイン軍に不利となった。

 [シャクシャイン軍の敗北]

シブチャリに退いたシャクシャインは、徹底抗戦の構えであったため、戦いの長期化による交易の途絶や幕府による改易を恐れた松前軍は、謀略をめぐらしシャクシャインに和睦を申し出た。シャクシャインは、結局この和睦に応じ11月16日、ピポク(現新冠郡新冠町)の松前藩陣営に出向くが和睦の酒宴で謀殺された。この他アツマ(現勇払郡厚真町)やサル(現沙流郡)に和睦のために訪れた首長も同様に謀殺あるいは捕縛された。翌17日には、シャクシャインの本拠地であるシブチャリのチャシも陥落した。

[影響]

このシャクシャインの戦いを経て、松前藩は蝦夷地における対アイヌ交易の絶対的主導権を握るに至った。その後、松前藩は中立の立場をとり蜂起に参加しなかった地域集団をも含めたアイヌ民族に対し、七ヵ条の起請文によって服従を誓わせた(『渋舎利蝦夷蜂起ニ付出陣書』)。これにより、松前藩のアイヌに対する経済的・政治的支配は強化された。その一方で、アイヌにとって不利になる一方だった米と鮭の交換レートをいくぶん緩和するなど、融和策も行われた。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

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東京農大野球部網走チームのこと

2019-07-15 05:00:00 | 投稿

 東京農大野球部網走チームは、第68回大学選手権で準決勝まで勝ち上がった。まさにチームワークの勝利である。それで思うのだが、チームでも企業でもそうであるが、良い結果を生むためには「ベクトル」が大切である。即ち、方向性が大切である。

大学選手権で優勝したチームは明治大学であったが、いわばエリート集団で勝って当たり前のチームである。昨年の高校野球で準優勝した秋田県代表の金足農業高校も、チームワークが良かったからだと思う。

ところで、「火事場のバカ力」といわれる言葉ある。人間の可能性は、無限大であり、企業も人間集団であるから無限大である。ただ、どのようにチームワークやベクトルをつくっていくのかが重要で、トップの人間力が問われるのである。ただ、言うは易く行うは難しでもある。

先日、帯広市内の歩行者天国で、東京農大網走「よさこいソーラン」を見てきたが、ここにもチームワークが必要である。

 

東京農大野球部網走チームはこちら

 

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 注) ベクトル

 1. 大きさと向きをもつ量。有向線分で表す。

ベクトル空間の要素である元(げん)
 .1から転じて方向性をもつ力。物事の向かう方向と勢い。

 使い方:「各省庁間のベクトルの大小を比較する」 「彼とはベクトルが合う」 「組織内の各人がばらばらにベクトルを立てる」(出典 小学館デジタル大辞泉)

  

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