インターネットを使った詐欺や違法行為が問題になっている。
私はこれまでも何回も「インターネットは「道具」である。」と繰り返し言い続けている。道具は使い方によってはいいことにも悪いことにも利用できる。使う本人がどのような使い方をするかで決まるのであって、道具が悪いわけではない。「道具」のなかには悪いことをする目的だけに造られたものもあるが、インターネットはどう考えても悪いことをする目的のものではない。少なくとも発祥の動機は悪意ではない。
詐欺や違法行為は情報の不足につけ込んで行われる。
情報化社会の寵児としてもてはやされているインターネットが詐欺や違法行為に利用されるとは皮肉である。なぜであろう。ひとつは、インターネットに何でもできる魔法の道具という過大な期待を抱いていることである。基本的には人と人が会話を交わし情報交換をする延長でしかない。もうひとつは、インターネットを信頼しきっていることである。インターネットを使ったからといって対人関係の信頼性が増大することはない。
人は道具を使う場合、
道具が進化すればするほどこれを使いこなすためには、高度な知識と技術が要求される。絵筆と絵の具とキャンバスがあればピカソの絵を書くことも理論的には可能である。しかし現実に描けるかというとこれは不可能であり、我々凡人には描くに必要な高度な知識と技術を持ち合わせていない。インターネットを使えば何でもできるという幻想はこれに近いものがある。この幻想が常識や理性では考えられない途方もない判断と行動を起こす。詐欺師もその弱みにつけ込んで一儲けをたくらむ。いくらインターネットを使ったからと言って、現実世界の営みの延長線上でしかない。情報入手による動機ときっかけをつかむ機会が増えたに過ぎないし、自己の責任と知識・能力の及ぶ範囲でしか行動できないはずである。
我々素人は、
最新の高度な科学技術に対し、理解を超えるところがあり、一方的に盲信してしまう傾向がある。この盲信は絶対的な信用に発展し、人々の警戒心をなくしてしまう。「コンピュータ」「インターネット」「電子マネー」とかいう言葉だけで、何となく畏敬の念を抱き、妙に信頼して寄りかかってしまう。これらを普及しようとする側も、これらのもたらす「不」利益については口を閉ざし、普及の足を引っ張る「負」の情報を積極的に流そうとしない。しかし、これらのものには常になにがしかのリスクがつきまとうのは事実であり、ここに詐欺や違法行為がつけいる隙がある。
これを防止するためには、
このリスクに対し2重、3重の確認をとることである。一方的に受けるだけでなくメールを返信して確認する、インターネットだけでなく電話や手紙で相手を確認する、重要な取引は直接本人と交渉する等である。リスクを負うのは我々使用者であり、不便さをあえて宣伝してくれる人はいない。しかし、身を守るためにこの不便さをあえてやるのが使用者の知恵である。我々は日常生活においては当然やっている信用確認を、便利だ、簡単だ、安心だのかけ声に乗せられて忘れてしまっているのではないか。それでも、詐欺や違法行為にひっかかった場合は、それは、インターネットのせいではない。個人同志の契約上のトラブルである。
本来は、インターネット上での詐欺や違法行為は難しいはずである。
なぜならば、詐欺や違法行為が発生した詳細な情報が瞬時に隅々まで流され、警告とその教訓・対策が発せられ、正常な判断力と遵法精神を持つ者には受け入れられないためである。正常な判断力と遵法精神を持たない者は、残念ながら、インターネットを使わなくとも、電話でも郵便でも訪問販売でも詐欺にかかるし、違法行為にも手を出す。それは、インターネットが悪いのではなく、本人が悪いのである。
インターネットが動機やきっかけをつくったのだから、
インターネットが悪いと悪者にされたのではたまらない。確かに、インターネットの効果と影響力は大であり、一旦悪事をはびこらせると瞬く間に世間を駆けめぐる。取り締まる側は、情報化社会に追いつけず、有効な防止策がなく、インターネットそのものを規制しようと考えているようだが、これは本末転倒である。
有効な防止策は、インターネットを活用して
詐欺と違法行為に対する正しい詳細な情報と対応策を積極的に発信してインターネット上で退治することだと思う。また、インターネットの匿名性を利用した詐欺や違法行為の取締方法を確立することが必要だと思う。詐欺や違法行為はインターネットを使おうが使うまいがれっきとした犯罪行為であり、行為を起こした本人を見つけて罰しなければならない。取り締まる側は情報化社会に適応した捜索、調査、立件、逮捕のやり方を早期に検討する必要があると思われる。
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