【毎日jp】普天間問題:辺野古へ移設、閣議決定…福島消費者相を罷免(2010年5月28日)
普天間問題は、結局、辺野古への移設という案が閣議決定されたそうで。
何よりもまず、どのような経緯を経ているにせよ、この解決策は沖縄にとって、そして先の総選挙において民主党に投票した少なくない人にとって、「解決策」ではないことをはっきりと言わねばなるまい。「少なくとも県外」という言葉は結局何だったのか、そのことは問われねばならないだろう。
そして、あいまいな妥協に逃げず、筋を通した福島大臣と社民党には「よく頑張った」と言いたい。少なくとも現状において、もっともわかりやすく、正しい対応をとられたように思う。
ところで、この問題が意味していることは、単なる外交・安全保障の問題を超えたところにあることを指摘したい。
ぼくは、鳩山首相のこの問題に対する「思い」において、疑うものではない。恐らく、総理はこの問題を本当に解決したいと思い、「少なくとも県外」という自己の言葉に忠実に、今日まで努力されてきたのだと思う。
問題は、総理がこの問題にしっかり取り組まなかったことではなく、しっかり取り組んだにもかかわらず、その所期の目的を達成できなかったというところにある。一国の総理大臣が、最重要問題の一つと位置付けかなりの情熱と精力を注いだにもかかわらず、この問題は、総理の望んだ方向にはほとんど進まなかった。
恐らくはアメリカの抵抗、そして(少なくとも結果的に)その意を呈した防衛官僚、外務官僚の抵抗を排除することはかなわなかったわけである。
先の総選挙で民主党に大勝をもたらしたのは、そういったよくわからないところで動く政治に飽き飽きし、自分たちの意思で政治を動かしたい、自らの一票で政治を動かしたいという有権者の意志ではなかったか。
その有権者の負託を受けて成立した鳩山政権が、自らの欲することを何らかの抵抗により達成できなかったという事実は非常に重い。これはこの国の民主主義の危機なのである。鳩山政権は自ら呼号した「政権交代」の意味を、自ら否定するような結果をもたらしてしまったのである。
総理会見を見ていたが「せざるを得ない」という言葉が何度出てきただろうか。この国の総理大臣と言うのはかくも無力だったのだろうか。さまざまな抵抗を排し「市民が主役」の政治を推し進めてほしい。
普天間問題は、結局、辺野古への移設という案が閣議決定されたそうで。
何よりもまず、どのような経緯を経ているにせよ、この解決策は沖縄にとって、そして先の総選挙において民主党に投票した少なくない人にとって、「解決策」ではないことをはっきりと言わねばなるまい。「少なくとも県外」という言葉は結局何だったのか、そのことは問われねばならないだろう。
そして、あいまいな妥協に逃げず、筋を通した福島大臣と社民党には「よく頑張った」と言いたい。少なくとも現状において、もっともわかりやすく、正しい対応をとられたように思う。
ところで、この問題が意味していることは、単なる外交・安全保障の問題を超えたところにあることを指摘したい。
ぼくは、鳩山首相のこの問題に対する「思い」において、疑うものではない。恐らく、総理はこの問題を本当に解決したいと思い、「少なくとも県外」という自己の言葉に忠実に、今日まで努力されてきたのだと思う。
問題は、総理がこの問題にしっかり取り組まなかったことではなく、しっかり取り組んだにもかかわらず、その所期の目的を達成できなかったというところにある。一国の総理大臣が、最重要問題の一つと位置付けかなりの情熱と精力を注いだにもかかわらず、この問題は、総理の望んだ方向にはほとんど進まなかった。
恐らくはアメリカの抵抗、そして(少なくとも結果的に)その意を呈した防衛官僚、外務官僚の抵抗を排除することはかなわなかったわけである。
先の総選挙で民主党に大勝をもたらしたのは、そういったよくわからないところで動く政治に飽き飽きし、自分たちの意思で政治を動かしたい、自らの一票で政治を動かしたいという有権者の意志ではなかったか。
その有権者の負託を受けて成立した鳩山政権が、自らの欲することを何らかの抵抗により達成できなかったという事実は非常に重い。これはこの国の民主主義の危機なのである。鳩山政権は自ら呼号した「政権交代」の意味を、自ら否定するような結果をもたらしてしまったのである。
総理会見を見ていたが「せざるを得ない」という言葉が何度出てきただろうか。この国の総理大臣と言うのはかくも無力だったのだろうか。さまざまな抵抗を排し「市民が主役」の政治を推し進めてほしい。
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