オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

若者のコミュニケーション欠除の考察

2007年09月08日 | Weblog

街を歩いていると、若者の傍若無人さが目につく、

 電車の入り口や、街中の人通りの激しいところなどで、周囲の人の迷惑も顧みず、平気で友達同志たむろしている。迷惑になっていることを全く認識していない。通りを歩いていて、ぶつかりそうになっても譲ろうとしない。反対にそこのけとばかりに突進してくるので、こちらが譲らざるを得ない。

学校での授業中の無駄話もひどいらしい。

 教師が一生懸命講義をしているのに、これを全く無視して、他のことに専念したり、友達同志とのおしゃべりに熱心だという。指名して質問をすると、何の反応も示さない。返事もないし、わかっているのか、わからないのか、質問の意味を理解しているのか知る由もなく、不服そうに睨み返される。

若者同志の会話を何となくそばで聞いていると、

 お互いに一方通行の会話を繰り返している。話題は一致しているようだが、会話が成り立っておらず、内容はとんでもない方向に展開し、聞いているこちらの頭が混乱してくる。こういう若者集団は通常、傍若無人に大声で話しまくっているので、特に目立つ。(まあ、相手の会話の内容もいいかげんにしか聞けない者が、周囲に気配りできるはずがないが…。)

人ごみの中での携帯電話による会話も同じである。

 会話はほとんど無駄話で、少なくとも知性やウィットを感じさせる内容ではなさそうだ。周囲でこれを聞かされる者の迷惑や、プライベートな電話の内容(恥)を大衆にさらけ出している状況や、自分のマナーと常識のなさをこれ見よがしに宣伝しているという認識がほとんどない。知っていてやっているなら見上げたものだが、そうでもあるまい。

現代の若者はコミュニケーション欠除に陥っているのではないか

 人ごみでぶつかりそうになったら、お互いに譲り合う気持ちがあり、ぶつかったら謝罪の言葉を発するのが常識である。そこのけとばかりに突進するのは、どこかのお偉い先生か、暴走族や暴力団くらいのもので、一般人は、電車の椅子取りゲームか、大売り出し会場ぐらいでないとやらない。

授業中のサボりやおしゃべりは昔からあったし、

 これを否定はしない。しかし、昔は見つかったり注意されたら、即座に反応し、謝罪の言葉を発した(または謝罪の態度を示そうとした)。質問を受けたら、少なくとも返事は返し、わかってもわからなくとも返答はした。友達同志の会話は、相手の話す内容を顔の表情、動作、言葉のイントネーション等あらゆる情報を駆使して理解しようとし、相手の問いかけに答えようとしていた。このように、現代の若者(全員とは言わないし、若者ばかりとは限らない)は、相手や周囲の者とのコミュニケーションに必要な気配りや思いやりに欠けている傾向が見られるが、その前に、相手や周囲の者の発する様々な情報を受け取るセンサーに欠陥があるのではないかという気がしてくる。

この原因は何だろう。

 私は、テレビではないかと思う。テレビが普及してから、テレビのつけっぱなしが目立つ。大して面白くない番組で見る気がなくてもつけたままにしている。テレビは、何としても視聴者に見てもらうため、これでもか、これでもかと注目を集めるためのパフォーマンスを番組の中で展開する。特に内容のない娯楽番組ほどその傾向が強い。テレビはつけっぱなしだから、そのままで、ほかのこと(食事や読書や状況によっては勉強等)をしなければならない。そのためには、興味を引こうと一生懸命のテレビの登場人物を「無視」しなければならない。

テレビに自分の生活を乱されてはかなわないので、

 ワーワー騒いでいるテレビを横に置いて、自分の生活を続けることとなる。自然と、このつけっぱなしのテレビを平気で「無視」する訓練を毎日やっていることになる。これが、人間に対したときも現れる。平気で相手の訴えかけや主張を「無視」できる。ある時はその存在さえも平気で「無視」できる。

テレビは一方通行である。

 そのために自然と会話は一方通行の繰り返しとなる。人間同士のコミュニケーションがしっくりいかず、単なる情報の受け入れだけになる。会話にならない。現代の若者は、赤ん坊の頃からテレビ漬けである。その影響は大きいであろう。この対人無視と、片方向の受動的なコミュニケーションに慣らされているのは、若者だけでなくテレビ世代共通のものと思われる。純粋な若者にストレートにその兆候が現れたに過ぎない。

テレビによる悪影響をなくすためには、

 テレビの内容を主体的に取捨選択して、自分の価値判断と自分なりのしっかりとした意見を持って受け入れるべきである。ただ漫然とテレビがついているから見るのでなく、あらかじめ番組表で自分の見たい内容を選択し、計画的に見る努力が必要であり、大人も反省し改めるとともに、子供に対し地道に「しつけ」をしてゆかねばならない。少なくとも、見るつもりのないくだらない暇つぶしの番組の時はテレビの電源を積極的に消すことをおすすめする。

テレビ番組の制作者も、

 ただ見てもらうだけの視聴率稼ぎのくだらないおふざけ娯楽番組ばかりでなく、質の高い、内容と情報量のある番組制作に努力してもらいたい。そうしないと世の中に害を及ぼすばかりではなく、最後にはみんなに飽きられ、新しいメディアに取って代わられ、せっかくのテレビ文化が崩壊してしまうおそれがある。少なくとも、私はその一人であり、テレビを消すと、物理的・精神的な静けさと、自分の自由な時間を取り戻せたことで、「ホッ」とする。

若者は安易にテレビに飛びつくのでなく、

 もっとほかの手段で感性を磨く努力をすべきである。最も手っ取り早いのは、いろいろな人との「人づきあい」である。面倒くさい面はあるが、双方向コミュニケーションが可能で、相手は未知の存在であり、テレビとつき合うよりよっぽど奥が深くて面白い。作り物のテレビやわけの解らない煩雑なゲームに熱中するよりも人間関係、自然現象、スポーツ、モノ造り、ペットの飼育などの現実世界に自ら参画して堪能した方が数段面白いことを認識してもらいたい。しかし、最初から努力を怠って面倒くさがっていたのではいつまで経っても面白さを実感することはできない。若者に対して勇気を出して挑戦する事を期待するし、大人達はこれを大いに応援したいものである。

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