つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

meopta meostigmat50mm f1.0

2023-09-04 00:26:32 | 写真

チェコというよりチェコスロヴァキアの光学メーカー、meoptaのプロジェクター用の大口径レンズMeostigmat50mm f1.0をLマウントに移植したものNOCTOさんから入手。さっそく試し撮りした。

イメージサークルが小さい(ほぼAPS-Cサイズ)のでフルサイズで撮ることができないのが残念だが、独特の雰囲気が出て面白い写真が撮れる。

アサガオ

サンタンカ

彼岸花

Sigma fp l

Meopta Meostigmat 50mm f1.0

2023年9月3日撮影


長與進『チェコスロヴァキア軍団と日本1918-1920』

2023-08-28 01:31:51 | 読書

長與進『チェコスロヴァキア軍団と日本1918-1920』(2023年、教育評論社)

チェコスロヴァキア、もはや存在しないこの国が誕生する最中の1918年から1920年の2年間、それはこの国と日本との関係が一番近かった2年間でもあった。本書は、建国過程にあった中欧の小国と当時の日本との関係を、一次史料に丹念にあたりながら、禁欲的でありながら丁寧な筆致で描き出した一冊である。

 

この時期、両国関係が非常に近しいものだった理由は本書のタイトルにある「チェコスロヴァキア軍団」の存在にある。後のチェコスロヴァキアとなる地域は長くオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった。第一次世界大戦の勃発後、オーストリア=ハンガリーの兵士として徴兵されたこの地域の人々は、ハプスブルクのために戦うことを嫌いロシア軍に投降、この投降した兵士らによってつくられたのがチェコスロヴァキア軍団であった。ところがチェコスロヴァキア軍団の命運はロシア革命によって一変する。行き場を失ったチェコスロヴァキア軍団を極東経由で「救出」する構想が協商国側を中心に持ち上がる。そこに積極的に関与したのが日本であった。

日本史においてシベリア出兵と称されるこの出来事は、第一次世界大戦とロシア革命のどさくさにまぎれた日本による大陸進出の試みと言えるが、それが実質上はともかく、「チェコスロヴァキア軍団救出」を名目としていた以上、両国間、あるいはそこに住む人同士の間に様々な出来事を引き起こしている。

チェコスロヴァキア軍団の成り立ちや、その世界史の中の位置、各国のかかわりなどについては林忠行『チェコスロヴァキア軍団―ある義勇軍をめぐる世界史』(2021年、岩波書店)という良書がすでに存在するが、本書は同じくチェコスロヴァキア軍団を中心的テーマに置きつつも、そのような世界史的な議論ではなく、そうした日本との関係の中で生じた様々な出来事を積みかさねながら、歴史の一側面を描き出している。

 

本書のおもろしさはその「周辺性」とでもいうべきものにある。あるいは慎ましさとでもいうべきであろうか。日本史においてシベリア出兵は重要な出来事であるが、それは上述したような大陸進出(とその後の破局的なアジア=太平洋戦争)の流れの中に位置づいて理解されるからこそであって「名目上の理由」に過ぎなかった「チェコスロヴァキア軍団」との関係は周辺的なテーマとならざるを得ない。同様に、チェコスロヴァキアの歴史においてその独立過程のなかでのチェコスロヴァキア軍団は大きな位置を占めるのであろうが、独立プロセスのなかではむしろ欧米各国との関係が重視されるのであって、地理的にも離れた日本との関係が大きなテーマ性を持ち得るとは考えにくい。このように二重の意味で周辺的な位置づけとなるテーマを取り扱っているにもかかわらず、本書が描き出すこの時期の二国間関係(というより両国に住む人たちの関係といった方が正確であろう)は非常にヴィヴィッドであり、とても興味深い。それは、本書で行われているのが、一次史料から浮かび上がる歴史のひとコマひとコマを丁寧に追う作業であり、そこで描かれている一つひとつの小さなエピソード(それらは世界史的大事件のような耳目をひくようなものではない)について史料から語り得るものを語り得る範囲で語るという禁欲的な姿勢に著者が終始しているからであろう。

 

