改めて河瀬直美監督作品「殯の森」を観た。
そしてその流れから誘われるように、新たに「萌の朱雀」も観た。
“生”への深い推考。
答えは明示されなくとも、おぼろげながら道標のようなものを感じさせる。
たぶんこの作品は、若者には向かない。
いまだ“未来”に確かな目標を見出だせる人や、そうでなくとも“生の期限”を実感することのない世代には全く無縁の話だと思う。
作品の意図はわかっても、理解することは無理であろう。
何のために生きるのか?
何のために生きてきたのか?
人のつながり、家族とは?
まるで私達の心の深部のように、静かな森の奥深くは穏やかに哀しい。
“生きる”ということは、生物として生きることと、生きているということを実感していくこと。
瑞々しく活力に溢れる頃には、何もせずとも当たり前のように実感できるそれを、人はいつしか自らも気付かないうちに喪失してしまうものなのかも知れない。
ベッドの上の母を見る。
いずれ全く動けなくなっても、頭の思考がある限り、母は“生きて”いけるのだろうか。
まだ霧の只中のように、漠然として見えない。
そのために、自分ができることはなんだろう。
殯。
まるでそこにいるのと同じような粛々とした長い時間が、自分には待っているかも知れない。
それが、ただ怖い。
あれから母のことを考えるとき、なぜか頭の中では不埒にも女優尾野真千子さんの姿がこびりついて離れない。
彼女は天使か、それとも悪魔か。
この自分の頭は、まったくもってどうしようもない思考をするものである。
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