国には長い歴史がある。
その歴史をそれぞれの国が解釈して評価して、教科書になったりする。事実は一つしかないが神ではないので全てを網羅して解釈して、これが真実だと言い切ることは難しい。
過去は過去で過ぎ去った昔として忘れることはしない。現在は過去の集積と考え、解釈した物差しで現在の事象を判断する。
一つの事実でも人によって解釈の仕方が違う場合もある。
だから、中国・韓国との歴史認識の問題は平行線を辿るような気がする。
国家間の戦争がもたらした悲劇の解釈にこだわる。
自分が体験したことも無い史実に、国家の教育により翻弄される若者達が可愛そうな気がする。
第2次大戦も多くの日本人が翻弄された。殺し合いを望む人間なんていないはずなのに、戦場に駆り出されて否応無く殺しあった。
私は戦争を知らない子供達の一人として育ったが。
戦争の終結は、一般庶民にとっては戦争の呪縛からの開放であり、殺し合いからの開放である。
国家は国民が望みもしない戦争にただ権力によって引きずり込むわけだ。
個人間でも過去を清算して生きていこうとする人を、その過去に拘り解釈して決め付けるのは可哀想なことだ。その罪を赦して理解してやれればいいと思う。
絶対に赦せないといえば永遠に憎しみ合うしかない。
中国も韓国もアジアの隣の国である。
顔かたちも似ている。
韓国では知り合いと勘違いされ話しかけられて往生したこともある程区別も付かない。
個々人をとれば何のわだかまりも無いのに国家が立ちはだかる。
歴史の解釈の尺度の一つに「赦しあう精神」も入れて欲しいものだ。
その歴史をそれぞれの国が解釈して評価して、教科書になったりする。事実は一つしかないが神ではないので全てを網羅して解釈して、これが真実だと言い切ることは難しい。
過去は過去で過ぎ去った昔として忘れることはしない。現在は過去の集積と考え、解釈した物差しで現在の事象を判断する。
一つの事実でも人によって解釈の仕方が違う場合もある。
だから、中国・韓国との歴史認識の問題は平行線を辿るような気がする。
国家間の戦争がもたらした悲劇の解釈にこだわる。
自分が体験したことも無い史実に、国家の教育により翻弄される若者達が可愛そうな気がする。
第2次大戦も多くの日本人が翻弄された。殺し合いを望む人間なんていないはずなのに、戦場に駆り出されて否応無く殺しあった。
私は戦争を知らない子供達の一人として育ったが。
戦争の終結は、一般庶民にとっては戦争の呪縛からの開放であり、殺し合いからの開放である。
国家は国民が望みもしない戦争にただ権力によって引きずり込むわけだ。
個人間でも過去を清算して生きていこうとする人を、その過去に拘り解釈して決め付けるのは可哀想なことだ。その罪を赦して理解してやれればいいと思う。
絶対に赦せないといえば永遠に憎しみ合うしかない。
中国も韓国もアジアの隣の国である。
顔かたちも似ている。
韓国では知り合いと勘違いされ話しかけられて往生したこともある程区別も付かない。
個々人をとれば何のわだかまりも無いのに国家が立ちはだかる。
歴史の解釈の尺度の一つに「赦しあう精神」も入れて欲しいものだ。