goo blog サービス終了のお知らせ 

思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

残虐行為

2005年05月17日 | Weblog
昨晩のテレビでアフリカの湿地に棲んでいるライオンの記録番組を見た。
毎週月曜日のこの番組は良く見る。
自然の営みの中での動物の想像も出来ない不思議に出会えるし、動物は余計なことを考えずに潔く生きているのが好きだったりで見る。
ひとつの生命の誕生から次第に多様化して、環境に対応しながら絶滅したり新しく生まれたり地球生命の歴史を見る思いがすることも魅力のひとつである。
人類もひとつの生命な訳だが。

ところで、ライオンが群れでアフリカ水牛を襲い、噛み倒して殺すなり忽ちのうちに皮をむしり骨を噛み砕いて口を血に染めて肉や内臓を食い漁る。
瞬く間に先程まで走り回っていた水牛は太い骨だけの残骸と化してしまう。
子供のライオンも骨に残っている肉片まで一生懸命に食い尽くす。
一見無慈悲な残虐行為である。
しかし、人間の残虐行為を見聞しての感想とはまるで違う。自然の掟に従った崇高な行為に思える。水牛が殺されて骨と化すのも崇高な行為である。
ライオンにとっては、殺して食べるのは生命の連鎖を保っていくための何の疑いも持たない自然な行為であるわけだ。
謂わば神によって許された行為である。
それ以外の残虐行為は決してしない。

一方我々人間の間では許されない残虐行為が増えている。
イラク、ウズベキスタン、我々の周りでも首輪・手錠事件。
自然の摂理からはみ出した残虐行為である。
人類は今や地球の生態系に君臨して増加し続けている。
終末説ではないが、ひとつ間違えれば種の絶滅の危機をはらむ可能性を秘めている。
100年後に地球は放射能を餌にして生きる生命だけになっていたりしかねない。

俺って変なこと考えたりするな~。





街ゆく人々

2005年05月17日 | Weblog
ゴミ出しの日。
今日も天気が良かったので、ゴミを出して少し散歩した。

エレベーターには中年の夫婦が、出勤姿でゴミ袋を提げて出るところだったが、暫くして二人とも自転車で同じ方向に走り去った。きっと同じ職場かもしれないと考えたりしたが、生き生きして好感が持てた。一方我輩はゴミを捨てた後、特にこれといって踏ん張ってやるようなことも無い寂しさをふと感じる。

子育て真最中の母親が自転車の前と後ろに幼児を乗せて、形振りかまわずといった風情で幼稚園に急いでいる。

若いサラリーマン男性が、下を向いて苦しそうに急いでいる。昨日呑んで帰ったそののままの服装で飛び出した感じを受ける。昔俺もそんなことあったよなとエールを送る。

早起きの散歩帰りのような爺さんがゆっくり通る。のんびりし過ぎる暮らしも、つらいものがあるなあ、と勝手に想像したりする。

働く若いおねえさんは、颯爽としていて淡い香水の香りを残して行き過ぎる。OLさんは男性と違って大抵ピシッと決めている。清潔感が漂う。
ひょっとしたらこの社会、女性が働いて男が家事担当に変更したほうが全てうまく流れるような思いに囚われる。

定年生活に入ってから特になんにつけても女のほうが賢く逞しく生きているような気がしてならない。企業組織の中でも女性は不当な差別を受けて、能力を発揮する機会を奪われているから、男が支配しているように見えるだけである。
子育てと家庭を女房に押し付けて、会社でのらりくらりしている輩もやたら多い。
今日のニュースでもやってたが、日本は女性の地位に関しては最後進国の仲間入りをしている。
またまだ男性優位の後進国なのだ。
転換点の日本社会、女性が自由に能力を発揮できる体制に早く持っていかないと、経済的にも後進国になりかねない。
年金暮らしの身にとっては重大問題だ。
賢明な日本政府のことだから、その辺のところは分かっているはず、早くそういう施策を実行に移していって欲しいと思う。

かくいう散歩しながら考えたわけじゃない。
書いているうちにそういう方向に進んでしまった。


追想

2005年05月17日 | Weblog
長いようで短かった一流の心理サスペンスを読み終わった。
久しぶりに心惹かれる文章に最後まで飽きることは無かった。

終章は悲劇ともいえるが、突然余韻を残して終わる。
その後に、主人公はどうなっていくのかな~、という余韻の残るエピローグであった。
次の作品が待ち遠しい限りである。