先日テレビの国会中継を見るともなく見ていた。
民主党と小泉総理のやり取りをやっていた。
双方の見事な応酬に惚れ惚れした。
と言うのはどちらの意見も聞いてみれば「なるほど」と納得してしまう。
まったく逆のことを主張しているのにである。
政治家は言葉の魔術師であるなあ、と感心することしきりである。
一方の意見だけを聞いていたら、そのまま信じて加担してしまいそうな気がする。
それぞれの主張には道理があり、裏付がある。
一瞬、芥川龍之介の小説「藪の中」を思い出してしまう。
ひとつの事象について、人によってまったく違った解釈が成り立ち、しかもいずれも真実であるというパラドックスが成り立つ。
人生観においても、楽観主義も悲観主義も相反しながら両方とも成り立つし、煎じ詰めてゆけば同じことを言っている事になるのか。
事実とか真実はひとつなのに、解釈の仕方は様々あっていずれも成り立つ、と言うことかな。
前向きに解釈すれば前向きに生きる事になるし、逆の解釈をすれば悲観的に生きる事になる。
女房の愚痴も「時間の無駄だ~、うるせえなあ」と捉えればストレスの原因になるが、「そういう意見もあるな、参考になった」と前向きに聞いていれば、ひとつ賢くなれる、と言う程度のことだろう。
それにしても、代議士さんの弁舌はたいしたもんだ。
白いものでも黒くなる。
社会現象はいろんな解釈ができると言うことだ。
天動説が地動説にとって代った様に、現在の少数意見も時代の変遷によってはみんなの真実になりうる。
少数意見についても良く考えてみる必要がある。
多数決だけの民主主義にならないように。
民主党と小泉総理のやり取りをやっていた。
双方の見事な応酬に惚れ惚れした。
と言うのはどちらの意見も聞いてみれば「なるほど」と納得してしまう。
まったく逆のことを主張しているのにである。
政治家は言葉の魔術師であるなあ、と感心することしきりである。
一方の意見だけを聞いていたら、そのまま信じて加担してしまいそうな気がする。
それぞれの主張には道理があり、裏付がある。
一瞬、芥川龍之介の小説「藪の中」を思い出してしまう。
ひとつの事象について、人によってまったく違った解釈が成り立ち、しかもいずれも真実であるというパラドックスが成り立つ。
人生観においても、楽観主義も悲観主義も相反しながら両方とも成り立つし、煎じ詰めてゆけば同じことを言っている事になるのか。
事実とか真実はひとつなのに、解釈の仕方は様々あっていずれも成り立つ、と言うことかな。
前向きに解釈すれば前向きに生きる事になるし、逆の解釈をすれば悲観的に生きる事になる。
女房の愚痴も「時間の無駄だ~、うるせえなあ」と捉えればストレスの原因になるが、「そういう意見もあるな、参考になった」と前向きに聞いていれば、ひとつ賢くなれる、と言う程度のことだろう。
それにしても、代議士さんの弁舌はたいしたもんだ。
白いものでも黒くなる。
社会現象はいろんな解釈ができると言うことだ。
天動説が地動説にとって代った様に、現在の少数意見も時代の変遷によってはみんなの真実になりうる。
少数意見についても良く考えてみる必要がある。
多数決だけの民主主義にならないように。