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フランス領インドシナへの進駐について

2015-10-10 07:12:17 | 日記
 昨日触れました日本軍のフランス領インドシナ、仏印への進駐について書いてみようと思います。

 なぜにフランス領インドシナに進駐し、最後には南部仏印への進駐によって太平洋戦争に突入するはめに陥ってしまったのでしょうか。これまで日本は中国で蒋介石率いる国民党と戦っていました。蒋介石にはアメリカ、イギリスなどが支援をしていました。日本軍としては、蒋介石が引きこもってしまった重慶まで攻め込むだけの戦力がありません。そこで、蒋介石への援助ルートを遮断して戦争を有利に進めようとしたのです。

 蒋介石への援助ルートとしては、香港方面からのルート、フランス領インドシナのルート、ビルマルートとありましたが、香港方面のルートは日本軍が香港周辺を占領してルートを遮断することができました。

 そして、当時のフランスはドイツに敗れ、植民地はド・ゴールの自由フランスに従うか、ヴィシーフランスに従うか混乱をしていました。その弱みに付け込んで蒋介石への援助ルートを遮断するため、フランス領インドシナに進駐することとしたわけです。

 日本側の見方としては、フランス領インドシナに進駐してもアメリカやイギリスは動かないと楽観的な見通しをもっていたようで、南部仏印に進駐した後のアメリカの硬化した態度にビックリしたというのが、本当のところじゃないかと思います。外務省は南部仏印への進駐には危険が伴うことを主張していたようですが、政府を仕切っていた軍はいかにも国際オンチであったわけです。

 特に、南部仏印への進駐はイギリス領のマレーやオランダ領東インド、今のインドネシアから資源を調達するために圧力を加える意味もあったのですが、全く逆効果になってしまたったとにいうことになります。

 それから、当時は統帥権の独立が叫ばれていて、軍の行動について総理大臣といえども口をさしはさむことができませんでした。ですから、軍が事を起こすと政府はそれを追認せざるをえず、日本国としてのグランドデザインを構築してそれにそって外交や軍を動かすような仕組みになっていなかったことも背景としてあげられると思います。

 陸軍のいうことをきかなければ、陸軍大臣を辞任させて後任を出さないという手段によって、内閣をつぶすことができるわけで、軍に都合の悪い政府が存続することができないということとなります。そのように軍の意志が政府を動かすようになるわけですが、軍にアメリカがどんな反応を示すのかといった点に関して、しっかりと考える部門もなければ、考えようともせず、自分の都合の良いように解釈してしまうということを繰り返し、最後は抜き差しならないところまで落ち込んでしまったわけです。

 日清、日露の戦役の時には、まだ明治維新の元勲がいて、うまく調整する役割を果たしていたわけですが、昭和の時代にはもう元勲もおらず、日本のグランドデザインを描いたり、軍の暴走を抑えることのできる仕組みも人物もいなくなつてしまつていたのが、悲劇だったということになるのではないでしょうか。