思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

215億円

2006年05月07日 | Weblog
アメリカトヨタの65歳の日本人社長が42歳の日本人秘書へのセクハラ行為で訴えられた。
大いに有り得るな、年齢の開きも丁度手ごろ。
じいさん社長にとって42歳の美人秘書とくれば、何事も起こらない方が不思議だ。
2人だけの出張なんかを強要したりしていたらしい。
分かるなあ、ウッシッシ。
しかし、相手が嫌がることを無理強いしたら「お縄」になってもしようがない。
潔く謝罪して賠償金を払うしかないぜ。

損害賠償請求額は215億円、スゲ~エ!
アメリカでは、巨大企業に対しては懲罰的意味も含めて多額の損害賠償額となるのが通例らしい。
秘書さんも罪なお方だ。
セクシー美人だし、私なんかだったらイチコロで参る。

美人は得やねえ、裁判に勝ったら大富豪だよ。

娼婦

2006年05月06日 | Weblog
『娼婦』という言葉には不思議な魅力がある。
プロの職業。
古代から存在し現代の先進社会にも存在する。
援助交際の高校生とは格が違う。
マグダラのマリア、「脂肪の塊」に出てくる娼婦、飾り窓の女、大阪にも未だにれっきとした娼館があり引き手婆さんが店の前で客待ちしていたりする場所がある。

勿論、生活に追い詰められて最後に生きるために賭けに出た女たちだと思う。
小説・映画・戯曲といろんな形で登場するが、大概好意的に描かれており一種人格者として登場する。
自分を捨てて悲惨な世界に身を投じる覚悟が出来た女には娼婦に限らず何かしら尊敬の念すら抱く。
文字通り体を張って生きているからだろう。
そんな人たちには波乱万丈の人生が詰まっているのだろうな。
身勝手な男の奇麗事の思いといわれるだろうが。
何事であれやはりプロは尊敬する。

何でこんなこと書いてるんだろ。

中高年劇団

2006年05月05日 | Weblog
蜷川幸雄さんが中高年ばかりで構成される劇団を立ち上げる話をテレビでチラと見た。50代から80代まで参加した人は様々で、演劇経験者もおればまったくの主婦もいる。
練習は週5日。
大阪から東京へわざわざ単身赴任?した男性もいる。東京に部屋を借りて自炊しながら練習に参加している。
秋には初演が予定されているといってたような。

我が素人劇団の遊び半分とはエライ違いだ。
演劇も結構費用がかかる。
チケットは普通劇団員全員で受け持って売りさばく努力をするのが普通らしい。
売れなければ個人負担となる。
舞台の大道具はいくらでも金をかけることは出来るが、我々のような無料公演しか出来ないようでは予算も知れている。脚本も大道具を考慮した脚本にならざるをえない。
スポンサーを探すほどの演劇の実力も無い。
我が劇団が羽ばたける日は来るのだろうか。

夏めく

2006年05月05日 | Weblog
関西は一挙に夏になるような気がする。
最近は夏が好きになってきた。
特に湿度の低い日はよろしい。
エジプトを思い出す、日中は40度を超える気温だが湿度が低いので木陰はひんやりする。夜も過ごしやすい。
東南アジアの湿度の高い地域はいと過ごしにくい、いやですね。

夏の汗もよろしい。
汗かきだからハンカチグジュグジュになるほど汗を拭くが乾くのも早い。
炎天下、電柱の陰、日陰をたどって暑さを呪いながら歩くのもいい。
暑さの中から冷房の効いた電車に乗り込む時のひんやり感覚がいい。
なんと行ってもジリジリと照りつける太陽がいい。
「全てを育み、全てを朽ち果てるまで照らしつける」自然の摂理を納得できるほどに知らしめてくれる感覚がいい。
やがて地球の全てをを焼き尽くす日が来るような予感もいい。

太陽に育まれ、いずれの日にか太陽とともに滅びるであろう人類。
しかし、私から見れば気の遠くなるような先の先の話、今は何の心配もいらない。
今は太陽に感謝して生きていけばいい。

ありゃ、何のこっちゃい。

道頓堀

2006年05月04日 | Weblog
 久しぶりで心斎橋周辺を歩いた。
 道頓堀の両岸に遊歩道が出来て遊覧船まで走っていた。
 遊覧船は20分ほど上り下りして700円、乗らなかったけど。
 努力の甲斐あってドブ川も綺麗になっている。
 そして両岸のお店も遊歩道に面した方を正面に据えて表になっている。
 遊歩道には鯉幟まで泳いでいた。
 更になんか工事中で川の上に広場のようなものが出来つつある。様変わりしそうだ。

