思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

デイトレイダー

2006年08月10日 | Weblog
今日はカンカン照りの暑い中、カラオケの店に行ってきた。
店に入るとき2人連れの黒のビジネススーツのお姐さんが同時に店に入ってきた。
ニュージーランドがどうのこうの言いながらパンフレットをママに渡して、後輩を紹介しますとか言っていた。

2人が帰ってから「海外旅行ですか?」と聞いたら「為替よ!」という。
よくよく聞いたら為替相場のことらしい。

そのママさん、私と誕生日を言い合う中で「あら、私の方がお姉さんよ」と言う。
地味で小柄、もともと「客商売は私には不向き」といいながらもう長いことやってる。
ニュージーランド云々はニュージーランドドルのことだった。
今回からニュージーランドドルも手がけることにしたそうだ。
米ドル、ユーロ、…など数カ国通貨を為替相場で手がけているとか。

それを全て携帯電話でやる。
携帯電話でやり方を順を追って画面を切り替えて教えてくれた。
その画面によると彼女の残高は現在350万円、1年前に250万円で始めたそうでこの1年で約100万円儲かった勘定になるという。
凄い。
昼は忙しいからもっぱら夜中に売買するんだそうだ。

株もやってるでしょう、といったらやってた。
こちらは証券会社を通じて取引暦10年、約3000万円儲けた勘定になるらしい。
彼女もとは病院で総務の仕事をしていて、退職金は500万円だったとか、増やすには株しかないと退職金含めて1000万円を全額株に投資したという。
というのは年金は2ヶ月で25万程度、これでは暮らせないと腹をくくって株にかけたようだ。

パソコンで取引すれば手数料は安くなるがなんか怖いんだそうだ。
パソコンも携帯電話も同じようなもんだが、不思議な真理だ。

そんなに稼いでなんに使ってるの、と聞いたら
「この店が暇で収入が少ない時に注ぎ込んだり、あとはお洋服だね。10万くらいの服は何の抵抗もなく買える」んだそうだ。

驚いた。
鼻眼鏡を掛けてニコニコしているおばちゃんだったが、人生に余裕のニコニコ顔だったんだ。

信じられない言葉

2006年08月10日 | Weblog
8月といえば61年前の終戦、被爆の記念月で、戦争の惨禍を風化させないという記念行事が行われる。
私は戦争という記憶が残ってないし戦後の混乱期も田舎でノホホンと成長した。
従って貧乏ではあったが、ひもじい思いをした記憶もない。
爆撃を受けるはずもないド田舎で防空壕に入ったような思い出がかすかにある。
それも成長してから聞いた体験の想像の産物かも知れない。

先日の演劇サークルでは、演出者が得意の一人芝居を披露した。
原爆で亡くなった近しい人との直後の出来ごとを10分ほど演じるものだった。
それを聞いて目を真っ赤にしていたある女性の感受性を羨ましく思った。

一方、先日のニュースでは信じられない言葉を聴いた。
日本の高齢の被爆者が確かニューヨークで被爆体験を世界の青年達に公演した後の感想を聞いている場面だったように記憶している。
状況設定はおぼろげで全体を見ていた訳ではないが、2人の青年の驚くべき発言だけを記憶している。

フランスの若い女性
「原爆がそんなにも酷く人の体を傷つけるものなら、公演者が今まで生きている説明がつかないじゃないですか」
中国の若い女性
「日本は中国大陸でもっと酷いことをしてきた。それ位の報いを受けるのは当然です」

信じられない言葉だった。

惚れやすい

2006年08月10日 | Weblog
新聞に毎日載る川柳、何故か必ず全首読む。
全ての句にふふふと頷けたら合格、「え、どういうこと?」と理解できないと1日中悩んだりする。
世間についていけてないのかなと悔しがる。

今日の川柳の中に

 予報士の胸見て終わる天気予報

これ、あるある。
美人の予報士だと立ち居振る舞いをいちいち目で追って鼻の下が長~くなる。
終わって気がつけば肝心の天気予報は全然記憶になかったりする。

女性のニュースキャスターでもそんなことがある。
一目ぼれしている女性キャスターがひとりいる。
地方局のキャスターだが、ひと目見た時から惚れてしまった。彼女が登場するたびにドキッとして見惚れてしまう。
その時のニュースの内容は飛んでしまう。
キャスターは普通テーブルの前で上半身しか写らない、従って立ち姿を知らないことが多い。
あるとき偶然に彼女が街で取材している姿が放映された。
そしてそして改めて惚れ直した。立ち姿もいい~っ。

惚れやすいということは醒めやすい。
暫くして醒めて見れば、えっ何がよかったのかな、と不思議な気持ちになる。

夫婦もそんなもんだろな。
恋しさ募って「あばたもえくぼ」、結婚して生涯惚れ続けるには相当の努力が必要だろう。
しかも、好き嫌いは理屈じゃなく感情だからな。
理性でもって惚れ続けようなんてのには無理がある。
熟年離婚もお互いにとって決して悪いことではないかもしれない。
嫌いになった人と一緒に生き続ける覚悟をするには余生が長すぎる。
それとも、「私の邪魔しないなら添い遂げてやろうか」程度の妥協はあるかも。

見合い結婚というのは別の意味でいい結婚の形態かもしれない。
まあ、この人でいいかと、特別な期待なしで結婚生活が始まる、子供も育てる、期待してないから失望もしない、そんなに好きでもなかったわけだからそんなに嫌いになることもない。
ただ女性が嫁いだ後こんな筈ではなかったと目覚めると悲劇が始まりそう。


場末のスナック

2006年08月10日 | Weblog
私は貧乏サラリーマンだったからスナックといえば場末のスナック。
貧乏というのは、お小遣い貧乏のことです。
会社の交際費をバンバン使う立場でもなかった。
たまに豪勢に交際費を使う上司のお供をする程度。

繁華街の中心で店を張って高そうなドレスとか着物とかに身を包んで若い女の子を数人使って、なんていう店にはあまり縁がない。
そんな店は高い家賃を稼ぎ出すためにひたすら客を回転させるか、少し長居すると見栄を張って大金を使ってしまうことになる。
そしてあまりいい思い出は残らない。

その点場末の小さなスナックは、人生をぶつけ合うようなお付き合いが出来るような気がする。
学ぶことが多いのも場末のスナックだったと思う。

客が少ないのがいい。
店の広さが知れてるから。
何度か通ううちにお互いの人生噺もし合い何となくお互いの信頼の絆みたいなものが生まれてくる。
みんな何かしらの少なからぬ傷を背負って生きている。中にはワルもいるが、そういう店は長く続かない。
場末の町でひっそり生きている感じがいい。

一方で、客商売だから逞しくないとやっていけない。
自分の商売を邪魔する奴は決して許さんという断固たる態度である。
それも体を張って命をかけるような態度を見せることもあるのがいい。

たまにはヤクザさんの攻勢に合うこともある。
それも上手に切り抜けないと生きてゆけない。
そんな風にひとり体を張って生きてる割には大して儲かる訳でもない。

そんな感じの場末の小さなスナックがいいですね。