私が購読しているメルマガ「吉村誠司の地球日記」で
新潟から報告が届きました。
少しでも多くの人に知って頂きたく、転載します。
長文ですが、よろしければお読みください。
以下本文です。
【塩谷へ】
一昨日、塩谷地区の会長から直接電話が入った。
「明後日、初めて自動車での一時帰宅が認められました!!
是非、ボランティアの力を貸してください!」
いよいよ、ふるさとへの一歩が始まる・・・
●湯沢温泉旅館組合へ
先日、被災者の日帰り入浴などの受入れ依頼で訪ねた
湯沢温泉は、組合としても、今まで受入れしていた、
十日町方面の被災者だけでなく、もっと広域で
小千谷方面での受入れを始めようと計画を作っていた。
組合長と話をした2日後、最初の送迎バスが、小千谷高校
の避難所に来てくれた。40人の方々が、日帰りでの
のんびり温泉を満喫できた。
「心の洗濯ができました!」と笑顔で答えてくれた。
そして今回、その旅館組合の皆さんに、お力をお貸しくださいと
お願いをした。「この温泉地は被害が無いが、キャンセルが増えて、
大変だけど、是非、お手伝いをさせてください」と総勢25人が
ヘルメット片手に来てくれた。
●信州中野のリンゴ農家の友人
リンゴの収穫で一番忙しい時期ではあるが、
自分達でログハウスも作ってしまうこの農家の方々に
支援のお願いをした。現場に強い、なんでも屋さんなのだ。
「チェーンソー、バールを持って来て下さい!」
「なんとか声かけします!」
当日、おいしいリンゴと7人の仕事人がやってきた。
【塩谷へ】
亀裂が入っているトンネルを抜ける前で、
入ってゆく車両のナンバーや人員を確認してゆく。
夕方3時半には、全員この地区を出ないといけないのだ。
土砂崩れの現場には、重機が入り、なんとか通行できるように
してくれている。こんな現場に入るのは、台湾地震で孤立していた
武界村に行った時以来だ。今回、東京三菱自動車販売さんから
借りている4輪駆動ワゴン車が活躍で、2台目も早朝スタッフと来てくれた。
「本当にありがとう!」
乗用車は、底がガリガリと擦っていて、大変な道だ。
前日の警察での打合せでも、危険箇所の状況を聞いていたが、
実際に目の前にすると、この地震の強さが分かる。
しかし、山の紅葉は悲惨な情景と反して、美しくなっていた。
●合掌
前のメールでも書いたが、この塩谷地区では、
11歳から12歳の子ども達3人が亡くなっている。
その全壊した家からの作業を中心に、そして独居や高齢者
世帯からの手伝いを優先してやることになった。
地震後のそのままの様子の地区に入ると、私が入った神戸の
遅すぎた4日目の情景とだぶってくる。
45人のボランティアを全壊班4つ、高齢者班2つに分けて、
瓦礫の中に入っていった。
まずは黙祷。
今日は涙無しには、出来そうもない活動だ。
今まで、気張ってがんばっていた会長の目にも、
涙が溢れる。
「闘牛の牛さんを埋葬して!」と会長の娘は言った。
瓦礫の下で、動けなくなって数日で亡くなったという
大切な大きな牛。形見に角を取った娘さん。
大きな穴に埋葬し、花束と食料の干草を入れて
土に戻っていった。
●宝探し
「この下に、子どもの形見が眠っている」
長野からの応援団は、あっという間に、屋根を開け、
柱を切って私のサポートをしてくれる。
ホコリにまみれた天井をはがすと、一階の床がに手が
届くほどで、何もかもが散乱し、潰されている。
子ども達に送った地球儀やランドセルが出てくる。
言葉にならない。
私は、状況確認の為に、次の全壊家屋に向かう。
「瓦礫から出して欲しいものは?」
「仏壇、遺灰、写真、印鑑、通帳、そして遺品だ」
完全に潰れた家から、運び出し作業を始めていたお父さんは
そう語った。
チェーンソーで柱を切り、バールでこじ開け、バケツリレーで
瓦礫を運ぶ。慣れたスタッフと人数が必要だ。
そして2時間後、ようやく仏壇と遺灰を無事に
運び出した。そして、撤収時間が近づくなかで、大きな柱を
重機を借りてきて動かし、最後の品物に取り掛かった。
「あいつが大切にしていたグローブを出したい・・」
退去時間が迫る中で、最後に瓦礫の1番下から出てきた。
「あの息子が、家族を助けてくれたのかも知れない、
先に逝かれてしまうのは、本当に辛いよ・・・・
そして、もう一度だけも、キャッチボールをしたい・・」
今日、何回目になるか分からないが、また一緒に泣いてしまった。
長野や湯沢温泉からの応援団もあちこちで泣いていた。
終わりに、無事に戻ったボランティアのみんなは、
「また来ます」と言ってくれた。
「本当にありがとう!勇気をありがとう!」
12日@小千谷より
レポート打ちつつ、また涙が出てしまった。
吉村さんからの報告はここまでです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日新聞大阪社会事業団(大代表06-6345-1551)は
「台風23号救援金」
「新潟中越地震救援金」
を募っています。
最後までお読み頂きありがとうございました。
新潟から報告が届きました。
少しでも多くの人に知って頂きたく、転載します。
長文ですが、よろしければお読みください。
以下本文です。
【塩谷へ】
一昨日、塩谷地区の会長から直接電話が入った。
「明後日、初めて自動車での一時帰宅が認められました!!
