オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

拉致、日本は見捨てない

2006年05月30日 | Weblog

街頭のポスターに「拉致、日本は見捨てない」とあった。

 北朝鮮の拉致被害者に向けた日本政府のメッセージである。申し訳ないけれども笑ってしまった。確かにインパクトはあるが、よくよく考えてみると何かおかしい。「見捨てない」とあえて宣言しなければならない状態が最初からおかしい。当然拉致被害者を「見捨てる」ことなんてしてはいけないし、「見捨てる」ことは最初から存在しないはずである。それを今さら否定する必要があるのは、日本政府が過去に「見捨てる」ようなことを行った事実を認めているようなものである。言葉は良く選ばないと墓穴を掘る。しかも日本国政府が出しているポスターであり、日本国政府の拉致被害者に対する取り組み姿勢でありスローガンなのである。

私は、いつものことであるが変な癖がある。

 ある事実があるとき、その事実を全否定してみるのである。もっと徹底するとその事実が全くなかったことととして根底から無視してみるのである。それでも済まされる場合は、その事実は大したことではない。どうしても無視できない部分が出てきたら、その部分だけ対処すればいいのである。問題があれば問題部分だけが浮き上がってくる。冷静に物事を考えるときに有効な手段である。そして、得体の知れない、訳のわからないものは一度根元からバッサリ切ってみるのである。問題があれば文句を言う集団がいて、その文句を聞いてみれば事の本質が見えてくる。文句が出てこなければ、この得体の知れないものは無用だったのである。

このやり方は、やりっぱなしはいけない。

 引き続き慎重に観察し続けなければならないし、問題があればすぐにでも対策しないと滅茶苦茶になって頓挫してしまう。通常は、根底から切ろうとする意思を表明した時点で、猛烈な反対意見が出てくる。要は「意思」の問題である。「意思」のないところには問題点も対策もなくどこまで行っても金太郎飴である。また、問題点を探し出したくなかったら、「意思」を表明しないことである。事なかれ主義にはどこまで行っても「意思」を表明することはない。日本の過去の拉致問題解決の手法はあまりにも事なかれ主義に過ぎたのではないかと思う。

私は拉致問題には直接関係ないので、あくまで門外漢の意見だが、

 確かに、拉致問題は個人的には同情すべき問題であり、このような状況を作り出した加害国に対しては猛省を促さなければならないが、一個人が国家のことに意見することに大きな抵抗がある。あくまでも日本の一国民として国家に拉致問題解決をお願いする立場であろうと思う。たとえ当事者であろうと一個人が一国の首脳と対等に交渉して「制裁しろ」「交渉しろ」「糾弾しろ」と迫るのは立場を間違えている気がする。マスコミはこぞって応援し、政府は弱腰で何でも対応するという状況がずっと続いている。政府の対応がまずくて、拉致被害者家族に長年にわたり多大な忍耐と労力を強いたのは事実であろうが、事は国際問題である。日本の国として正々堂々としたきちんとした対応を望むものである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 先の見えない社会 | トップ | 人間関係 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事