 さて、今日出かけたのは、松竹座で大地真央の「マリー・アントワネツト」を観るため。
 前から6番目の真ん中、いい席で見た。
 やっぱり彼女は近くで見ても綺麗ね。
 観劇は圧倒的に女性が多い、特に宝塚系統の劇だったしな。
 今日は女房と娘のお付き合いでした。

 

2006年05月04日 | Weblog
最近、手指の爪がやたら早く伸びるような気がする。
足の爪は結構遅い感じがする。

爪が伸びる速さが加齢に比例するとは思わないから、そのように感じるだけなのだろう。
「あれ、この前切ったのにもうこんなに伸びてる、変だなあ」
と思う。
それだけ意識とは裏腹に時が早く流れているのだろう。
大分先のことだなと思っていた予定もたちまちやってくる。

残りの人生そんなに長くは無い。
時がもう少しゆっくりと流れて欲しい。
もう少し余裕をくれ。

哲学する

2006年05月02日 | Weblog
古書店にはよく立ち寄る。
安く買えるので面白くなかったら読んでる途中で捨ててもあまり惜しい気がしないのが気に入っている。
そんな途中棄権の本は結構多いのでゴミが増えていく感じもする。

先日100円の値段が気に入ってまた買った。
タイトルは「哲学の道場」
これは面白い、もう少しで読み終わるが哲学について「哲学することはいかに難しいか」について分かりやすく書いてある。
巷の哲学者は儲からない人間の代表格らしい。

哲学とは自分の疑問を徹底的に問い詰めることであるらしい。たいていの人は途中で妥協して放棄する。
例えば
 人生とは何か。
 道徳とは何か、善とは何か悪とは何か。
 時間とは何か。
 死ぬとは何か。
 私は必ず死ぬ、ならば何故生きるのか。
疑問を持たない人は何の疑問も持たない、少しは疑問を持っても考えてもしようの無いことだと放棄する。
それをトコトン突き詰めて考え続けるのが哲学することらしい。
凡人には回答は見出せないから、一生考え続けることになる。
人生を棒に振ってでも。

この本を読んで「何をバカな訳の分からんことを言ってるんだ」と思う人は哲学に縁の無い人、「これ以上は読まんでよろしい」と書いている。
一方で、「書いてあることが自分のことのように脳にしみ込んでくる人は哲学に少し向いている人」と書いている。
うまいこと言って乗せようとしている。
私も少し嵌りそうだ。
哲学という言葉は元はギリシャ語で「暇」という言葉から派生したと記憶している。
今の状況にはうってつけだ。

スケッチ画

2006年05月01日 | Weblog
私の所属する素人劇団の某メンバー(おばさん)が、ご主人と2人で東欧の旅行を計画していたが、風邪で寝込んでしまい出発2日前まで悩んだ末に、結局彼女はキャンセルしてご主人だけ参加したという。
さぞや悔しかったことでしょう。
そして、彼女は写真用はがきに印刷したスケッチ画を30枚ほど持ってきました。
絵が好きなご主人が旅先で描いた風景画です。
それが凄い。
かなり細部まで描きこんであり、写真とは比べ物にならない美しさ。
高名な画家のスケッチ画を見るような素晴らしさ。
東欧の風景が線描で描かれ水彩で色をのせてある。
ひところ私が憧れまくった描き方、とても素人とは思えない。
よく天才画家の美術展なんかに行くと、その画家のスケッチなんかが展示されていたりしますが、まさにその天才的と思えるような線で描いてある。

デジカメで撮ったものを帰ってから思い起こして描くんですか、と思わず聞いたら全部その場で仕上げるらしい。
夫婦で行くと、奥さんが買い物に精出している時間、バスの中でボーツトしている時間、ご主人は精力的にスケッチして彩色まですると言う。
それも凄いスピートで描くらしい。あれよあれよと見ているうちに出来上がってしまうという。

特に今回は奥さんが同行できなかったので、精力的に描いた様子。
彼女はそれが嬉しかったのに違いない。
B5A4版の2つ折のスケッチブックに描いたものをデジカメで写して印刷用はがきにプリントしたその技術も並ではない。
ひょっとしたらご主人は名のある画家なのかもしれない。
一度だけ演劇の発表会の日にお会いしたが、センスたっぷりの紳士だったぞ。