是非、ボランティアの力を貸してください!」
いよいよ、ふるさとへの一歩が始まる・・・
●湯沢温泉旅館組合へ
先日、被災者の日帰り入浴などの受入れ依頼で訪ねた
湯沢温泉は、組合としても、今まで受入れしていた、
十日町方面の被災者だけでなく、もっと広域で
小千谷方面での受入れを始めようと計画を作っていた。
組合長と話をした2日後、最初の送迎バスが、小千谷高校
の避難所に来てくれた。40人の方々が、日帰りでの
のんびり温泉を満喫できた。
「心の洗濯ができました!」と笑顔で答えてくれた。
そして今回、その旅館組合の皆さんに、お力をお貸しくださいと
お願いをした。「この温泉地は被害が無いが、キャンセルが増えて、
大変だけど、是非、お手伝いをさせてください」と総勢25人が
ヘルメット片手に来てくれた。
●信州中野のリンゴ農家の友人
リンゴの収穫で一番忙しい時期ではあるが、
自分達でログハウスも作ってしまうこの農家の方々に
支援のお願いをした。現場に強い、なんでも屋さんなのだ。
「チェーンソー、バールを持って来て下さい!」
「なんとか声かけします!」
当日、おいしいリンゴと7人の仕事人がやってきた。
【塩谷へ】
亀裂が入っているトンネルを抜ける前で、
入ってゆく車両のナンバーや人員を確認してゆく。
夕方3時半には、全員この地区を出ないといけないのだ。
土砂崩れの現場には、重機が入り、なんとか通行できるように
してくれている。こんな現場に入るのは、台湾地震で孤立していた
武界村に行った時以来だ。今回、東京三菱自動車販売さんから
借りている4輪駆動ワゴン車が活躍で、2台目も早朝スタッフと来てくれた。
「本当にありがとう!」
乗用車は、底がガリガリと擦っていて、大変な道だ。
前日の警察での打合せでも、危険箇所の状況を聞いていたが、
実際に目の前にすると、この地震の強さが分かる。
しかし、山の紅葉は悲惨な情景と反して、美しくなっていた。
●合掌
前のメールでも書いたが、この塩谷地区では、
11歳から12歳の子ども達3人が亡くなっている。
その全壊した家からの作業を中心に、そして独居や高齢者
世帯からの手伝いを優先してやることになった。
地震後のそのままの様子の地区に入ると、私が入った神戸の
遅すぎた4日目の情景とだぶってくる。
45人のボランティアを全壊班4つ、高齢者班2つに分けて、
瓦礫の中に入っていった。
まずは黙祷。
今日は涙無しには、出来そうもない活動だ。
今まで、気張ってがんばっていた会長の目にも、
涙が溢れる。
「闘牛の牛さんを埋葬して!」と会長の娘は言った。
瓦礫の下で、動けなくなって数日で亡くなったという
大切な大きな牛。形見に角を取った娘さん。
大きな穴に埋葬し、花束と食料の干草を入れて
土に戻っていった。
●宝探し
「この下に、子どもの形見が眠っている」
長野からの応援団は、あっという間に、屋根を開け、
柱を切って私のサポートをしてくれる。
ホコリにまみれた天井をはがすと、一階の床がに手が
届くほどで、何もかもが散乱し、潰されている。
子ども達に送った地球儀やランドセルが出てくる。
言葉にならない。
私は、状況確認の為に、次の全壊家屋に向かう。
「瓦礫から出して欲しいものは?」
「仏壇、遺灰、写真、印鑑、通帳、そして遺品だ」
完全に潰れた家から、運び出し作業を始めていたお父さんは
そう語った。
チェーンソーで柱を切り、バールでこじ開け、バケツリレーで
瓦礫を運ぶ。慣れたスタッフと人数が必要だ。
そして2時間後、ようやく仏壇と遺灰を無事に
運び出した。そして、撤収時間が近づくなかで、大きな柱を
重機を借りてきて動かし、最後の品物に取り掛かった。
「あいつが大切にしていたグローブを出したい・・」
退去時間が迫る中で、最後に瓦礫の1番下から出てきた。
「あの息子が、家族を助けてくれたのかも知れない、
先に逝かれてしまうのは、本当に辛いよ・・・・
そして、もう一度だけも、キャッチボールをしたい・・」
今日、何回目になるか分からないが、また一緒に泣いてしまった。
長野や湯沢温泉からの応援団もあちこちで泣いていた。
終わりに、無事に戻ったボランティアのみんなは、
「また来ます」と言ってくれた。
「本当にありがとう!勇気をありがとう!」
12日@小千谷より
レポート打ちつつ、また涙が出てしまった。
吉村さんからの報告はここまでです。
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最後までお読み頂きありがとうございました。