どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

R-30。

2010-01-18 | Sandstorm

人間は経済的動物だ。
人間が生きていくためには、経済活動をするのは当然のことである。
何らかの利を得るために、人は働く。
また会社はその経済活動をするための組織であり、その根本にあるものは「利益追求」である。
そんなことは自分も当たり前のように理解している。
何だかんだ言いながら、そのために毎日必死に働いているのだ。
そんな経済社会の中では、必要のないものや無駄なものと判断されたならば、いずれ淘汰されていくしかない。




自分で言うのもなんだが、最近このブログはR-18になっているような気がする。
内容に至ってはR-30だ。
別に40にもなる男が勝手に話しているのなら普通の話だと思うが、誰が見ているかわからないネット上で最近の話は少々都合が悪いこともあるやも知れない。
まだ自分の土台がしっかりできていない若者には、誤解を招くような文章であるような気がしたのである。




最近の記事内容が、夢も希望もある若者には通じる考えではないことくらいは理解している。
若者は未熟でも、貪欲でまっすぐに上昇意欲に溢れているべきだと思う。
そうでなければ、この日本経済も決して良くなりやしない。
他人を蹴散らすほどの自己顕示欲と出世欲があったって良い。
ふと感じたのは、もしかしたらこのブログを読んでいる10代の若者にそれがあるだろうかという不安。
根底にそういった意識がなければ、このブログで自分が話していることには意味がなくなってしまうように思う。
最近のこのブログの記事の内容は、そういったモノと戦ったあとの年代が感じるレクイエムのようなもの。
R-30、もしかしたらR-40の話だ。
できたら若い世代の人達には、こんな記事はみてもらいたくはない。
むしろ、NHKの「めざせ!会社の星」なんかを見るべきだと思う。
もし自分に息子がいたならば、絶対にそうさせるだろう。




ただ誰もがそんな風に生きられるわけではない。
世の中は強いものだけが生き残り、敗れたものは彷徨うことになる。
勝者はほんの一握りの存在でしかない。
でも、たとえ望み叶わずとも、人は決して消え去ってはならないと思うのだ。
この弱肉強食の自然の理のなかであっても、幸せに生きてゆくために守られなければならないこともある。
そして新しい価値を見出し、彷徨いから脱して充実して生きていきたいと願う。
それがこのブログのR-30の記事の意味である。
決して自分は、経済社会を否定するつもりなのではない。
だがその経済社会の中で、人はやがて数え切れないほどの不条理と、不公平を知る。
全ては、そこからが自分の生きてゆく価値を見出す戦いなのだと思う。




地元の中日新聞では、ここのところずっと介護社会をテーマにした特集が組まれている。
年明けから始まった「介(たす)けあい戦記」という記事の中で、介護保険制度が導入された2000年から十年間で、介護殺人や心中事件が四百件を超えたという話が載っていた。
それは悲劇なのか、それともそれが一番幸せな答えなのか、それは誰にもわからない。
ただこれは、自分にとっても他人事ではない。
今はあえて寅さんのような立場を演じてはいるが、現実問題として家族構成を考えれば、いずれ近い将来に自分が最後の砦となることは想像に難くない。
生きることの意味・・・誰もが一度は正面から向き合って考えなければならない大きな壁である。
それを自らの意思とは関係なく、否が応でも突きつけられることになった人達の記事。
それらの人達はみな、戦っているように思えた。
そこには全く、経済社会の価値観は存在しない。
自分もやがて、その中の一人になろうとしているのだろうか。
そんな風に思った。
まるでR-30の話題は、今の自分を強く惹きつけるものだ。















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