東北のみなさん こんにちは
転院が決まると、姉と妻が個室の荷物をてきぱきとまとめる。迎えの救急車は直に来る。病室は3階、二人が駐車場に止めた車まで運ぶ。母は何度も入退院を繰り返しているので、妻と姉はなれている。同じ病院でリハビリ治療を受け入院している父にも母のことを伝えねばならない。できるだけ驚かさないように。
脳出血で左半身が不自由な父は7月初めに夫婦らで出かけた旅先で意識を失い転倒、左肩を骨折しB救命病院に入院。約3か月前にこの病院に転院しリハビリ治療を受けていた。体の不自由さは仕方ないとしても元気で、数日後に退院する予定だ。一方母は父を追うように肺炎でC総合病院に入院、入院中に右大たい骨を骨折し手術。その後父と同じこのリハビリ病院に転院してきていた。母も父と同日退院を待つばかりだった。一週間前の外泊時には両手をもってあげれば歩け、歩行器を使えばベッドからの移動も一人でできるまでに回復していた。「ほんまようなったやん」「ほんまに元気になって」と母の温かい両手を持ち、玄関から上り口にいざなった時、にっこり笑った母の顔が浮かんでくる。これで家に帰っても一人で用もたせると安堵していた。そんな矢先の危篤の知らせだった。
姉と二人で父に知らせに行く。父は2階のリハビリ室で治療を受けていた。姉と私を見て、今日は二人も来てくれたのかと歓迎する風で、ベッドで横たわりながら笑った。
「どうや」
「だいぶようなってきた」
「実はな。おかあはんの調子が悪いねん。なんかに感染しているみたいで。今から転院しやんとあかんねん」
途端に父の顔がこわばった。姉が続ける。
「前に入院してたC病院やねん。また1月ほどかかるか分かれへんけど大丈夫やで」
「そうか。俺の見舞いはええで。元気やから。おばあちゃんみたって」
「分かった。もういかんとあかんから、また報告するわ」
実際は危篤な母だが、そうは言えない。ひと月もすると大丈夫と、姉がいってくれた。元気そうに振舞おうとするが、父の曇り顔は変わらなかった。
病室に戻るとすぐに救急車が来た。看護師一人と妻が帯同することになった。私と姉はそれぞれ乗ってきた車でC病院に向かった。救急車に乗せられる時、母は腰が痛いとずっと訴えながら意識はあった。
転院が決まると、姉と妻が個室の荷物をてきぱきとまとめる。迎えの救急車は直に来る。病室は3階、二人が駐車場に止めた車まで運ぶ。母は何度も入退院を繰り返しているので、妻と姉はなれている。同じ病院でリハビリ治療を受け入院している父にも母のことを伝えねばならない。できるだけ驚かさないように。
脳出血で左半身が不自由な父は7月初めに夫婦らで出かけた旅先で意識を失い転倒、左肩を骨折しB救命病院に入院。約3か月前にこの病院に転院しリハビリ治療を受けていた。体の不自由さは仕方ないとしても元気で、数日後に退院する予定だ。一方母は父を追うように肺炎でC総合病院に入院、入院中に右大たい骨を骨折し手術。その後父と同じこのリハビリ病院に転院してきていた。母も父と同日退院を待つばかりだった。一週間前の外泊時には両手をもってあげれば歩け、歩行器を使えばベッドからの移動も一人でできるまでに回復していた。「ほんまようなったやん」「ほんまに元気になって」と母の温かい両手を持ち、玄関から上り口にいざなった時、にっこり笑った母の顔が浮かんでくる。これで家に帰っても一人で用もたせると安堵していた。そんな矢先の危篤の知らせだった。
姉と二人で父に知らせに行く。父は2階のリハビリ室で治療を受けていた。姉と私を見て、今日は二人も来てくれたのかと歓迎する風で、ベッドで横たわりながら笑った。
「どうや」
「だいぶようなってきた」
「実はな。おかあはんの調子が悪いねん。なんかに感染しているみたいで。今から転院しやんとあかんねん」
途端に父の顔がこわばった。姉が続ける。
「前に入院してたC病院やねん。また1月ほどかかるか分かれへんけど大丈夫やで」
「そうか。俺の見舞いはええで。元気やから。おばあちゃんみたって」
「分かった。もういかんとあかんから、また報告するわ」
実際は危篤な母だが、そうは言えない。ひと月もすると大丈夫と、姉がいってくれた。元気そうに振舞おうとするが、父の曇り顔は変わらなかった。
病室に戻るとすぐに救急車が来た。看護師一人と妻が帯同することになった。私と姉はそれぞれ乗ってきた車でC病院に向かった。救急車に乗せられる時、母は腰が痛いとずっと訴えながら意識はあった。