えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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百済野の歴史

2010年03月18日 17時33分04秒 | フォーラム・アイ
 大阪商工会議所東成生野支部・異業種交流会フォーラム・アイ(FI)の三月例会が先日あり、郷土史家の足代健二郎さんが「百済野」の歴史を解説しました。写真はFI会員の高仁鳳さんのホームページから拝借。

足代さんのお話は多岐に渡りました。
*昨年、御幸森天神宮に王仁博士の「難波津の歌」の歌碑ができたが、和文、万葉仮名、ハングル文字の3つの言葉で書かれているのが重要。
*百済野と呼ばれる地域は今の生野西部、東住吉の大半、天王寺の細工谷辺り。朝鮮半島で百済が滅亡した時に亡命してきた百済の王族が住んだところ。細工谷周辺に百済寺、百済尼寺があったと思われる。
*1889年の市町村制が引かれるまでは百済は別名で呼ばれていた。町村合併の際に昔のいわれ(百済の王族が住んでいた)を地名につけた。それが駅名として残っている。
*1909年百済駅できた
 1949年百済駅廃止
 1989年東部市場駅開業
 2009年王仁博士歌碑建立
 とちょうど20年、40年単位で百済に関わる出来事が起きている。
*1910年の日韓併合前の1909年に百済駅ができたのは、元は日本も朝鮮も同じという日鮮同祖を強調する意味があったのでは
*折口信夫は百済野を愛し、たくさんの歌を作った。

二次会でも足代さんから
*1889年にそれまでの地名を変えて「百済」という地名をつけたのには
 その当時、朝鮮に敬意を抱いていたという風潮もあったのではないか。
 という風な面白いお話が聞けました。

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