思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

墓参り

2006年08月12日 | Weblog
故郷の墓参りもサボリ初めてもう10年以上になる。
元来お墓の前で、神社仏閣で両手を合わせる儀式が好きでない。
両手を合わせてご先祖様に感謝したり神社仏閣で祈りの言葉を念じたりしたことも無い。
ただの儀式としてお付き合いしているだけだ。
ばか者めっ、といわれてもその気がサラサラ無いのでどうしようもない。

行事のために集まってウダウダと酒を飲むのも基本的には嫌いでお付き合いだから仕様が無いかと思っていたが、故郷を遠くはなれてしまったのをいいことにして御無沙汰が長い。
こんなやつは珍しいかな。
そんな訳で、8月の日本列島大移動の時期もいたって暇に過ごしている。
あ、明日は女房の実家で法事があったぞ、おつきあい、おつきあい。
まただの食事会みたいなもんだし。

マインドコントロール

2006年08月12日 | Weblog
母親が子供のために命を捨てることができるのは、人間に限らず生命体に備わった遺伝子の命令に従うようなもので本能的な行為である。
最近は例外的な母親も増えてきたが、人間が本能から遠ざかりつつある証のようにも思える。

テロ集団が組織員をマインドコントロールして義のために喜んで命を捨てる行為に導くのは、歪んだ卑劣な行為である。人間の本能を無理やり捻じ曲げる行為である。戦争国家も若者を死地に送り込み「お国のために死ね」というのも同じく間違っている。

その極限が自爆テロだと思う。
ただ多くの人を殺すために自らも命を捨てる。逃走経路を自ら遮断し喜んで自らの死を受け入れるように心をコントロールされる。
今回のヒースロー空港からの航空便でのテロを未然に防げたのはよかった。
もし成功していれば何千人の旅行者の命が奪われたと想定される。

自分の死を厭わないテロリストがいる限りこの種のテロ行為は後を立たないような気がする。
死を恐れないようにコントロールされた人間は万能の兵器になりうる。

根本原因は結局は貧富の差、世界を支配する資本の原理に求められる気がするが、それは未来永劫に解決されない問題のようにも思われる。
テロ集団の頂上にはテロリストを仕立て上げる管理者がおり、その後ろには国家があり、国家の指導部を牛耳る資本がある。

我々の日常もマインドコントロールされている。
各種の報道機関、各種のコマーシャル、衣食住も含めて考え方もコントロールされていないだろうか。
同じ社会的な出来事でも国民の評価の仕方は国によって一定の同じような評価を生み出すのはコントロールされている証拠ではなかろうか。

この情報社会で情報に汚されていない新の自分を見つけることは不可能に近いと考えてしまう。