本書は序章と終章をのぞけば7つの章で構成されているが、主には6つのエピソード(チェコスロヴァキア建国の父であり初代大統領であるT・G・マサリクの日本訪問、東部シベリア、オロヴャンナヤ駅でのチェコスロヴァキア軍団と日本軍の邂逅、チェコスロヴァキア軍団の傷病兵と日本人看護婦との東京やウラジヴォストークでの医療面での交流、山ノ井愛太郎という日本最初のチェコ語学習者の一人、遭難したチェコスロヴァキア軍団の帰国船が日本近海で救助されたヘフロン号事件、両軍が衝突したハイラル事件)を取り上げている。一つひとつは上述したように大事件ではなく、良く知られている話ではない。それを史料から読み解いていく作業はさながらミステリーを読むような面白さがある。しかし、残念ながら歴史には作者がいないのであり、史料から語り得るものには限界がある。もう少しというところで迷宮入りしてしまい、真実がわからないエピソードも多いが、歴史家らしい著者の禁欲的姿勢は、むしろ読者の歴史理解を深めてくれているように思える。また、それぞれのエピソードが決してすべてが相互に関連しているわけでもない。しかし、それを通じて読むことによってこの時期の日本とチェコスロヴァキアの関係が浮かび上がってくるのが不思議である。

 

一つひとつの小さなエピソードを読み進めることによって、しかし通読してみると、全体として、歴史の流れが見えてくるというのはまさに歴史を読む面白さであり、恐らくは歴史を書く醍醐味でもあるのではないだろうか。本書はそんな歴史の楽しさを改めて教えてくれる一冊といえる。


『物語 東京民医連史I』

2023-08-23 01:20:00 | 読書
先日、相方の荷物を引き取りに行った際に自分の荷物の整理で引っ張り出して物議を醸していたらしい『物語 東京民医連史I』。著者の増岡敏和は詩人でもある。

党派的なことはもちろんあるけれども、民医連や医療生協が、社会運動だったことがパラパラみているだけでもよくわかる。

「物語」なので扱いにくいところもあるけど、東京の民医連、医療生協運動の起こりを知る上では格好の著。




B.I.T.C.

2023-01-27 01:12:10 | 生協・協同組合

twitterを見ていたら、こちらのtweetが目に留まった。

 

現在の小笠原生協は米軍統治下、Bonin Islands Trading Company.という会社だったが、上記ツイートとそのツリーによると、琉球貿易会社RITC、WCTC西カロリン諸島貿易会社が米海軍の指令で同時に三つできたとのこと。

BITCは日本復帰時に生協法が適用されるが、生協法の適用にすべきとしたのは、1968年小笠原諸島の復帰にともなう法令の適用の暫定措置法制定の際の議論にあるとのこと。こちらはよくわからないが「第58回国会 衆議院 沖縄及び北方問題等に関する特別委員会 第2号 昭和43年3月21日」の議事録を紹介しているブログ記事があった。

議事録から転載すると以下のとおり。

現地の住民の自治組織といたしまして、五人委員会があります。その機構、権限、運営状況が今回明らかになりました。この組織は百ドル以下の民事裁判及び軽犯罪についての裁判権を持つ小笠原裁判所、ボーニンアイランズ・コートの裁判官の選出を行なったり、俗にBITCといっておりますボーニンアイランス・トレーディング・カンパニーという一種の生活協同組合ともいえる日用品供給団体にも関係を持っております。住民は、五人委員会、カウンシルがどういうふうに今後なっていくか、あるいはBITCの機能、すなわち生活必需物資の需給ということでございますが、これらの事項の存続について希望を表明しております。当面これらの問題について現住民に不安のないように、住民の要望を十分考慮して考えていく必要があるのではないかというふうに認められます。

この報告をしているのは「一月十八日から二十七日まで政府小笠原諸島調査団の団長として現地に派遣された」守谷道夫説明員。この名前で検索すると「小笠原諸島現地調査団調査報告の概要と復帰に伴う施策の概観」という『ジュリスト』401号(1968年7月)の記事が出てくるので、このあたりは一度目を通してみると面白そう。

 

 

 


柵口温泉

2023-01-09 00:31:03 | 日記

こどものころ、良く親に連れられてきていた温泉に帰省のついでに一泊する。当時は日帰り入浴で来ていただけだが、今回は宿泊。

良く一緒に来ていた祖母が亡くなって随分経つし、その頃にいとこたちとよく遊んでいたコインゲーム機もなくなっていた。

それでも、辺り一面の雪景色も温泉のお湯も変わらない。

雪国

橋

ダム

白黒の世界

FUJI X-T20

Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm f2.4

2023年1月4日撮影