長い間一緒に生活していると夫婦間でお互いに不平不満がたまる。
最初は赤の他人同士が結婚して一緒に生活しているのだから仕方ないことである。子供が一緒にいた頃は子供達が潤滑油代わりになって、それほど気付かなかったが、子供たちも独立し夫婦だけの生活になると、お互いの個性がぶつかり合うことが多くなる。まぁ、私の場合は、もともと異なる個人から出発しているので、自分に影響が及ばない限りは特に気にしないようにしているが、影響が及ぶ部分は何らかの対策をしなければならない。
妻は完璧主義に近いが私はどちらかと言うと適当主義である。
例えば風呂掃除について、妻はある程度徹底的に毎日掃除しないと気が済まない。私の場合は、ある程度の汚れは容認できて、汚した分だけ掃除をすることを信条としている。よって、私が風呂掃除をしても妻が再度やり直すこととなる。だから、私は風呂掃除には手を出さない。ご褒美として一番風呂は妻で、私は最後に風呂に入る。私の風呂の入り方も彼女にすれば「不潔」に思えるようだ。そして、妻は次にきれいな状態で風呂に入るため自分の満足いくように風呂掃除をする。
私は単身赴任が長かったので、自由気ままに風呂を使う。
次に入る人がいる時は、気を使って入るが、思う存分楽しめないしリラックスもできない。外国での経験から泡風呂や入浴剤を使うこともある。外国では風呂を使い終わったらお湯は流してしまうのが常識で、他人の入った風呂に入る習慣はあまりない。また、ほとんどがシャワーだけで浴槽に浸かる習慣もあまりない。使った後は簡単に汚れを落として終わりである。思う存分身体の垢が落とせるし、終わった後も簡単である。
トイレも同じである。
私の使い方が汚いと文句を言われる。汚いものを排出しているのだから汚くて当然だとも思うが、掃除する側としては不満なんだろう。幸い、我が家にはトイレが二つあるので、片方を妻が、もう片方を私が占有して、お互いに自分で管理している。掃除も自分でやっている。どんなに汚くしようと自由だし、掃除も自分の基準でやっているのでお互いの不満は皆無である。たぶん、私専用のトイレを妻が干渉したら不満たらたらになるのであろうが、分離していれば関係ない。
部屋も同じである。
自分専用の部屋を持っている。その部屋では勝手気ままであり、散らかそうと、物が散在していようと、掃除が行き届いていなかろうと、いろいろな仕掛けがしてあろうと、お構いなしである。共有の場所は妻の基準に従うが、この頃は少し妥協してきて、私の基準も少しは容認してもらっているようである。妻はとにかくすっきりした何もない空間が好きなようであるが、私は雑多なものがありふれた生活感のある空間が好きである。
いろいろな家事についても考え方が異なる。
妻は目の前に仕事があると、すぐに片付けないと気が済まない方であるが、私はしばらく放っておいて、時機を見てまとめて片づける方である。放っておいても影響の少ないことは当分の間放っておくが、妻はそれが気に入らないようである。これについては、お互いの領分には口出ししないようにしている。例えば妻の行う家事については任せている。そして日曜大工や庭手入れなどについては私に任されている。
早朝から出かける用事がある時、妻は早起きをする。
私は、後でやってもいいことは後回しにすればいいのにと思うが、フルコースでいつも通りに家事をこなして時間に間に合わせる。よって、早い時期に計画をしておかないと対応ができない。私の思い付きの計画は却下される。まぁ、却下されても自分だけで出掛けるが、かえって却下されることで私自身の自由度が保てるし、前もって一人でも実行すると宣言しておくことにしている。何も機会価値をつぶすことはない。
人間二人いればぶつかり合うものである。
それが人間のいいところである。しかし、うまく対応すればぶつかり合いながらも何とか折り合いをつけて暮らしていけるものである。まずはぶつかり合わないように分離することであり、お互いの言い分を尊重することである。同じ空間の中でその空間を自分の思う通りにしようなどと思うからぶつかり合うのである。ぶつかり合ってもいいだろうが、お互いの主張を認め合わないといつまで経ってももめごとは解決しない。当然のような気がするが、なかなかそう言う考え方ができないのが人間でもあるようだ。
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