思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

藪の中

2005年05月18日 | Weblog
先日テレビの国会中継を見るともなく見ていた。
民主党と小泉総理のやり取りをやっていた。
双方の見事な応酬に惚れ惚れした。
と言うのはどちらの意見も聞いてみれば「なるほど」と納得してしまう。
まったく逆のことを主張しているのにである。
政治家は言葉の魔術師であるなあ、と感心することしきりである。

一方の意見だけを聞いていたら、そのまま信じて加担してしまいそうな気がする。
それぞれの主張には道理があり、裏付がある。
一瞬、芥川龍之介の小説「藪の中」を思い出してしまう。

ひとつの事象について、人によってまったく違った解釈が成り立ち、しかもいずれも真実であるというパラドックスが成り立つ。
人生観においても、楽観主義も悲観主義も相反しながら両方とも成り立つし、煎じ詰めてゆけば同じことを言っている事になるのか。

事実とか真実はひとつなのに、解釈の仕方は様々あっていずれも成り立つ、と言うことかな。
前向きに解釈すれば前向きに生きる事になるし、逆の解釈をすれば悲観的に生きる事になる。

女房の愚痴も「時間の無駄だ~、うるせえなあ」と捉えればストレスの原因になるが、「そういう意見もあるな、参考になった」と前向きに聞いていれば、ひとつ賢くなれる、と言う程度のことだろう。

それにしても、代議士さんの弁舌はたいしたもんだ。
白いものでも黒くなる。
社会現象はいろんな解釈ができると言うことだ。
天動説が地動説にとって代った様に、現在の少数意見も時代の変遷によってはみんなの真実になりうる。
少数意見についても良く考えてみる必要がある。
多数決だけの民主主義にならないように。




戦艦大和

2005年05月18日 | Weblog
突然、戦艦大和。
なんの理由もなくふと思い浮かぶ。

旧日本軍の第2次大戦末期の最大の悲劇の軍艦。
撃沈されることを知りながら出航した悲しい船であるが、その比類ない船形の美しさ。
迎撃する戦闘機さえも持たず、アメリカ軍の容赦の無い戦闘機の攻撃と魚雷の攻撃になす術もなく撃沈された。
実際は日本軍国主義の馬鹿な最後のあがきだったのだろうが、設計して建造に携わった人々に対しては最大の敬意を払いたい。
死を覚悟して乗艦した人々に対しても。
今でも静かに海底に眠っている。

何故かそんな船が訳もなく愛しい。
そういえば船は女性名詞とか。
映画の主題歌、谷村新司の「群青」を随分練習したことがあった。大和を思いながら。

宇宙戦艦やまと、良かったなあ。映画も心震えたなあ。
主題歌も絶望の悲哀の中からの最後の希望みたいなもんが感じられて良かったな~。
も一度ビデオ借りて見ようかな。

確か呉造船所跡に記念館みたいなものが出来て、模型が飾ってあるとかニュースで見たような気がする。模型といっても馬鹿デカイものみたい。一度見に行ってみようかな。
女房は興味ないだろから、行くんなら1人旅だな。

と言いつつ感傷に浸り、心洗われている様なひと時でした。

同じ趣味

2005年05月18日 | Weblog
今日、素人劇団の練習の帰りに仲間の2人のおばさんが話しかけてきた。
「ご夫婦で同じ趣味持ってるの、いいですよネエ」
女房は急用で欠席していたが、一瞬「エッ」と思う。実は演劇を演じる趣味は元々無い。
会合では、「最初興味が無かったけれどだんだん興味が湧いてきました。ベストを尽くします」とか言っているから、演劇が好きだと思われている。
今更撤回することも出来ないので、本当にベストを尽くそうと思っている。
結構楽しいかな、と最近は思う。

女房は、自分の夢を実現してゆくのに常に貪欲である。
常に積極おばさんである。
演劇は高校時代に好きでやっていたことを、この年になってももう一度挑戦したいのだろう。
社交ダンス然り、カラオケ然り。朗読ボランティアなんかもある。
社交ダンスもカラオケも「ご夫婦同じ趣味」という事になっている。
旅行もあるな。

しかし、残念ながら同じ趣味なのではなく、女房の趣味に付き随っているというのが本当だ。
だが、感謝はしている。
彼女と連れ合いにならなかったら決して足を踏み入れなかったであろう世界に少しでも触れることが出来たわけだから。
自らは積極的に動けないのが、私の特徴みたいだし。
女房は「男気が足らん」といっている。