考えることは重要である。
「人間は考える葦である」と言うし、「考える、ゆえに我あり」と言う。考えることそのものが自分の存在でもある。今の子供たちは甘やかされていて苦痛や不快感を感じることも厳しい試練を与えられることもなくぬくぬくと育っている。何の問題もなさそうだが、そのかわり自分で考えることを怠っている。情報は洪水のように入ってくるし、欲しいものは何でも与えられ、望みのものは何でも叶えてもらえる。情報は結果であり、与えられるものは完成品であり、望みのものはありふれた月並みなものでしかない。そこに欠けているのは考えることであり実体験としてのプロセスであり自分だけの価値観である。
親としては「こんなに何不自由なく育てて問題なんてあるはずがない」と思っている。
問題は、何不自由ないことを当然と思わせている環境である。愛情を注げばその愛情に応えてくれると思っているだろうが、愛情に飢えた経験のないものには愛情のありがたさが解らない。愛情を得るための努力の必要性もやり方も学習することはない。一方通行で受け取るだけの愛情は、他に対して(肉親に対してさえ)愛情を注ぐ気持ちが育たない。そして、悲しい結末が待っている。自分の親に対してさらに肥大化した愛情を要求し、愛情を注ぐことができなくなった自分の親を見捨て、次なる愛情を与えてくれる対象を捜し求める。当然そんな対象はどこにも存在せず、結局は挫折する。
この頃の親は、自分の面倒は自分で見て、子供に迷惑はかけないと言う。
なぜ、子供に面倒を見てもらわないんだろう。自分の育てた子供に対して最初から面倒見てくれそうもないとあきらめているんだろうか。また、そんな子供に育ててしまったのだろうか。私は大いに面倒を見てもらえばいいと思う。子供から親に愛情が注がれることは至極当然のことで何も問題はないし、そんな子供に育てるべきだったのである。今現在の親がその両親に愛情を注がず自分の子供に全ての愛情を注いでいる。その子供は愛情に溺れて息ができなくなっているし、その有難味さえ理解できなくなっている。この状態は何かおかしい。問題を解決するには、子供への有り余るほどの愛情の半分を自分の両親への愛情に振り向ければいいと思う。現在の親の自分自身の将来のためにも、子供の将来のためにも・・・。
この問題は3世代にわたって解決してゆく必要がある。
今日本に生じているいろいろな問題は全て戦後の核家族化に集約される。3世代が同居していれば自然と解決するような問題がほとんどである。子育て、青少年の教育、家庭崩壊、学校崩壊、少子化、老人問題、などなどである。しかし今さら核家族化を止めることはできず、この状態の延長線上に3世代同居の利点を付け足してやらなければならない。親→子→孫の一方通行から、子から親へ、孫から子へ、親から孫へ、孫から親へ真の愛情を注ぐ努力をしなければならない。一番頑張らなければならないのは、今の孫を持つ親である。子育てが終わって子供が独立してホッとしている暇はない。孫子の面倒を見てやらなければならないし、孫子は親の面倒を見てやらなければならない。
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