思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

大型連休関係なし

2005年05月01日 | Weblog
今日は昼から雨に煙っている。
年金暮らしには大型連休もピンと来ない。旅行は割高、人で混み合い、車は大混雑、こんな時期は行動しない。子供は帰ってくるのかどうかはっきりしないし、帰省しても宿泊所位にしか思っていない。子供は未婚なので勿論孫はいない。

最近は曜日の感覚も薄れてきた。
ハナキンという言葉も過去のものになった。

昔はドライブが好きだった。北海道までフェリーで行って、道内を一周したこともあったなー。
遊び疲れてボーっと出勤してたナー。

思い出に浸るようになってはお終いだ。
まだまだ挑戦してみる価値のある事柄は山ほどあるぞ。

新婚さんいらっしゃい

2005年05月01日 | Weblog
日曜日昼からのテレビ番組、「新婚さんいらっしゃい」は殆ど欠かさず見る。
長寿番組であるのでそれなりの視聴率を保っていると思う。結構、私も見ているという人が多い。

自分の新婚時代とダブらせて見ることが出来ることもあるのだろう。
下ネタも多いが、若いから笑える。

誰でも新婚時代は忘れられない思い出があるはずだ。
人生の大事業である結婚をスタートさせる前後はすべてが印象深い。
どのようにして一生の伴侶を選んだのか、どんな基準で選んだのか、どんな悩みがあるかなど非常に興味深い。

我が家は余り印象が無い。
結婚前4,5年会社のサークルとかでいつも顔を合わせていた。お互い憎からず思っていたし、自然に結婚した感じだ。だが良く考えてみると女房は緻密に考えて仕組んでいたような気がする。
蜘蛛の糸にからめ取られたのかもしれないが、今ではそんなことはどうでもいい。

若い頃は男は「やりたい」一心で女を追うが、やってしまえば目覚める。だから結婚する相手は一生友人としても付き合っていけるかどうかが問題だ。興味の一致、話題の一致、勿論セックスに対する欲望の度合いも重要だ。しつこいのと淡白なのとでは後で問題が起こる。
我が家は女王様と家臣の関係かもしれない。お互いに相手を操っている関係と思っているが、どうか。

スーパーの買い物カゴ

2005年05月01日 | Weblog
何ヶ月か前に、妻がスーパーで購入した買い物類を、スーパーの備え付けの買い物籠に入れたまま手に提げて帰ってきた。勿論レジは通した後であるが。持って帰って私が気付くまで意識に無かったみたいである。
その後暫くの間、そのカゴは我が家の古新聞入れになっていた。
ところが今日になって、やはり返してくる、といって空のカゴをもって出かけた。
カゴにはスーパーの名称が書き込まれている。

何故今日になって返却する気になったのかはよく分からないが、何となく妻の性格の不思議さを感じさせる出来事であった。


既視感に関連して

2005年05月01日 | Weblog
旅の途中で、或いは身近ではあるが近所で初めて通る街角で、この風景は以前どこかで見たなという感じにとらわれることがある。

子供の頃に体験した強烈な既視感を今でも思い出す。
遠方の叔母が予告無く、というか子供だった自分が知らなかっただけかもしれないが、初夏のある晴れた日に、家の裏の木の引き戸を引いて、日傘をすぼめながら入ってきた。
その光景は間違いなく一度見ている気がした。夢で見ていたのかもしれないが、その現実の光景を夢で見ることは絶対に出来なかったはずである。着物の様子、日傘、履物など前に見たと思う光景とピタリと一致していた。
そして、子供の私は縁側に腰を下ろして見ていた。
その光景は成長してからも何度と無く繰り返し夢に出てきた。今では夢だったのか現実の出来事だったのかの区別も定かではなくなった。

子供心にも美しかった叔母への思い出がそうさせていたのかもしれないと思う。
叔母は随分前に他界した。

既視感と同じく、このブログでも「このことは前に一度書いたような」感じになり気に掛かることがある。人と話したり心で思ったりすることと文章にすることが重なり合ってそうなると思う。
プロの作家にはそういうことはないのだろうか。随筆なんかも何百枚も書くとき同じことを書いたりすることはないのだろうか。
そういうミスはしないからプロなのだろう。

何事も6年間集中して訓練すればある程度のプロにはなれる、という言葉を聴いたことがある。
しかし、本当のプロは命をかけてやっていると思う。
悩みぬいて自殺したりするではないか。