何だか検索に引っかかることが多い様なので5月9日の日記をブログに転載します。
菅直人氏が昭和天皇に戦争責任があると発言したとニュースになっていたが、いまだに昭和天皇に戦争責任がなかったと言う人がいることのほうが理解できない。責任というのは別に悪いことをしたから生じるものではなく、ことの善悪を抜きにして、何らかの行動にはその責任が伴うはずだ。右翼の方から考えればあの戦争は勝敗こそ時の運で負けたとはいえ、アジア解放のための正しい戦争だったはず。その責任が天皇にあるというのは誇りにこそすれ否定するべき代物ではないはずだ。それとも彼らは「大東亜戦争」を戦った功績を天皇から取り上げようというのだろうか。天皇の戦争責任を否定することはそれこそ「靖国の英霊」に申し訳ないことであるように思えるのだけども。
丸山真男の文章の中にゲーリングの哄笑と言う話がある。日本の超国家主義(ultra nationalism)が近代日本において世俗的君主と精神的君主が一体化された天皇という実体のもとで現れ、その結果として内面的自由や自我意識が抑圧されてしまう。そのため日本の権力支配は強い自我意識に基づくものではなく天皇を長とする権威のヒエラルキーによって基礎付けられる。有名な箇所を引用すれば「従ってそうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に於て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する」ということになる。ここではナチス権力者たちが自我を持った責任主体であったことと比較して日本の権力者たちが絶対的な価値である天皇の権威に基づいて行動していたことが言われるわけだが、日本においてさらに問題なのは天皇を中心とした権威の体系が天皇自身の責任に基づくものではなく「万世一系」の天皇家代々の権威に基づいていることがさらに指摘される。天皇から広がる無限の権威の体系は「万世一系」という伝説に基づく限り無限に過去へとつながっているわけだ。(「超国家主義の理論と心理」引用箇所は丸山真男1964『増補版現代政治の思想と行動』未来社p20)
ちなみに「哄笑」とは「大口をあけて声高く笑うこと。大笑い。(広辞苑より)」だそうです。本当かどうかは知らないけど、丸山真男がやたらと難しい文章を書くのは戦時中に軍部の検閲を煙に巻くために使っていたのがくせになったという話しを読んだことがある。
閑話休題。
さらに丸山先生はここから日本ファシズムの矮小性やその無責任の体系へと議論を深めていくわけであるが(「軍国支配者の精神形態」)、いまだに責任という問題から逃れられずにいる我々にとって、丸山真男の議論は古くて新しい問題であるのではないだろうか。
菅直人氏が昭和天皇に戦争責任があると発言したとニュースになっていたが、いまだに昭和天皇に戦争責任がなかったと言う人がいることのほうが理解できない。責任というのは別に悪いことをしたから生じるものではなく、ことの善悪を抜きにして、何らかの行動にはその責任が伴うはずだ。右翼の方から考えればあの戦争は勝敗こそ時の運で負けたとはいえ、アジア解放のための正しい戦争だったはず。その責任が天皇にあるというのは誇りにこそすれ否定するべき代物ではないはずだ。それとも彼らは「大東亜戦争」を戦った功績を天皇から取り上げようというのだろうか。天皇の戦争責任を否定することはそれこそ「靖国の英霊」に申し訳ないことであるように思えるのだけども。
丸山真男の文章の中にゲーリングの哄笑と言う話がある。日本の超国家主義(ultra nationalism)が近代日本において世俗的君主と精神的君主が一体化された天皇という実体のもとで現れ、その結果として内面的自由や自我意識が抑圧されてしまう。そのため日本の権力支配は強い自我意識に基づくものではなく天皇を長とする権威のヒエラルキーによって基礎付けられる。有名な箇所を引用すれば「従ってそうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に於て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する」ということになる。ここではナチス権力者たちが自我を持った責任主体であったことと比較して日本の権力者たちが絶対的な価値である天皇の権威に基づいて行動していたことが言われるわけだが、日本においてさらに問題なのは天皇を中心とした権威の体系が天皇自身の責任に基づくものではなく「万世一系」の天皇家代々の権威に基づいていることがさらに指摘される。天皇から広がる無限の権威の体系は「万世一系」という伝説に基づく限り無限に過去へとつながっているわけだ。(「超国家主義の理論と心理」引用箇所は丸山真男1964『増補版現代政治の思想と行動』未来社p20)
ちなみに「哄笑」とは「大口をあけて声高く笑うこと。大笑い。(広辞苑より)」だそうです。本当かどうかは知らないけど、丸山真男がやたらと難しい文章を書くのは戦時中に軍部の検閲を煙に巻くために使っていたのがくせになったという話しを読んだことがある。
閑話休題。
さらに丸山先生はここから日本ファシズムの矮小性やその無責任の体系へと議論を深めていくわけであるが(「軍国支配者の精神形態」)、いまだに責任という問題から逃れられずにいる我々にとって、丸山真男の議論は古くて新しい問題であるのではないだろうか。