えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

151101

2015年11月14日 14時46分18秒 | 我が家
 東北のみなさん こんにちは

 翌朝の11月1日も休みの日曜日、朝8時半前、午前中には見舞いに行こうと少しまどろんでいたら、携帯の電話が鳴った。母が入院しているB病院からだ。午前6時半ごろから意識レベルが下がっている。至急来てくれと。妻と急いで向かう。前日と同じように車に乗ってから妻が姉と妹へ連絡した。

 病室に着くと、まだ意識はほんの少しあった。「頑張りや」と声をかけるとうなずく。息は荒く、とても苦しそうだ。見ているのがつらい。東大阪に住む姉がおっつけてきた。奈良・郡山の妹はもう少しかかるだろう。当直の医師が二人で説明に来た。昨日よりさらに悪化している言う。危篤だ。10時ごろに妹が到着、妹がきたことを伝えると、ほんの少し首を振る。息子も駆けつけた。「おばあちゃん」と大きな声をかけるとうなずいた。

 妻、姉妹の四人で相談をする。入院中の父を呼びに行き、母の兄弟に連絡すると決める。妻が父を迎えに行き、私が叔父叔母らに電話で連絡を取る。父がきた。「がんばれよ」と泣いて声をかける。母がうなずいたように見える。それを見てみなも泣いてしまう。娘夫婦が幼い孫二人を連れてきた。娘も声をかけるがほとんど反応がない。姉の娘二人と夫もきて声をかけるが応えない。

 昼から八尾に住む叔父がきた。叔父が声をかけるとほんとに少し反応した。夕方、横浜の叔父も駆けつけた。芦屋の伯母、叔父も叔父の三男と一緒に来た。

 7時ごろには皆が帰る。看護師に付き添いで泊まるのはよいか尋ねると、簡易のベッドを置くという。妹が泊まるという。翌日は私、その翌日は姉、さらに妻、妹、私、姉の順番で泊まることを決める。

 昇圧剤の値は2から3.5、酸素吸入の値も2から4へいつの間にか上がっていた。いずれも10まではあげられるというのに、まだ余裕があるんだと思う。

 妻と病院を後にして、途中のレストランで夕食をとる。妻はあったかいのがほしいと釜揚げうどん。私は和定食。出てくるのが遅くもどかしい。それだけでイラつく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする